WSEA(Web Site Expert Academia)

第7回Webデザインにも「心地良い裏切り」―non-intentional communication design―(その3)

見立て=誤解=つながり?

今泉:

ちょっと話が飛びますが、デザインっていうのはね、線を引くといろんな分け方ができるんですよ。1つのおもしろい引き方で、インテンショナルデザインとノンインテンショナルデザイン[1]というのがあって。ノンインテンショナルデザインのほうは、用途変更的なことができるんですよね。逆に言うと、用途変更っていうのは、次のインテンショナルなデザインのための、それこそつながりなんですよ。1個のステッピングトーンなのね。これをどういうふうにつないでいくかってことが大事だと思うんです。

こういう言い方をすると日本のこと良く言ってないみたいですけど、僕らよりも前の世代は、欧米でお墨付きをもらったものを輸入して、その技術を磨いて再輸出するみたいなことをやっている人が多かったんじゃないかな。本当にクリエイティブな人たちはそうじゃなくて、今言ってるみたいに触っているうちに新しい使い方に気付いて、これをオプティマイズして、あるすごい形に変えていったんだと思うんです。

たとえば、ウォークマンとかすごいブームになったけど、あれは簡単な用途変更というか、用途限定と最適化ですよね。でも、あれも「こっちだー」って強力に言う人がいないと、将来像が見えなくて、みんながそちらに向かって意識を集中することが出来なかった例だと思うんです。なんかその手のことがね、他にもありそうな気がするんですよ。

関心空間代表取締役 前田邦宏氏。
「サービスのコンセプトを伝える
中間ドキュメントがないかと」
関心空間代表取締役 前田邦宏氏。「サービスのコンセプトを伝える中間ドキュメントがないかと」

前田:

うーん。僕の今の立場で言いづらいんですけど、インターネットって広告かECでしかキャッシュフローが生まれない、みたいな。⁠それ以外の価値創出がないの?」っていう気持ちが、もどかしいんだけどすごくあって。1つは、たとえばネットって、まぁRPGみたいなもので経済が生まれたりするじゃないですか。あれのもうちょっと文化的なことってあるような気がしてて。前回の対談で建築家のアレグザンダー[2]の名前が出たんですよ。

今泉:

ああ、⁠パタン・ランゲージ」※3を書いた人ですよね

前田:

建築の世界でコンバージョンって言いますよね? コンバージョンって、子供が空き地にある廃屋を基地に変えるように、今ある建築を違う用途に仕立て上げるみたいな。

今泉:

それは見立てと言っていいのかな。子供のときはすべてが見立てなんだけど、人間は成長しちゃうと見立てができなくなっちゃうんですよね。だって子供にとってはこれ[4]が簡単にロケットになっちゃうもんね。

僕、思うんですけど、見立てができない人は、ものが作れないかもしれない。だって、目の前にあるものしか信じられないと、次のものがどっから出てくるかわかんないですよね。

話をまた戻しますけど、高校までの教育のモデルって「わかってる人(=教師)がわかってない人(=生徒)にものを教えること」なんです。でもそのパターンでいくと、世の中に新しいものはないってことになっちゃう。つまり、新しいものがどこから出てくるか考えたときに、誰かが知っているということになっちゃう。それおかしいだろと。それより、ブレインストーミングみたいに、わかんないやつ同士が話しているうちに「なんかわかっちゃうことがあるんだよね」っていうふうな可能性を認めながらものを作っていかないと。

見立てだとか言って、ある人間はこれをロケットだと思ってて、でも別の人間は新幹線だと思ってて話しているうちに、話が全然違う方向に行ってリニアモーターカーの話で盛り上がるかも、みたいなね。僕らは何をきっかけにして同じとこに向かって意識を集中していくんだろうかというときに、やっぱりつなぎとしての中間ドキュメントって大事だと思うんですよね。

とくに僕はラフスケッチがすごく大事だと思うんですよ。たとえば、ここにこう(今話していた)⁠教えること⁠とか⁠つながり⁠とか書きますよね。ここに矢印書いて、会話の流れで今はそのコンテクストがわかるけど、後から見たらなんだかわからない。テンポラリーに意味を与えていくというインプロビゼーションみたいなものは、誤解の中で誤解を生んで誤解が盛り上がって次のステップに行く…誤解つながりみたいな関係が世の中を動かしてる(笑⁠⁠。

前田:

(笑)

今泉:

誤解を恐れてしまって、すごく精度の高いつながりを、つまり厳密な知識を伝えようとかやっちゃうと、かえってつまんなくなるんじゃないかと思う。

痛みに耐性を持て!

前田:

今年注目しているキーワードってありますか? 自分のテーマになりそうな。

今泉:

まず、キーボードを止めて手書き、というのがあります。

前田:

キーボードを止めるんですか?

今泉:

うん、キーボード文化はあらかじめ余分なものをそぎ落としてしまう。それって可能性を排除しちゃうから、まずい。これからは手書きですよ。下手に手書き認識なんかやるんじゃなくて、ドローイングカルチャーみたいな余計なものを取り込む情報入力のカタチ。手書きの復権が起こると良いな、と思ってます。僕は最初から余計なものを排除するんじゃなくて、ずれたもの、もっと周辺のものを取り込んでいかないと新しいステージはできないと思っているんで、そういう意味でも手書きのものを。

もう1つは「痛み⁠⁠。成長の痛みってあるんですよ。僕らっていうのはつねにバランスの取れた状態でいるわけじゃない。一時的にバランスを崩しながら全体を変えて、次のバランスに達してるわけです。僕だって生まれたとき小さくて徐々に大きくなってきたわけだけど、大きくなるときというのは、バランスを崩さないとダメなんですよね。ちょっと痛みを伴ったり。中学のときに急に身長が伸びて膝のあたりが痛いなとかありませんでした? ああいう痛みがないと次のステージには行けないんですよ。その痛みに、あえて耐えるということをやらないとまずい。

ビジネスも、学校なんかもそうですけど、入ってきたときと出ていったときが同じだったら「お前成長してないじゃん」となる。成長って変化の結果であるわけでしょ。いつもバランスを保っていたら変化なんかできないわけですよ。だから、一時的にバランスを崩しながら飛んで、次のステージでバランスを取る、みたいなね。その微妙な、飛び石みたいに次のステージに移るバランスが大事で、そのときの痛みをあえて引き受けることが大事だという気がするんですけどね。

でも、世の中全体がいっぺんに痛みを受けるのは、おそらく無理。それこそビジネス的にも大騒ぎになっちゃうと思うんですよね。だからどこかで、小分けにした痛みを皆が感じながら、違う痛みを経験したやつらが徐々にどこかで一緒になるみたいな…小さなバンドみたいなもんですよ。そういうしくみを大事にしたほうがいいと思っています。それをやっていかないと、最初から答えのあるものを輸入してそれを大組織に植え替える、みたいになっちゃうから。そうするとたぶんそれを実験してきた欧米にいつまでたっても追いつけないんじゃないかなと。日本でもそれをやっている人がいたら僕はぜひ会いたいですけどね。

前田:

痛みと呼べるものかどうかわかんないですけど、おそらく今ネットサービスを作る人も、実現可能な環境は手に入っていて、すごいと思えるものも自分の手で作れるんだろうけど、それをたとえば自分の生活の糧にしようと考えた瞬間、いきなりすごくギャップがあって。見栄えはプロっぽくてガンガン稼いでいる会社と同じようなもんなんだけど、これを社会化させるすべはまったく想像できない、と。なので、じゃあ広告とろうとか、商品売ってみようとかやったら「お前何にも知らないくせに」みたいにつまずいちゃうと思うんですよね。それはたぶん今はそうであって、でもおっしゃるように当然のステップであって、ちょっとやそっとじゃ死なないよっていう(笑⁠⁠。痛みに耐性を持てと(笑⁠⁠。

おすすめ記事

記事・ニュース一覧