新春特別企画

困難な時代は技術が進化するチャンス ―ソラコム 安川CTOが語る、2021年コロナ禍でのIoTの存在意義

収束のきざしが見えないパンデミックのさなかで迎えた2021年。ビジネス/プライベートを問わず、世界中のすべての人々が物理的なエクスペリエンスを大幅に制限される時代となり、それにともなってコミュニケーションのベースはリモートへと急速にシフトしています。たとえば日本ではなかなか普及しなかったテレワークも、コロナ禍により多くの企業が導入に踏み切り、人々のワークスタイルは大きく変わりました。

テレワークに限らず、リモートや仮想空間におけるエクスペリエンスが一般的になるということは、社会のテクノロジへの依存、それもAIやエッジコンピューティング、ロボティクス、IoTなど最先端テクノロジのニーズが一段と高まっていくことを意味します。あらゆる物理的な接触の機会が急激に減少しつつある現在、技術者は社会と顧客のニーズをどう捉え、どう支えていくべきなのか―本稿では米シアトル在住のソラコム 最高技術責任者(CTO⁠⁠ 安川健太氏にこの1年のIoTトレンドやビジネスを振り返ってもらいながら、2021年という困難な時代を生きるビルダーとしてのあり方についてお話をうかがいました。

安川氏には米国シアトルからリモートでインタビューに参加していただきました
安川氏には米国シアトルからリモートでインタビューに参加していただきました

クラウド/エッジの棲み分けを促進する要素技術が整った2020年

――新型コロナウイルスの感染拡大はIoTを含むテクノロジのトレンドにも大きな影響を与えています。IoTのエキスパートとして、安川さんは現在のIoTトレンドをどのように見ているのでしょうか。

安川氏:ここしばらく続いていた「クラウドとエッジの棲み分け」という傾向がより加速すると見ています。IoTの世界ではこれまで、⁠マシンラーニングなど)重い処理のほとんどがクラウド上で実行されてきましたが、それではデータをクラウドに上げるコストや速度が問題になる上、顧客の求める低遅延での処理ができない。数年前から始まっていた「AI+IoT+クラウド+エッジコンピューティング」という流れが本格化するのに十分な技術が揃ってきました。たとえば12月の「AWS re:Invent 2020」で発表された製造業向けのソリューション「Amazon Monitron」は、エンドツーエンドの機械モニタリングシステムを構築するサービスですが、センサー、ゲートウェイ、AIをパイプライン化し、プラグアンドプレイで状態異常検知システムを立ち上げることが可能です。こうしたソリューションは、エッジやIoTで実行可能なオペレーションが増えたからこそ誕生したともいえます。

AWS re:Invent 2020では産業向けに特化したエッジAIソリューションがいくつか発表されたが、製造業向けの「Amazon Monitron」もそのひとつ。エンドツーエンドでリアルタイムな異常検知と故障予測を実現するマネージドサービスとして注目される
AWS re:Invent 2020では産業向けに特化したエッジAIソリューションがいくつか発表されたが、製造業向けの「Amazon Monitron」もそのひとつ

――ソラコムもまた「クラウドとエッジの棲み分け」を意識して技術開発を行ってきたのでしょうか。

安川氏:このトレンド―エッジデバイスへのオフロード指向は2016年に発表された「AWS Greengrass」あたりから始まっています。ソラコムもユーザの皆さんから"あのポタン"と呼ばれているIoT通信デバイス「SORACOM LTE-M Button」⁠2018年)や、リモートでAIアルゴリズムを書き換えられるエッジAIカメラ「S+ Camera Basic」⁠2019年)などをリリースしてきましたが、いずれもクラウドとエッジデバイスの棲み分けが加速するトレンドを反映したサービスです。ただ、これまではクラウドからエッジまでを一気通貫し、パイプラインとして構築できるほどには要素技術が揃いきってなかったのですが、2020年にはかなり技術的な土台が整ってきました。この影響で2021年にはより先進的なIoTユースケースが現実化してくると思っています。

2016年に発表された「AWS Greengrass」はIoTデバイスにLambdaをデプロイし、オフラインでもファンクションを実行できるサービスで、現在のエッジAI + IoTの源流となったプロダクトでもある
2016年に発表された「AWS Greengrass」はIoTデバイスにLambdaをデプロイし、オフラインでもファンクションを実行できるサービスで、現在のエッジAI + IoTの源流となったプロダクトでもある
2019年7月の最初のリリース以後、アップデートを重ねているソラコムのエッジAIリファレンス「S+ Camera Basic」はJR東日本(アトレ)や原宿のIntelligent Designなどでのリアルタイムモニタリングに活用されている
2019年7月の最初のリリース以後、アップデートを重ねているソラコムのエッジAIリファレンス「S+ Camera Basic」はJR東日本(アトレ)や原宿のIntelligent Designなどでのリアルタイムモニタリングに活用されている

――2020年7月のソラコムの年次イベント「SORACOM Discovery 2020」⁠オンライン開催)では安川さんからいくつか先進的なIoTサービスの発表がされました。なかでもアプリケーションレイヤのインラインプロセッシング「SORACOM Orbit」はクラウドとエッジデバイスの新しい連携スタイルという意味でも非常に興味深いサービスに思えます。

安川氏:ソラコムはこれまでさまざまな無線技術でつながるデバイスとクラウドを橋渡ししてきましたが、デバイスとクラウドがそれぞれ扱えるデータフォーマットが異なるため、いくつかの問題が発生していました。デバイス側がバイナリデータをそのまま送ればクラウドアプリケーションでの処理に時間がかかり、かといってデバイス側でクラウド側が理解しやすいJSONなどに変換してから送信すれば、デバイス側のデータ通信量やプロセッシングコストが増大します。Orbitはソラコムがこの処理を肩代わりするサービスで、ユーザから提供されたロジック(バイナリ→JSON)をソラコム側で適用してからコードをクラウドアプリケーションに転送します。もちろんクラウドからデバイスへのレスポンスにも逆の変換(JSON→バイナリ)を適用してから転送するので、デバイスにもクラウドにもいっさい変更を加えることなく、データフォーマットの統一が実現し、通信にかかるさまざまなコストを低減できます。

Discoverey 2020で安川氏が発表したサービスのひとつ「SORACOM Orbit」はデバイスとクラウドの間でインラインプロセッシングとして機能するサービス
Discoverey 2020で安川氏が発表したサービスのひとつ「SORACOM Orbit」はデバイスとクラウドの間でインラインプロセッシングとして機能するサービス

――"Orbit"は日本語だと衛星軌道という意味ですが、まさにソラコムが衛星軌道上からサポートしているイメージですね。デバイスにとってもクラウドにとっても、どちらの利便性を損なうことなく、Orbitが肩代わり=オフロードしている感じがいかにもソラコムらしく思います。7月に発表されたサービスですが、導入事例などは公開されているのでしょうか。

安川氏:いくつかありますが、最近のリリースだとリアルタイムシステムズが開発したGPSトラッキングデバイス「RT299」のケースがわかりやすいと思います。ソラコムのリファレンスデバイス購入サイト「SORACOM IoTストア」でも販売しているのですが、シガーソケットに差し込むだけで車両のGPSトラッキングサービスを開始できるデバイスで、デバイスと一緒にOrbit上で実行可能なWASMモジュール「Soralet」も公開されています。

――IoTをベースにしたリモート車両管理システムのニーズは世界的にも高まっているので、時代を反映したソリューションだといえますね。このデバイスのようにパートナーによる開発がしやすい点もソラコムらしいサービスという印象を受けます。

安川氏:そうですね、やろうと思えばソラコムもRT299のようなリファレンスデバイスを作ることはできたかもしれません。でも我々が注力すべきはもう少し下のレイヤというか、顧客やパートナーがAPI経由でデータを集めたりデプロイしたり、そうしたコントロールが可能なプラットフォームを提供することなんですよね。Orbitはアプリケーションレイヤのサービスですが、どのレイヤのサービスであってもソラコムはユーザにとって使いやすいプラットフォームであることにこだわって開発しています。プラットフォームの上で動くサービスやシステムは、顧客や業界のニーズをいちばんよく知っているパートナーや顧客自身が開発したほうが、現在のような変化の激しい時代には適している。

――ソラコムが提供するプラットフォームはよりよいIoTシステムやサービスを生み出すための土台であるというのは、いつも安川さんや玉川さん(ソラコム 代表取締役社長 玉川憲氏)が言われていることですね。

安川氏:Discoveryではネットワークレイヤのサービスとしてオンデマンドパケットキャプチャの「SORACOM Peek」も発表しました。これは「トラブルシューティングなど必要に応じてパケットキャプチャがしたい」⁠パケットキャプチャのためだけに閉域網接続やサーバを準備するのは面倒」といった顧客の声にもとづいて開発したサービスです。米国のZan Computeというオフィスビルなどに向けたAIベースのメンテナンスプラットフォームを提供する企業が、ビル内のトイレの利用状況(トイレが急に混雑したり、消毒液などの備品が極端に減ったりするなど)に応じてオンデマンドでインテリジェントなメンテナンスが実現したという事例も公開されていますが、こうしたサービスは我々には作れません。業界を熟知しているユーザやパートナーだからこそ提供できるシステムだと思います。一方、彼らは増大する通信コストに悩んでいつつも、デバイスの通信の中身まで見ることはこれまでできませんでした。そこでPeekを導入して通信内容を解析することで不必要な通信を見つけ、通信コストを削減することに成功しました。

ネットワークレイヤのサービスとして発表されたオンデマンドキャプチャを実現する「SORACOM Peek」はVPGあるいはSIMを対象に指定された期間のパケットをキャプチャ可能
ネットワークレイヤのサービスとして発表されたオンデマンドキャプチャを実現する「SORACOM Peek」はVPGあるいはSIMを対象に指定された期間のパケットをキャプチャ可能

感染症の蔓延がIoT業界にもたらすもの

――2020年はソラコムにとっても新型コロナウイルスの影響を強く受けた1年だったと思いますが、米国を拠点にして開発を統括する安川さんにとっても変化を余儀なくされた部分は多かったのでしょうか。

安川氏:そうですね、日本に出張することができなくなったり、Discoveryのオンライン開催など、前年には予想できなかった事態に直面したことは事実です。ただ、ソラコムは以前からテレワークを導入していたのでオフィスに行く/行かないが問題になることはありませんし、私も日本のチームと日常的にオンラインでミーティングをしたり、顧客サポートに対応してきたので、ワークスタイルそのものはコロナ前とほとんど一緒です。ただ、チームビルディングの視点から見ると、明らかに物理的なコミュニケーションは減ってしまったので、WFH(Work from Home)を前提にしたコミュニケーションを効率的に行えるよう、これまでより意識して進めています。1週間に一度はオンラインで、欧州などのメンバーも含めて雑談をしたりゲームをしたりするなど、リモートであってもチームとしてつながっていることが感じられるようにしています。

――ソラコムのビジネス全体への影響はどうだったのでしょうか。

安川氏:もちろん影響はあります。コロナによって多くの企業がさまざまなコストの無駄を見直していますが、通信費に関しても同様で、使われていないサービスを解約したり一時停止するところも増えています。こうした動きは当然、ソラコムのビジネスにも影響してきますが、ユーザが通信費の効率化を目指していくのは当然なので、そうしたニーズに応えられるサービスは伸びています。

――ちょっと失礼な質問かもしれませんが、新型コロナウイルスが国内で本格的に流行する前の2020年2月に、ソラコムとしてはじめてのコンシューマ製品となるiOS向けのeSIMデータ通信サービス「SORACOM Mobile」が発表されました。しかしその直後からパンデミックが急激に拡大し、一般の日本人が海外旅行や出張する機会はほとんどなくなってしまい、現在に至ります。SORACOM MobileはAppleとのコラボレーションも実現し、これまでとは違うユーザ層を獲得できる大きなチャンスだったと思うのですが、結果としてコロナにやられてしまったかたちになったことをどう捉えていますか。

安川氏:たしかにSORACOM Mobileの直後にパンデミックが拡大の一途をたどることになるとは予想していませんでしたね。ただ、私はSORACOM Mobileも、そしてソラコムのこれまでのeSIMへの取り組みも失敗だったとは思っていません。元々IoT向けに培ってきた技術をベースに構築されている上、今後も必要になる技術を使って開発していることから技術開発投資の観点で失ったものはありませんし、日本も米国もパンデミック収束の時期はまだ見えてきませんが、人々が海を越えて行き来する日々が戻ってくることは間違いありません。また、eSIMという技術自体も物理的なSIMカードに縛られていたさまざまな制約を解き放つものであり、必要なときに必要なサービスを受けられるようにするというソラコムの基本的な考え方とマッチします。eSIMへのこれまでの投資は必ず次のチャンスに活きてくると信じています。

2020年の最初のサービスローンチとなった「SORACOM Mobile」はソラコム初のコンシューマサービスとして注目されたが、コロナの感染拡大によりシェアを獲得するには至らなかった
2020年の最初のサービスローンチとなった「SORACOM Mobile」はソラコム初のコンシューマサービスとして注目されたが、コロナの感染拡大によりシェアを獲得するには至らなかった

エンジニアの真価が問われる“変化の時代”

――コロナ禍では物理的なエクスペリエンス、とくに人と人のコンタクトが大きく制限されることになり、さらにその終わりが見えないという厳しい状況が世界各地で続いています。技術者としてこの困難な時代にどう向き合っていくべきだと思われるでしょうか。

安川氏:困難な時代であることはそのとおりだと思います。でも困難な課題があるのなら、それを解決するために機能するのが技術であり技術者ではないでしょうか。逆に困難な時代だからこそ、技術が解決できるチャンスはこれまでよりもたくさん存在すると思います。ただし使う人のことを考えてサービスやアプリケーションを作る、そのことが大前提です。困難な時代であってもなくてもそれは変わりません。逆にどんなに先進的でとがった技術であっても、使う人の立場を考えていないシステムは世の中に受け入れられにくい。失敗するプロダクトは使う人の側に立っていないことが多いと感じます。

新型コロナはこれまでの日常を大きく変えてしまいましたが、新しい技術が台頭するきっかけとなった側面もあります。ZoomやTeamsといったオンラインコラボレーションツールがこれほど普及したのもパンデミックによる影響ですが、そうした技術の潮目の変化を正しくとらえて自分たちのビジネスにスムースに取り入れたユーザはビジネスでも成功していることが多い。私が見ている限り、米国の企業はやはりこうした技術の変化をスムースに受け入れて、自社のビジネスに取り入れるのがうまいと実感します。

――技術を作る側と使う側、両方のマインドセットが変化に対応していく必要があると。

安川氏:パンデミックほどではないにしろ、社会や時代はつねに変化にさらされています。もっといえば社会や時代が変化し、技術がそれに応じて進化することで技術の陳腐化が防げている。技術者にとって変化とはチャンスであり、変化することがむしろ自然であるという認識はもっていたいですね。

――最後に、日本のIoT技術者に向けてメッセージをお願いできますか。

安川氏:先ほども言いましたが、コロナによって技術が問題を解決するチャンスは大きく拡がったと思います。技術者の方はなにか課題を見つけたら、それを自分がもつ技術でどう解決できるのか、その方法をつねにデザインし、アイデア実現のためのアプローチを考えてみてください。ソラコムはそのアイデアの実現をサポートするプラットフォームを今年も皆さんに提供していきます。


Go Build. ―これはAmazonのCTOを務めるヴァーナー・ボーガス博士がよく使うフレーズです。Amazon/AWSではシステム開発にかかわる人々を「ビルダー(Builder⁠⁠」と呼んでいます。ただコードを書くだけではなく、社会を支えるシステムをビルド(構築)する役割を担った存在 ―AWSのエンジニア時代にヴァーナー博士からビルダーとしての多くを教わったという安川氏は現在、より多くのビルダーを支えるIoTプラットフォームの進化に取り組みながらも、⁠世界中のヒトとモノをつなげ共鳴する社会へ」というソラコムの理念さながらに、社会を支えるいちビルダーであることに重きを置いているようにも見えました。

パンデミックという困難な時代にあってもビルダーとして、そしてソラコムというプラットフォーマーとしてやるべきことにブレはない、そんな安川氏とソラコムが今年はどんなサービスを発表するのか、筆者もいまからとても楽しみです。

2017年6月の「AWS Summit Tokyo」のキーノートに登壇した安川氏とヴァーナー博士。⁠尊敬するヴァーナーから紹介されてAWSのイベントに登壇するのは感無量」とコメント
2017年6月の「AWS Summit Tokyo」のキーノートに登壇した安川氏とヴァーナー博士。「尊敬するヴァーナーから紹介されてAWSのイベントに登壇するのは感無量」とコメント

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