真っ白なうちの確認事項
「モラル」という言葉があります。辞書によれば、道徳とか倫理とか、行為の正邪を区別する考えとある。また、これとは別に「常識」という言葉もある。
一見確かなようでいて、実はまったく確かではない。それがモラルであり常識であります。
たとえば、昨年ハワイへ旅行に行ったんです。カーッと晴れた空の下、数台のオートバイがさっそうと駆け抜けて行くのを何度となく見かけました。9割方、ノーヘルでした。ハワイにはヘルメット着用の義務がないので、ノーヘルで走っても問題ないのです。
それを見た日本人旅行客が、「わぁ気持ち良さそう」と言うのも何度となく耳にしました。これには「不思議なものだ」と思ったものです。この人たちが、日本で同じ光景を見かけたとしたら、同様のことを言うのかな…と。ノーヘルで走ってるオートバイなんか見かけたら、しかめっ面するんじゃないのかな…と。
常識とかモラルというものは、かようにブレやすい、不確かなものだと思うのです。
さて、社会に出たばかりの新人くんというのは、この「常識」や「モラル」というものについて真っ白な存在です。もちろんそれまでに培ってきた指針はあるにせよ、まだ泥水にまみれてない、理想論で囲われてきたピュアな存在です。
もうね、目がキラキラして美しいわけですよ。
ところが入社して数年もすると、目がどんより曇ってきたりする。会社の常識に染まり始めて、すっかり会社の論理でものを考えるようにもなっちゃったり。
入社して最初の数年は特にがむしゃらに頑張るべきだと私は考えているので、そんなふうに染まること自体は決して悪いことだと思ってません。むしろ「じゃんじゃん染まれ」と思ってる。ただ一方で、「会社の常識外のことが見えなくなる」としたら大問題。そっちには警鐘を鳴らしたいとも思っています。
だから、入社して一番最初のピュアな、真っ白な時期に、あることを自分自身に確認しておいて欲しいのです。
「自分はどんなモラルで働きたいのか」
自分自身のモラルの持ちよう、その線引きをどこでするか。会社の常識に染まりきった後では見えなくなってしまうかもしれないこの命題を、最初に考え、記憶に留めておいて欲しいのです。
3つの中の、さあどれだ?
モラルの線引きと言っても、こと会社員としての範疇で考えてみて欲しいのは実に単純なものです。
- 「法に触れなきゃOK」なのか、
- 「法に触れてもバレなきゃOK」なのか、
- 「法律遵守でマジメにゴー」なのか、これだけ。
自分はこの3つの中でどこに当てはまるのか確認しておくだけです。
私が初めて就職した会社の経営層は、まず間違いなく「法に触れなきゃOK」という思想の持ち主たちでした。ところどころ「バレなきゃOK」的なものが見え隠れしていた気もいたします。一方、自分の働く基準というのは常に「将来子どもができた時に、その子に胸をはれない仕事はしたくない」というところにあったので、前述の選択肢で言えば間違いなく法律遵守の側。明らかに噛み合ってません。
インターネット黎明期の1995年~1996年はこの会社に在籍していて、社長にはよく飲みに連れて行ってもらいました。色んな話をしましたよ。ビジネスアイデア的な話もちらほらと聞いたりしたもんです。
でもね。
「Webサイト片っ端から回ってメールアドレス掻き集めて名簿化するプログラム作れば確実に儲かる」とか「そこらの女子大生に100万渡して部屋の中をWeb中継すれば、お金なんか簡単に入ってくる」とか言われても、自分としては「No」なのですよ。「あれ?なんか違うぞ?」と違和感を覚えることも少なくありませんでした。
今にして思えば、「モラル」というものの線引きが、社長と自分とでは大きく違っていたのでしょう。
入社後に自分のモラルを確認した後は、会社のモラルも確認してみるといいと思います。そして、そこに差異が認められた場合、それをとりあえず記憶しておくことです。
いつか自分が成長し、会社にとって重要な戦力となっていった時、おそらくは「会社のモラル」に従うことを求められる日がやってくることでしょう。ひょっとするとその時は、すでに会社の常識に染まりきっていて、何の疑問も抱かなくなっているかも知れません。
でも、新人の時確認した結果はどうだったか。それをふと思い返してみる。
色んな常識に振り回されて、さまざまなモラルを突きつけられて、それでも自分を見失わずに歩めるかどうかは、真っ白な時の記憶をいかに自身の中に留めておけるか。それに尽きると思うのです。
何十年も働き続けていくんですから、流されるばかりじゃつまんないですもんね。