コンテンツビジネスを成り立たせる3つの機能
米田芳樹(よねだ よしき)の脳裏には、ある人物の文章が鮮烈に焼き付いている。
「1つの企業体がインターネットプロバイダ、システムプロバイダ、パブリッシャーの3つの機能を持っているのが現在だ。コンテンツクリエイターからコンテンツを受け取ってそれをパブリッシュし、適切なシステムでインターネットを通して配信する。この3つの機能はいずれ分離する。まず最初に、インターネットプロバイダ機能が切り離される。次の時代に主導権を握るのはシステムプロバイダだ」
米田が中学生の頃、佐久間真茂留(さくま まもる)という人物のブログで読んだ文章だ。当時は、まだニフティやビッグローブは巨大な存在であり、その2つのサービスは、佐久間の言う3つの機能を提供していた。それが近い将来分化するというのは、2つのサービスの衰退を予言したようなものだ。それだけではない。当時始まったばかりのiモードのサービスの将来性も否定している。「iモードは、三位一体の旧来型ビジネスモデルが最後に咲かせたあだ花」という位置づけだ。その言葉どおりのことが起きた。
そして米田が大学を卒業する頃からシステムプロバイダとパブリッシャーの機能分化が加速した。FacebookやGoogle、Amazonなどはサードパーティのパブリッシャーの作ったアプリやコンテンツへ門戸を開き、彼らのプラットフォーム上で課金できるようにしていった。
28歳になった今、米田はあの文章の先見性に畏怖しながらも、釈然としない日々を送っていた。佐久間真茂留は、米田が中学生の頃にコンテンツビジネスをスタートさせ、その後15年間成長も衰退もせず、年商数億円中規模のビジネスを続けていた。栄枯盛衰の激しい業界にあって珍しいことではあるが、はたして褒められるようなことなのかどうかわからない。実力があるなら会社はもっと成長しているはずだ。佐久間という人物の真価を計りかねていた。
── 佐久間さんは理論家としては先見性を持った有能な人かもしれないが、実務家としてはあまり優秀ではないのかもしれない。
そんな気持ちも抱くようになった。
米田は大学で経営学を専攻し、マーケティングのゼミを取った。おかげで、統計も勉強することになり、データ処理のためにいつの間にかコンピュータを操り、プログラミングできるようになっていた。就職にあたって、Web開発やデザインの仕事につくことも考え、実際受けもしたものの、佐久間の言葉を思いだし、コンテンツビジネスに身を投じた。そして佐久間が予言したとおり、システムプロバイダとパブリッシャーの時代になった。
システムプロバイダとパブリッシャーの機能分化が進んだ後、なにが起きるのだろう。コンテンツクリエイターがビジネスの舞台でスポットライトを浴びることになるかもしれない。
そんなことが本当に起こるのだろうか? 起きるとすればAmazonやGoogleのビジネスモデルは変更を余儀なくされる。米田は勤務先のメデューサデザインのある、渋谷の道玄坂上のテナントビルに向かって歩きながら考えていた。
突然うしろから肩をたたかれ、はっとして振り向くと、ショートカットの美人が米田に向かって微笑んでいた。パンツスーツにシャツという出で立ちに凛とした顔立ちは、やり手のキャリアウーマンという印象を与えるが、人の心を溶かす極上の笑顔も合わせもっている。米田の所属するコンテンツ会社の社長だ。すでに40代半ばのはずだが、まったく年齢を感じさせない。
「米田さんは、ぼんやりしていることが多い。なにを考えているの?」
独特の抑揚のない、少し鼻にかかった声を聞くたびに少し緊張する。毎日、顔を合わせているのに、これだけは慣れない。人の心をくすぐるなにかがある。
「おはようございます。特になにかを考えているわけではないんですけど、仕事のこととか、これからのこととかなんとなく頭に浮かんでくるだけでして」
「いろいろなことに思いをはせるのはよいことです。でもね、道玄坂はある程度注意していないと、予想外のトラブルに見舞われることもある」
そのとおりだ。渋谷の道玄坂はいつでも人が多い。特に朝の出勤時間帯は混み合う。米田のようにぼんやり歩いていると突き飛ばされることもある。
「はあ、注意します」
「今日の配信分のニュースチェックは?」
話題は業務の話に移った。
「昨晩、だいたい終わらせたので深夜の情報をチェックするだけです」
米田は、ネットマーケティングに関するニュースサービスを担当していた。毎日、最新情報を確認し、海外提携先の記事をチェック、翻訳する。大きな儲けはないが、手法人の固定客がついているので、堅く利益を生んでいる。ルーティーンワークだが、日々新しいなにかが起きているという手応えがある。
3人のチームで仕事をしており、チーフの川崎はコンテンツと営業の両方について権限と責任を持っていた。川崎の下で実務を担当するのが、内山と米田だ。32歳の内山はある出版社の雑誌編集部からの転職、米田は新卒で入社した。
毎日必ずニュースを配信しなければならないのは、正直しんどい。なぜ、シフト制を敷くなど、もっと余裕のある態勢にできないのだろうと思うことも少なくない。自分の会社に限らず、コンテンツ制作者は常に時間や予算に制限のある仕事をしている。システムプロバイダもパブリッシャーもコンテンツなしには成立しえないはずなのに、どうしてなんだろう? それは米田がずっと抱いている疑問だった。
社に着くと、米田は社長室に入る社長と別れ、大部屋のコンテンツ制作室に入った。すでに内山が席に着いていた。IT系企業は朝遅くに出社し、深夜まで働いているイメージがあるが、この会社では午前10時始業で、時間厳守となっていた。時間との勝負とも言えるニュース記事を配信している以上、当たり前なのだが、それでも珍しいことには変わりない。米田は自席に着くと、すぐにニュース配信の準備を開始した。
午前中の配信を終えると、午後は明日の分のニュースのピックアップと編集だ。いつも夕方にはひと段落ついて、ほぼ定時に退社できる。
なぜ、ビジネスモデルには有料課金よりも広告が多いのか
その日の夕方、米田は就活中の大学の後輩の訪問を受けた。鈴木美浪(すずき みなみ)という、女の子と見まがうばかりのかわいい男の子だった。リクルートスーツに身を包んでいるものの、愛嬌がにじみ出ている。メールで訪問の依頼を受けたので、実際に会うのは初めてだった。鈴木は、コンテンツ制作会社に興味があって、米田を訪ねてきたのだと言った。
「コンテンツでもエンタメじゃなくて、どちらかというとビジネスよりのものに関心があります」
鈴木はそう言い、卒論でもコンテンツビジネスをテーマに取り上げたと自己紹介した。米田は鈴木の自己紹介と持参した卒論の1部を見て、よく調べていると驚いた。これなら初歩的なことは説明しなくてもよさそうだ。
「かなりよく調べているんだね。じゃあ基礎的な話は飛ばして、実務的な視点でのコンテンツビジネスを説明してあげよう」
米田はそう言うと、コンテンツビジネスの基本についてかんたんに話し始めた。
量産型の記事を乱発するほうがラクに儲けられる
米田がそこまで説明すると、鈴木は首を傾げた。
「でも……これからネットのコンテンツが主流になるってわかってるのに、なんで出版社は本気にならないんでしょう?」
「出版不況が続いているとはいえ、まだまだ十分甘い汁を吸える市場だからかな。デジタルコンテンツ中心になったら、そうはいかないことを知っているんだろう」
「ダメになることがわかっているのに、しがみついてるのって、往生際が悪いっていうんでしたっけ?」
「可愛い顔してすごいことを言うね。まあ実際そうなんだけど。でも、電子書籍はさほど売れないし、広告も紙の方が取りやすいときたら、及び腰になるのも仕方がないだろう」
「ということは、既存の大手出版社の間隙を縫って、先輩の会社が躍進できるチャンスってことじゃありませんか!」
「まあ、そうなんだけど、まだ市場は本格的に立ち上がったわけじゃないから、躍進ってほど儲からないんだ。たとえば……僕の仕事はニュースの制作だけど、うちみたいに有料でニュースを売る企業よりも、量産型の記事を乱発する企業のほうが圧倒的に多い。そして、おそらく楽に儲けられる」
「量産型の記事……ってなんですか?」
「量産型の記事がどういうものかというと……たとえば……そのねらいが、ヤフーに載るとか、ヤフートピックに取り上げられることにある記事、つまりアクセスを稼いで広告やアフィリエイトで儲けることにあるもののことだ。目にとまりやすいタイトル、テーマを単純かつ低品質、低予算で量産する。原稿料は記事1本あたり、数百円から数千円の範囲。とても記事を書くことで食えるような金額じゃない。結局、コンテンツビジネスの中で儲かってるのはゲームとかごく一部のものだけ。それ以外のコンテンツはアフィリエイトか、広告連動型のようなスポンサーつきのものでないと商売にならない」
コンテンツビジネスは確率戦
「夢のない話ですね。ふう……」
「ため息ついでもしょうがない。今のやり方がダメなら、ほかのやり方を考えればいいのさ……とはいってもずっとオレも考えてるんだけど、思いつかないわけだが」
「えっ、コンテンツビジネスってこれからもダメなんですか?」
「普通に考えるとそうだよね。それをわかったうえで、それでもなにかできる、やりたいと思うなら、このビジネスに挑戦してもいいんじゃないかな」
「そうですね……そういえばさっき電子書籍も儲からないっておっしゃってましたけど、1万部以上売れるものも出てきたって聞いたんで、そろそろ市場は拡大してたりしないですか?」
この子は思ったよりも頭の回転が速いと米田は思った。米田の言葉を短時間で理解して、突っ込みを入れてくる。
「コンテンツビジネスって基本は確率戦なんだ。一定の確率でどれかが当たって儲かる。売れるものを作り出すための決め手になる方法論がない。確率戦で勝利するためには、より多く、より幅広いコンテンツを、低コストで提供する必要がある。出版や電子書籍はその最たるもの。だれも『どれが売れるか』なんてわからない。たくさん出して当たったら、それをプッシュする。これまでの出版社も似たようなものだったような気もするけどね。だから、成功事例の裏には、無数の失敗事例がある。システムプロバイダやパブリッシャーなら失敗に耐えられるけど、コンテンツそのものを作っている会社はしんどい。ネットが普及してから、余計に『確率戦』だというのがはっきりしてきた。だから『コンテンツ制作コストをいかに低く抑えるか』というのは、きわめて重要な問題になってるんだ」
「出版社が人気ブログやボカロなんかを本にするのは、ネットを幅広いテストの場と考えているからなんですか?」
「結果として、そうなってる。自社でテストするより、ネットにある莫大な数のコンテンツの中から人気のあるものを拾い上げたほうが、リスクなくていい。『商品は二度売れる』ってのは、よく言われる言葉だけど、知ってるかな? 最初はコンセプトとプロモーションで、次は商品の力で売れる……リピートオーダーや口コミでの拡散のことだね。コンテンツも同じ。ネットでコンテンツクリエイターが自分でコンテンツを発表すると、そこでコンセプトテストとテストマーケティングが行われるようなものだ。一定以上利用者がつけば、パブリッシャーの商品化、投資の対象になってプロモーションが始まる。でも、出版社がリスクを恐れてるから、ちょっとヒットが出るとそこにどっといろんな会社が殺到して、あっという間に市場が食いつぶされるという事態も起きてる。ボカロ小説も、ヒットが出たおかげで、一斉に各社が参入して、一気にタイトルが増えた。その結果、大きなヒットが出にくくなる」
「なんか悪循環ですね。どうなっても、コンテンツ作ってる人はつらいだけ、みたいな……」
鈴木の言葉に米田は苦笑した。それこそまさしく、彼自身がずっと抱いてきた疑問なのだ。米田の脳裏に、佐久間の文章が浮かんで来た。未来を的確に予言した佐久間は、いったいこれから先をどのように予測しているのだろう? もちろん何度も佐久間に、これからのコンテンツビジネスについて質問したが、そのたびにはぐらかされてしまった。今朝会った時にも訊けばよかった。米田はメデューサデザインの社長、佐久間真茂留の顔を思い浮かべた。
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