2013年1月15日夕刻、
斜めから陽の差し込む会議室には、
だが、
「なんで、 そんな離れたところに座ってるんだ?」
宮内は立ち上がると、
「男性とふたりきりですので、 女子のたしなみとして距離をおきました」
ぴったりくっつけた膝頭の上に両手を置いたまま、
「それは冗談か?」
宮内は和田安里香をにらんだ。あきらかにいらだっている。短く刈った頭髪がぴりぴりと揺れる。この人はバリカンで頭を刈っているに違いないと和田は思った。
「ノーコメントです」
和田は宮内のいらだちに気づかない風を装い、
「まあいい。大声出すのも疲れるから近くに行くぞ。ただでさえ、 お前と話すと疲れるんだ」 「恐縮です」
和田はしおらしく頭を下げる。
「『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』 準備室ができたので、 そこの室長代理になってもらう。室長はオレだ。オレはやってるヒマないから、 室長代理に仕切ってもらうことになる」
宮内は和田の隣の席に腰掛けた。和田は、
「誰が室長代理になるんですか?」 「お前に決まってるだろ」
宮内は人差し指を和田に向かって突き出した。和田は一瞬、
「室長代理というと栄転ですか? 左遷ですか? というか、 網界準備室って社長の夢プロジェクトですよね?」
突然の命令に和田は困惑した。もっとも和田の場合、
「どちらでもない。横滑りってヤツだ。網界準備室は、 社長がネット業界に自分がいた証 (あかし) を残すために立ち上げたプロジェクトだ。予算は無制限と社長は言ってるが、 そんなことは私が許さない。網界準備室の予算は人件費をのぞいて500万円だ」
「それっぽっちじゃ、 なにもできませんよ」
和田は即答した。
「それでいい。中野ブロードウェイと秋葉原に行って適当にサブカルっぽいことを仕入れてくれば、 社長はごまかせるだろ。ネット企業の連中は、 サブカルっぽいのに弱いからな」 「中野ブロードウェイ? サブカル? そもそも今どきサブカルなんて言葉を使う時は、 うしろにカッコ笑いをつけないとダメです。それはそれとして……つまり、 宮内専務はこのプロジェクトに否定的というわけですね」 「歴史に残るネットの辞典なんか作れるわけないだろ。お前行って、 好きなことして、 お茶を濁してこい。各部署から選りすぐりのやっかいものを集めといた。適当にお守りして、 社長をごまかせる辞典を作れ」 「ああ、 はい。社長の無謀な野望を阻止し、 我が社の崩壊を止める重要な任務ですね。身が引き締まる思いです」
宮内が顔を近づけてきたので、
「お前、 なんで目を丸くしてるんだ?」 「こんな時、 どんな顔すればいいかわからないので」 「オレが “笑えばいいと思うよ” と言うと思ったのか!? これが関連資料だ。30分で支度して網界準備室に席を移動しろ」
宮内はDVD数枚を和田の前に置いた。和田は、
「私に選択肢はないということですね」
和田はDVDを手にして、
「断ってもかまわない。ただし、 今後オレの頼みを断った人物として扱う。意味はわかるな?」
宮内は凄みを利かせた声で答え、
「わかりません……ですが、 万障呑み込んでお引き受けいたします」
和田は即答した。わかりませんと言われた宮内は、
「では、 さっそく取りかかります」
実際のところなにもわかってはいないが、
“後の祭り”
和田は自席に戻ると、
気がつくと、
古里舞夢、
部署も違うし、
舞夢はきっちり10分間パントマイムを行うと、
「あの……あたし、 網界辞典準備室に異動になったんで、 次にパントマイムする時はそっちに来てください」
すると舞夢は満面に笑みをたたえて振り返ると、
「和田ちゃん、 異動になるんだ」
舞夢の姿が視界から消えると、
「宮内専務から直々に言われたから」
和田は荷物を整理しながら答えた。
「古里さん、 和田ちゃんのこと好きみたいだね。大丈夫? 怖くない?」
近くの女子社員が心配そうに和田に尋ねた。
「怖いだなんて……古里さんは異世界のお友達ですよ」
和田は、
- 和田安里香
(わだありか) - 網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、 どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、 自分の趣味のプロジェクトを開始した。
- 宮内亮一
(みやうちりょういち) - サイバーシンジツ専務取締役社長室長兼網界辞典準備室長 おもしろみのない実務家
年齢38歳、
身長172センチ、 体重76キロ。社内随一の切れ者。常に金勘定を怠らない。成田の暴走を止められる数少ない人物。筋肉質。いつもトレーニングを怠らない。