和田は、
窓は広く渋谷の街を一望できる。ただし、
荷物を載せた台車を押して和田が部屋に入ると、
「こんにちは」
和田は、
「室長代理の和田です。詳細は明日、 ご説明しますね。あたしもさっき宮内さんから言われたばかりなんです」
和田は明るく笑顔で言おうかと思ったが、
「はあ……」
3人は気の抜けたような声を出すと、
静かな人たちだな……社会適応能力は低そうだけど、
「どなたか、 ツイッターをお使いですか……鍵付きアカウントの中身やDMを見られてしまう脆弱性があるのでご注意になった方がいいと思います」
むやみやたらとソーシャルネットワークを使うんじゃない、
「えっ……」
長髪の女性が声を上げた。和田は、
「私もそう思ってたところなんです……やっぱりそうでしたか……」
女性はそう言うと、
その日は、
翌朝、
入り口に背を向けて腰掛けているせいか、
「誰も知っている人間がいないなんて素敵じゃないか。自由だ」
一瞬、
「おはようございます。朝から独り言ですか?」
言ってから、
「お、 お、 おはようございます。聞かれていただなんて……私の好きな言葉です。私には言えないセリフですけど。しかたがないじゃないですか、 他に人がいなかったんですもん」
この人はちょっと面倒な人かもしれない、
「初めまして、 和田です」 「あ……倉橋です。おはようございます」
それから和田は席に腰掛けると、
「倉橋さんは、 気を遣う性質ですよね」
和田がキーボードを叩きながら、
「はあ。あまり遣いたくないんですけど……人に嫌われるのが怖いんです」 「あまり気にしないほうがいいですよ」 「私もそう思ってたところなんです……でも、 時々気になって仕方がなくなるんです。そうなると自分でも止められなくなって、 ハッキングしてしまうんです」 「え? どういうことですか?」
和田が驚いて手を止めた。
「私の悪口を言いいそうな人のパソコンにあらかじめバックドアを仕込んであるんです。メールの内容をチェックします」 「そんなことしてるの?」 「就職した時からやってます。今年で4年目になります」 「レッドオクトーバー作戦みたいね。でも、 誰も悪口なんか言ってないでしょ」
レッドオクトーバー作戦とは、
「……表向きはそうです。きっと私に盗聴されていることに気づいて、 こっそりどこか別のところでしてるに違いありません」 「みんな、 そんなに倉橋さんのこと気にしてないと思いますよ」 「ネグレクトですか!? それは一番ひどいイジメです」 「気にしすぎですってば。でも、 あたしにハッキングのこととか話してよかったの? 秘密なんでしょ」 「和田さんは、 私の悪口言わないそうだから……裏切らないでくださいね」
そう言うと倉橋は、
和田は連想を断ち切った。ここは神聖な職場だ。
「そうありたいものです」
和田は目をディスプレイに戻した。その後も倉橋は黙ってじっと和田の横顔を見つめていたが、
「和田さんの横に、 なにか見えるんですけど、 もしかして私だけにしか見えていないんでしょうか?」
来た! と和田は思った。この人には私たちとは違うものが見えているに違いない。それでもいちおう和田は、
「見えてますよ」
倉橋の言う
「……見えているのに平気なんですか?」 「いつものことなので」 「いつもなんですか?」 「1日に1回か2回くらいですね。それぞれ十分くらいです」 「毎日、 あんなことしてるんですか?」 「はい」 「なぜ平気なんですか?」 「実害ありませんから」
和田は、
「わからない……私には和田さんがわからない。私なら怖くて発狂してしまいます」 「そっちのほうが怖いです」
この人は自分の狂気にまだ気がついていない。和田はパソコンの業務日誌に
今週登場したキーワード 気になったらネットで調べて報告しよう!
- 「誰も知ってる人間がいないなんて素敵じゃないか。自由だ」
- 「ツイッターの脆弱性 鍵付きアカウント DM 中身丸見え」
- 「ヘイセイカタクリズム」
- 「レッドオクトーバー作戦 日本もターゲット」
- 「ムカデ人間2 マーティ」
- 倉橋歪莉
(くらはしわいり) - 法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、 誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、 フラストレーションがたまりすぎると、 爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では 『裸の王様成田くん繁盛記』 というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」。
- 水野ヒロ
(みずのひろ) - 網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、 体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、 最近自分の人生に疑問を持つようになり、 奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に 「そんなことは誰でも思いつきますけどね」 などと口走るようになり、 打ち合わせに出席できなくなった。
- 内山計算
(うちやまけいさん) - 網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、 体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
- 古里舞夢
(ふるさとまいむ) - 年齢36歳。身長165センチ、
体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、 和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。