出社した和田は、
慶大卒。営業一部の腕利き営業マン。この会社の数々の有名プロジェクトを陰で支え、
ヒマなときには高野くんの話も楽しいが、
「この間も社長に呼ばれて意見をきかれてさ。困っちゃったよ。いちおう僕のわかる範囲で教えてあげたけどね」
高野くんは和田と目を合わせず、
『ダンスダンスデカダンス』
ふと気がつくと、
一心不乱にしゃべり続ける高野くんと、
始業時間少し前に網界辞典準備室に和田が入ると、
「おはようございます」
そう言って、
自分の着ている鮭をモチーフにしたスーツに驚いているのかもしれない。カナダのファーストネーションのデザインだ。香水のせいだったら嫌だな、
「あたし……なにも見てませんから」
席に着くと、
「見てたでしょ。あたしと高野くんが話しているところ」
この人は、
「普通じゃなかったです」 「高野くんがね」 「……和田さんはヘッドセットをしてました。おかしいです」 「高野くんはしゃべりたかったし、 あたしは歌を聴きたかった。だからそうしていただけです。倉橋さんは立ち止まっていたいわけでもないのに、 立ち止まってました。おかしいのは倉橋さんだと思います。違いますか?」
和田がさらりと言うと、
「……あたしもそう思っていたところです。あっ、 また言ってしまった」 「一回言うたびに額に 『肉』 って書きましょうか?」
和田がそう言うと、
「あなたは霊能者ですか?」 「なんの話です?」 「私が高校時代、 額に 『肉』 ってマジックで描かれていたことをなぜ知っているんです?」
さすがの和田も、
「毎日教室に入ると、 誰かが私の額に 『肉』 って描くんです。当番まで決まってました。肉当番です」
不覚にも和田は
「ああ、 よかった。冗談だったんですね」
和田が笑いながら、
「なにを言ってるんです。冗談なんかじゃないです。ほんとに肉当番がいたんです」
歪莉はむきになって言い返した。
「倉橋さん、 受けたからって何度も繰り返すとつまらなくなりますよ。あたしは倉橋さんにつまらない大人になってもらいたくありません」 「私はもう大人ですよ」 「残念ですけど、 この部屋にいるのは全員子供です。自覚なしに年齢だけ重ねた醜い子供たちです。ここは大人の 『いやいやえん』」 「……醜い子供」 「“私は大人にはならなかった。ただ醜く年をとっただけだ” ……不世出のSF作家R・ A・ ラファティの言葉…あたしの座右の銘です」
そう言うと和田は立ち上がった。部屋の空気はあたたまった。そろそろいいだろう。全員の視線が和田に集中する。さすがに緊張する。身体の奥から、
「みなさんも立ってください。本室の発足に当たり簡単ですが、 抱負を申し上げたいと思います」
和田が平静を装って、
「和田安里香です。昨日付で網界辞典準備室長代行を拝命いたしました。常務の宮内さんが名目上の室長ですが、 他の業務でお忙しいため、 実務は全てあたしに一任されております。この室の一員である限りは、 あたしに従っていただきます。高邁かつ遠大な計画の実現めざしてがんばりましょう」
和田は無表情のまま、
今週登場したキーワード 気になったらネットで調べて報告しよう!
- 『ピンクフラミンゴ』
- 『ダンスダンスデカダンス』
- ファーストネーション
- ブルーオム
- 『いやいやえん』
- R・
A・ ラファティ
- 和田安里香
(わだありか) - 網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、 どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、 自分の趣味のプロジェクトを開始した。
- 倉橋歪莉
(くらはしわいり) - 法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、 誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、 フラストレーションがたまりすぎると、 爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では 『裸の王様成田くん繁盛記』 というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」。
- 水野ヒロ
(みずのひろ) - 網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、 体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、 最近自分の人生に疑問を持つようになり、 奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に 「そんなことは誰でも思いつきますけどね」 などと口走るようになり、 打ち合わせに出席できなくなった。
- 内山計算
(うちやまけいさん) - 網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、 体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
- 古里舞夢
(ふるさとまいむ) - 年齢36歳。身長165センチ、
体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、 和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。