『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第8話 『Enemy of the State』~Googleが世界を征服する? バカなことを言わないでください。彼らはとっくに世界を手に入れているんです

けだるい初夏の昼下がり。仁王立ちした篠田は、さきほどから微動だにせず、じっと黙っている。まるで死に臨んだ若山富三郎のようだと和田は思った。

20名を収容できる部屋には、教室形式に机が並べられ、正面には天井からスクリーンが垂れている。篠田の前の机の上に置いたプロジェクターから投射される白い光は霊界から湧いてくるエクトプラズムに見える。

  • 「篠田さんのことだから、Googleが世界征服をたくらんでるとでも言い出すんですかね」

水野がシニカルに唇を歪めてつぶやいた。軽口のつもりらしい。この間プライドをたたきつぶしたはずなのにまだイケメンづらを続けている。いまいましい、と和田は思った。歪莉が心のケアなどするから、復活してしまった。

  • 「……ふっ」

篠田は水野の軽口を鼻で笑ってスルーした。同時に部屋の灯りが消え、部屋は薄闇に覆われ、プロジェクターの発する光が、篠田の姿をホラー効果ばつぐんに浮かび上がらせる。己の正義を確信した歪んだダークヒーロー。和田の視界に『B-CLASS HEROES』のOPが再生される。闇に浮かぶ桜の紋章。

  • 「篠田さん、全員そろっています。どうぞ始めてください」

和田が声をかけると、篠田は無言でうなずいた。それからおもむろに、懐からGoogleGlassを取り出す。

  • 「Googleが世界を征服する? バカなことを言わないでください。彼らはとっくに世界を手に入れているんです」

篠田が、モロボシ・ダンがウルトラアイを装着するような大げさはジェスチャーでGoogleGlassをかけるとスクリーンにデータが流れ出した。すべて0と1のバイナリデータだ。せめて16進にしてほしいと和田は眉をひそめた。

  • 「GoogleGlassをかけている間、私はGoogleの情報奴隷のひとつになります。私の見ている画像や位置データはGoogleのサーバに送られ、彼らが世界を監視把握する歯車になるのです。ご覧なさい。表示されているのがそのデータです。そして現在において、データとは私自身でもあるのです」

  • 「……すべてのネットワークサービスは、サービス提供業者と利用者の相互扶助の元に成り立っている。利用者は情報を無償で提供し、その対価として無償でサービスを利用する。当然のこと」

そう言う内山の顔は、手にしたタブレットの光に照らされて水死体のように仄白い。

  • 「違います。利用者が提供しているのは情報という名の人生です。情報社会において、個人は情報により識別され情報により同定されます。現代において個人は情報を得るために働き、得た情報を提供してサービスを受けるのです。そして多国籍企業は情報帝国主義で世界を手にする」

ガチだな……と和田は思った。普段の温厚な姿は微塵もない。目が据わっている。自己開発セミナーにはまったSEやマルチ商法の手先の目つきに似ている。脳内に花咲く自己満足と妄想の楽園。

  • 「Googleがなぜ高速インターネットのプロバイダ事業を始めたと思っているんです? 彼らはネット上のすべてを把握しようとしているんです。端末と通信網、そして国家すら手中におさめようとしている」

  • 「国家?」

さすがの和田も首をひねった。Googleが国を買ったという話は聞いたことがない。

  • 「元Google社員のパトリ・フリードマン(ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンの息子)が中心となったグループは新しい国を作ろうとしています。もしもこれが成功すれば、たくさんの人間が移住するでしょう。もちろん、Googleの本社もここに移動するでしょう」

篠田は右腕を振り上げた。その姿は盾の会で演説する故人を彷彿させた。見かけは力強いくても、しょせんは蟷螂の斧、Androidのアンチウィルスソフトだ。役に立たないことおびただしい。

和田の身体の奥がきゅっとしまり、甘い匂いが噴き出した。和田は、ドンキホーテが好きだ。激安品とがらくたを山積みにした店舗ではない。妄想で作り出した巨神兵に、竹槍で挑む愚かな詩人が好みだ。恋をしてしまうかもしれないと和田は思った。

  • 「ソーシャルネットワークは、Googleを始めとする多国籍IT企業の情報帝国主義の先兵なのです」

篠田宰は止まらない。

  • 「レイセオンの国民行動監視システム……VUPENのビジネスモデル……FinFisher……ドローン……Bitcoin……世界は、政府、多国籍企業そして市民の三極構造になります。領土、通貨、暴力装置を失った国家は、もはや風前のともしびです」

もはや誰もついていけない。篠田の独走状態だ。自分でも何をしゃべっているのかわかっていないだろう。破滅しかない思考に取り憑かれている男は魅力的だと和田は思う。

アノニマスは懲罰的、Wikileaksは破壊的、サイファーパンクは自暴自棄。悪者をこらしめても社会は変わらない。社会を破壊してもよりよい社会を再構築できるとは限らない。いずれこの世は袋小路。正義の味方は自己矛盾。篠田の唱える平坦主義も、一皮めくれば引かれ者の小唄なのだ。

  • 「私……怖いです」

倉橋歪莉が血の気の失せた顔で、和田ににじりよってきた。そろそろ潮時と和田は判断した。

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  • 「素晴らしい発表でした」

篠田の熱弁はまだ続いていたが、和田は強引に割って入った。だが、篠田は止まらない。和田は立ち上がると拍手を始めた。他の室員も同じく立ち上がって拍手し始めた。狂気のひとりTEDと化した篠田をこの程度で止められるとは思わないが、和田に策があるかもしれないと淡い期待にすがっている。

案の定、篠田はかまわずしゃべり続けている。だが、その時会議室の扉が開いて多数の社員がなだれ込んできた。全員、笑いながら拍手している。そして口々に「おめでとう」と篠田に声をかける。さすがの篠田も硬直した。

  • 「本日の発表は、ここまでです。篠田さん、お疲れ様でした」

和田がダメ押しでそう言うと、篠田は力なくうなずいた。その姿を見た和田は、胸がときめいた。サイバーテロリストは現代の詩人だ。詩人の仕事は世界の再構築……いや再構築しようとして果たせず慚愧の中で死ぬこと。和田は、ため息をついた。

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  • TED
  • 「おめでとう」
和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ、体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、自分の趣味のプロジェクトを開始した。
倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、フラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです⁠⁠。
水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、最近自分の人生に疑問を持つようになり、奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり、打ち合わせに出席できなくなった。
内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
篠田宰(しのだつかさ)
実例担当
年齢44歳、身長165センチ、体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。

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