『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第11話 『Kin-dza-dza!』 倉橋歪莉の終焉 “血まみれでも君は美しい”あるいは“はこだてイカマイスター認定”

前回狂気のダンシングプレゼンテーションを繰り出した倉橋歪莉は、他の部署の人間まで引き寄せ、さらに踊り続けるのでした。

  • 「ねえ、すごくいい匂いがするんだけど」

廊下から漏れてきた声で和田はやっと気づいた。さきほどからの歪莉のプレゼンの衝撃で、自分の体内からいつもの香気が立ち上っていたのだ。沈香の臭いが会議室と廊下に充満している。和田の体臭は嗅いだ者を性的に興奮させる効果がある。これもまたこの異様な空間を作っている要因のひとつかもしれないと和田は思った。

  • 「じゃーん! 次はこれだよーん」

歪莉がそう言ってボストンバッグから取り出したのは、自作の巨大サイコロだ。段ボールをガムテープでつぎはぎして作った禍々しいしろもの。小堺一機が持つと楽しく見えるサイコロが、歪莉の手にかかると親への恨みを抱いて死んだ子供の生首にしか見えなくなる。

  • 「なにが出るかな? なにが出るかな?」

昼の番組でおなじみになった。あのかけ声だ。巨大なサイコロは、ころころと転がり、壁にぶつかって止まった。歪莉は、走り寄って、サイコロを持ち上げる。

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  • 「ありえない話! 略してアリバナ!」

サイコロの目を笑顔でみんなに見せてから、突然怒りの形相に変わると床にたたきつけ、すごい勢いで踏んづけた。ボコっと音がして段ボールが破れる。

  • 「答えるわきゃないだろ。ボケが!」

鬼神のごとき表情で、何度も何度も繰り返し踏みつけて段ボールのサイコロをバラバラにした。さすがの和田にもなにが起きているか、さっぱりわからない。わかるのは、滅多に見られないものを見ているということだけだ。

和田は、一度だけ似たような現象を目にしたことがある。開発部門にいたとき、入社したての男性社員が笑い出した。いつまで経ってもくすくす笑い続ける。周囲がさすがにおかしいと思い始めたとき、その社員はにこにこ笑いながら「笑いが止まらないんですけど、どうすればいいんでしょう?」と尋ねた。目は笑っていなかった。滝のように涙をダダ漏れさせ、悲痛な色をたたえていた。あのときの彼は、和田の手の届かない場所に行ってしまった。噂によると、東京郊外の誰も知らない街で花を育てて暮らしているという。

  • 「はーい。手拍子ー」

歪莉は、両手を頭の上で叩き始めた。和田を始めとする準備室の一同は誰も手を叩かなかったが、歪莉のバックダンサーの舞夢や若年寄、それに廊下の観衆は手拍子を取りだした。想像以上の人数が廊下にいるらしく手拍子は会議室をゆるがした。そのリズムに乗って歪莉が身体をくねらせ、顔をつきだす。

  • 「倉橋ちゃんはね。時々、みんなに病気って言われるけど、お医者さんには絶対行かないんだよ。なんでかな? なんでかな?⁠

歪莉は、戦場を舞う上杉謙信のように喜々としている。和田は、プレゼンが終わった後、歪莉がこちらの世界に戻ってこれるのだろうかと心配になった。

  • 「だってお医者さんに行って病気ですって言われたら公認でしょう。自民党公認とか、はこだてイカマイスター認定とはわけが違うんですよ。公認されたら、どうしようもないじゃないですかあ」

歪莉は、両手両脚を激しく振って踊りながら甲高い声で笑ってみせた。もちろん、見ている者は誰も笑わない。だが、相変わらず手拍子は続き、かすかにすすり泣きの声も聞こえてくる。歪莉のプレゼンに感動して泣いているのかもしれない。

  • 「だからね。倉橋ちゃんは毎日ツイッターを見て、とっくの昔に公認されたり、免許皆伝になってしまった人のツイートを見て、ほっとしてるんですよー。ソーシャルネットワークって楽しいよね」

そこでぴたりと、歪莉の動きが止まった。そしてその場に崩れるようにしゃがみ込み、フードをはずした。ばさりと黒髪が広がる。どうやら終わったようだ。遠くで救急車のサイレンが聞こえる。もしや誰かが気を利かせて呼んだのだろうか?  それは困る、歪莉を入院させるわけにはいかない、と和田は身構えたが、そうではなかった。どうやら廊下で病人が出たようだ。

うずくまったままの歪莉をそのままにして和田が廊下に出て見ると、ラッシュアワーの埼京線のように混み合っていた。あまりにも人が多すぎて、なにが起きているかすぐにはわからない。

  • 「道を空けてください」

そこに白衣の男たちが担架を持って現れた。

  • 「妊婦はどちらですか?」

どうやら妊婦が産気づいたらしい。どんつく太鼓を叩く音がする。このカオスはなんだろう、と和田は非日常空間と化したブラックIT企業の廊下をじっとながめた。泣く者、叫ぶ者、感動を語り合う者、壁に向かって嘔吐している者、それをコーヒーサーバーで受ける者、腹を抱えて爆笑しているもの……。歪莉の踊りは、短時間に異空間を作り出してしまった。

和田が会議室に戻ると、ハンパイケメンの水野が歪莉にコートをかけて背中をなでていた。歪莉の細い脚はだらしなく床に投げ出され、汗でまだらとなった白い服。白濁人形の様相を呈している。

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内山計算は、蒼白な顔でがたがた震えている。論理を逸脱した歪莉の行動を見てパニックを起こしているようだ。

  • 「⁠⁠血まみれでも君は美しい⁠……と声をかけてあげたいですな。あるいは⁠俺は今、猛烈に感動している⁠とベタに言うべきかもしれません。それとも⁠愚民どもにその才能を利用されている者が、言うことか!⁠と反発するのもありですな」

篠田が、和田の横にやってきてつぶやいた。まったくその通りだと和田も思う。満身創痍になりながらも、自爆プレゼンを完遂した歪莉は無敵だ。無敵であることになんの意味も価値もないところが、さらに素晴らしい。期せずして脳内に『炉心融解』が響き渡る。和田のもっとも好きな歌だ。

和田は、しゃがんだままの歪莉のもとに歩み寄った。顔を上げた歪莉は、すでにふだんの臆病で陰気な女に戻っていた。ウェルカムバックいじめられっ子。

  • 「倉橋さん、素晴らしいプレゼンでした。あなたを見くびっていました。これほどまでの才能をお持ちとは……自分の不明を恥じます。これからも断崖絶壁の三叉路ばかりの人生を貫いてください」

和田はこの映像をいつニコニコにアップしようか考えながら、歪莉に右手を差し出した。できれば廊下の状況の映像もほしい。あとで監視カメラをチェックしよう。

  • 「貫きたくはないんですけど……でも、ありがとうございます」

歪莉はゆっくり立ち上がると、おそるおそる和田の手を握った。歪莉の両の目から涙がこぼれ落ちる。感極まった歪莉はそのまま和田にしがみつくと、幼子のように号泣し始めた。和田は一瞬大外刈りをかましたい衝動にかられたが、身体がしびれたようになって動けなかった。身体の奥から香りが立ち上る。

  • 「オレ、次に会ったらお前と結婚すると思う」

遠い夏の日。転校を翌日に控えた、幼なじみの男の子が言った言葉が耳に蘇る。蝉時雨の夕暮れ。和田は校庭を走って帰った、真っ赤な顔で立ちつくす男の子を置き去りにして。

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  • 俺は今、猛烈に感動している”
  • 愚民どもにその才能を利用されている者が、言うことか!”
和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ、体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、自分の趣味のプロジェクトを開始した。
倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、フラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです⁠⁠。
水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、最近自分の人生に疑問を持つようになり、奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり、打ち合わせに出席できなくなった。
内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
篠田宰(しのだつかさ)
実例担当
年齢44歳、身長165センチ、体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。
古里舞夢(ふるさとまいむ)
年齢36歳。身長165センチ、体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。

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