『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第25話  『KG カラテガール』ウェアラブルデバイスからの監視を逃れるニセ身体信号送信プログラム。悪魔は、いつも天使のふりをして現れる。オタサーの姫がいい例だ。

帰社すべく会社を出てしばらく歩いたところで尾行されていることに気がついた。顔は正面を向いたまま、オレンジ色に染まった町並みをながめ、手頃なガラス窓を見つけて、さりげなく後方を確認する。尾行者は巧みに人陰にまぎれていたが、和田はなんなくその姿を発見した。小柄な革命家、偽りの平和日本に舞い降りたうたかたの戦士、平坦主義者だ。

  • 「ロベスピエールの顔は、童貞の柔道部員みたいだったそうですね。いつでもリアルは残酷です」

和田は、革命家なら誰しも動揺するはずの言葉をさりげなく口にした。美化されていたロベスピエールだが、近年の研究で実はそうでもなかったことがわかってきた。離れているが、あの男なら読唇術で理解するはずだ。

  • 「そんなはずはない」

案の定、夢を破られた悲痛な叫びが後方で響いた。あまりのわかりやすさに、和田は噴き出した。立ち止まり、振り向く。渋谷の街に横たわる白鯨、マークシティに集ったジャンクな店の間にあふれるクズな社会人の間から、白髪混じりの初老の男性が姿を現した。

  • 「いつから気づいていたんですか?」

網界辞典準備室最年長室員である篠田宰は、気弱そうな笑顔を浮かべる。油断してはいけない。人畜無害で温厚のように見えても、その本質は世界を混乱のるつぼに陥れる革命家集団平坦主義の一員なのだ。悪魔は、いつも天使のふりをして現れる。オタサーの姫がいい例だ。

  • 「会社を出た時から」

人混みにかすれる夕日を浴び、和田は篠田を眼鏡越しに見据える。コミュ障ながらもいざという目力には威力がある。大きな瞳に篠田の細い身体が映る。

  • 「私も焼きが回ったもんですな。素人のあなたに気づかれるとはね」
  • 「なんのご用です? 室員である篠田さんには淑女のように接したいと思っておりますが、それには時間制限があります」
  • 「就業時間以外は、⁠他人の関係』というわけですか。つれないキャバ嬢のようなことをおっしゃる」
  • 「用件によります」
  • 「ふむ……現象学少女に、私の言語視野にダイブしていただくのはご遠慮いただきたい」
  • 「そうはいきません。これは室長である私の決めたことです。従っていただきます。篠田さんと私の間には、金井克子と一青窈くらいの違いがありそうですね」
  • 「プライバシーという概念をご存知ですか?」
  • 「太古の昔から日本にはなかったものですね。民主主義と同様に、誰も正しい定義を知らない」
  • 「あなたは、まるで我々のような物言いをする」

和田はくるりと身体の向きを変え、駅に向かう道を歩き出した。篠田があわてて、その横に並ぶ。

  • 「込み入った話になりそうですね。仕方がありませんので、チアーズに寄りましょう」

ストリップ劇場やいかがわしい飲み屋が軒を連ねる一角に、チアーズという至極まっとうなバーがある。和田は篠田の返事を聞かずに、その店に向かう。

日の落ちきらないバーは間が抜けて見える、と思いながら和田は、篠田の説明を聞いていた。

  • 「端的に申し上げると、私の頭の中には、過去と現在進行中のさまざまなテロ計画が入っています。それを見られては困るのです」

大概にしろよ、テロリスト、と和田は頭の中で篠田の横っ面を張り飛ばしていたが、リアルでは臆面にも出さず、穏やかな表情を保った。

  • 「秘密は守りますよ」

和田は、目の前に置かれたマティーニの中に沈んでいるオリーブを見つめる。

  • 「口約束など信用できません」
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篠田がそう言うだろうことはわかっていたが、篠田も和田が拒絶することは承知の上のはずだ。

  • 「だが、私はしがない宮仕えの身。室長に抗ってもしかたない。どうぞ、ご自由に私の言語視野にお入りください。ただし、そこにはジャミングプログラムがあることをお伝えしておきます」
  • 「ジャミング?」
  • 「私の身体には、あらゆる監視システムに対する防御機構が組み込まれています。通常モードでは、あらゆるエクスプロイトを透過させ、検知も侵入も不可能にします。現象学的還元のような破壊強度の強いものに対しては迎撃します」

和田は思わず、アルベルト・ハインリヒ(004)を連想した。

  • 「なにをおっしゃっているのかわかりません」

とぼけたわけではない。監視システムは、人間の身体の外のもの、PCやスマホやあるいは監視カメラを介して人を監視するものだ。体内に仕込んだシステムで、それを防御できる仕組みが理解できない。

  • 「ウェアラブルデバイスや物理的接触を通して送られてくるエクスプロイトに対してニセの身体信号を送ります。視界も心拍数も発汗も偽ることができますし、指紋や虹彩も変えられます。義体化しているわけでありません。サイバー義体とでも言えばわかりやすいでしょうかね」
  • 「なんですって?」

そんな素敵なシステムは、攻殻機動隊にも出てこない。そもそも生身の人間にそんな装置を組み込めるのか? 和田はしばし言葉を失った。

  • 「現象学的還元に対しては、リバースカフカアタックという防御機構を用意してあります」
  • 「ちょ、ちょっと待ってください。現象学的還元は、実装されたことなどないはずですから、対抗手段は開発できないと思います」
  • 「理論上の可能性があれば、我々は対抗措置を用意します。常に一手先打っているのです」
  • 「ひどく無駄な投資に思えますが……」
  • 「しかし現象学的少女は、もうすぐ実現するんでしょう? それがわかってから開発したのでは、間に合わなかった」
  • 「なるほど……おもしろい。内山さんとの戦いになるわけですね。事前に私に話すべきではなかったのではないでしょうか? 私は内山さんに話しますよ。彼は、リバースカフカアタックを回避するでしょう」
  • 「それこそ、望むところです」

篠田は自信ありげに微笑んだ。

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2014年9月29日、サイバーミステリーに関するイベントを開催いたします。

お申し込み等、詳しくはこちらから↓

サイバーミステリの楽しみ 第一回
http://cybermystery01.peatix.com/
日時2014年9月29日 19:00~20:30
場所株式会社技術評論社(市ヶ谷)
講師一田和樹、遊井かなめ
和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ、体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、自分の趣味のプロジェクトを開始した。
倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、フラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです⁠⁠。
水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、最近自分の人生に疑問を持つようになり、奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり、打ち合わせに出席できなくなった。
内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
篠田宰(しのだつかさ)
実例担当
年齢44歳、身長165センチ、体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。
古里舞夢(ふるさとまいむ)
年齢36歳。身長165センチ、体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。
綴喜堕姫縷(つづきだきる)
容姿は女性、性別は男性。身長172センチ、体重52キロ。
年齢不詳。カナダ、UBC大学卒業。文化人類学専攻。英語とロシア語が堪能。宮内専務の秘書。その前は、バンクーバー支店長の秘書をしていた。
妖艶な美女。独特の雰囲気で見る者を魅了する。サブカル、特に昔のマンガにくわしい。バンクーバー支店で採用したため、本社には詳細な人事情報がない。

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