こんにちは、グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
前回に引き続き、今回もわたしの絵筆が「あれ?この絵、前にも描いたぞ」と覚えのある現象の1つをご紹介します。
「風鈴」がチリリリ~ンと鳴っている絵
今回は「風鈴」の絵です。下の絵はかなり雑な絵で恐縮ですが、一応「風鈴」のつもりで描いた絵です(右の写真では小さくてわかりづらいかもしれませんが、右下に描かれている、 かき氷屋さんの旗のそば に風鈴の絵があります)。
「風鈴」がチリリリ~ンと鳴る絵は、よく描いてしまう絵の1つです。職場で、風鈴が鳴るほど冷たい風が吹いていそうな感じがして。この理由から、冷たい水色で描いています。その短冊には、「職場、冷えてます」と、思わず描いてしまいます。昔、としまえんの広告で見た「プール冷えてます」を真似てみました。短冊の文字はそのときによって少しずつ違います。「冷」「cool」「冷めてます」などなど。この風鈴のそのばにいるヒトたちの表情は共通して「我、関せず」という感じで、だれにも目をあわせない、伏し目がちなヒトの絵ばかりが描けます。
風鈴の絵が描けたのは、ビジョン会議や研修、ワークショップなど形式は違いましたが、いずれもテーマは「組織風土改革」や「職場のコミュニケーションの活性化」といったときのものでした。
- 「職場がとても静かだよね」
- 「会議でもみんなおとなしい」
- 「メンバーのほうから質問に来ない」
- 「いい意味でも悪い意味でも、みんな真面目」
- 「部下が何を考えているのかわからない」
- 「何を言っても伝わっていない感じ」
- 「指示待ち」
- 「上司は忙しそうで相談しにくい」
- 「だれも教えてくれない」
- 「社員に元気が無い」
- 「やる気が感じられない」
そんな発言が聞こえてきたときは、社内にこんな「風鈴」を思わず描いてしまいました。居る社員もなんだか寒そうで、ぶるぶる震えているヒトたちも描けてしまいます。みんな、ますますその場から動けなくなっている感じです。
そこで、冷えた職場をどうにかしようという議論で、 それぞれの企業や組織でいろんなアイデアが聞こえてくるわけですが、 共通してよく描く絵を次に1つご紹介します。
ガラス張りでよく見える「たばこ部屋」の絵
ある会議で聴こえてきた、たばこを吸わない人たちからの発言で描いたのが下の絵です。
この絵は、企業のオフィスの一角にある喫煙ルーム「たばこ部屋」です。ちょっとわかりにくいですが、これは「ガラス張り」の「たばこ部屋」です。たばこを吸わない人にも「見えている」というのがポイントです。
意外にも、たばこを吸う人たちから「うらやましい」「なんだか楽しそう」「たばこを吸わない人にもああいう空間が欲しい」という声が聞こえてきて喫煙ルームを描くことが多いのです。
もちろん、たばこを吸う人からの、たばこ部屋のメリットもたくさん発言が聞こえてきます。
- 「たばこ部屋の何気ない会話がいいんだよね」
- 「たばこ部屋で結構、仕事の話をしている」
- 「たばこ部屋で知り合いになったおかげで仕事がスムーズになった」
そうなると、たいてい、たばこを吸わない人のための「たばこ部屋」に代わる「場」づくりのアイデア議論になります。
- 「喫茶コーナーにカウンターとテーブルを置こう」
- 「窓際の一角がそういうスペースになっているといい」
- 「打ち合せスペースをいっそフロアの中心にもってくるとか」
- 「社内SNSを活用する手もあるのでは」
- 「いっそクラブ活動を復活させてもいい」
アイデアはどんどん広がっていきます。他社事例を参考にしながら、みなさんとっても楽しそうです。いろいろな方法論、アイデアが聴こえてきます。
「うらやましい」「いいなあ」のポイントって?
でも、そのとき、わたし絵筆は迷っていました。「ちょっと待てよ」と。どのアイデアもどれも面白そうだけど、「たばこ部屋ってうらやましい!」という声を聴いて描いたあの絵が目の前にあるわたしには、「うらやましい!」と言った人の感じたこのシーンと、どうもそこに並ぶアイデアの「いいな」と感じるシーンがズレているような気がしてなりませんでした。改めて「たばこ部屋」の何がうらやましいと思ったのかな、と気になってしまいました。
「たばこ部屋」の魅力といえば、目の前の仕事からちょっと離れられる時間と空間。「たばこを吸いたい」という共通の思いだけで、まったく違う部署や役職、年次の人たちと顔を会わせられる偶然性。「たばこを吸ってほっとしたい」「たばこを吸って頭を空っぽにしたい」「たばこを吸って一人で考え事をしたい」といろいろあっても、結果として知らない人や違う組織の人とつながれる空間は魅力的です。
でも、絵巻物の前に立っているわたしとしては、描いたばかりの「たばこ部屋」の絵を眺めていると、見えてくるのは「ガラス張り」というところも1つの大事な要素かも、ということでした。
たばこを吸わない人が「うらやましい!」と思ったのは、その「たばこ部屋」が外から見ても楽しそうな空間としてよく見えたからでした。もしこれが見えない一角にある「たばこ部屋」だったら、逆にここまで「たばこ部屋」の格付けは高くなかったかもしれません。「ガラス張り」であることが、ここ以外の「たばこ部屋」議論で使えるとは思っていませんが、このときの議論では「外せない1つの要素だと思う」ことを伝えて終りました。
「うらやましい」「いいなあ」を、目を閉じて想像してみる
ふだんの会議と、グラフィックという第三の目線を導入したときの会議の見え方との違いはこういうところではないか、と思っています。ふだんの議論では「たばこ部屋」という単語に焦点が当たって、「たばこ部屋」という単語だけが一人歩きすることで、発想が広がる場合もある。一方で、グラフィックに描くと「たばこ部屋がうらやましい」といった女性たちの外から覗く一場面という捉え方になる。そんなシーンを眺めていると、絵を描いていると、通常の言葉と文字だけの会議と比べて、「たばこ部屋」という単語だけにフォーカスが行かなくなるんだと思います。その人がそれを「うらやましい」と言ったとき「どう感じたのか」ということを自問自答させてくれるのが、絵の役割の1つだとも思っています。
議論の最中に、たまに視点を変える1つの方法として、目を閉じてそのシーンを想像してみるというのはどうでしょう? グラフィックファシリテ―ション的に「いいなあ」「うらやましいなあ」と感じたそのシーンを想像してみる。そうすると、例えば今回たくさん並んだアイデアの中から、同じにおいにするものが簡単に見つけられるかもしれません。何か決定・決断に迷ったとき、そんな視点から見直してみると、意外にあっさり「これ採用!」と言えたりするかもしれません。
わたしの絵筆が「よく描く」という現象には、会社や組織を超えて共通していることがまだまだありそうです。次回も「よく描いてしまう絵」をご紹介します。ということで、次回も楽しみにしていてください。
今回はここまで。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/