春めいた陽気に誘われて奥多摩を歩いてきた。今年はじめての足ならし、野の草花とのお目見え式も兼ねている。小鳥たちの啼きぞめにも立ち会ってこよう。東京で唯一のこされた村である檜原村の民宿にも、温泉つきができたとか。お湯のあとは名物のこんにゃくをサカナに、地酒をどっさりいただくとしよう。
もくろみがいろいろあると気がせくらしく、九時すぎにはもう五日市駅頭に立っていた。奥多摩の山は標高千メートル前後がうねうねとつづき、黒々とした杉林のあいだに、茶色っぽい雑木林がまだら模様をえがいている、それが黒ずんだ茶色から、やわらかい薄茶に変わっていて、新芽の近いことを告げている。
登山口に降り立ったのが十時前。土の匂いに、おもわず深呼吸をした。枯れ葉の匂いに芽ぶき始めの木の匂い。春さきの特徴だが、空気が微妙に入りまじり、甘ずっぱいような味わいをしている。
点々と黄色いのはフクジュソウ。アイヌの人たちは、フクジュソウの花を一年の始まりとしていたそうだ。北国で最初に咲く花をしるしにして、優雅なカレンダーの作り方である。フキノトウは背がのびて、いまや重たげに頭を垂れている。
雑木林に入って落ち葉を踏みしめていくのはいいものだ。足がようやく山歩きを思い出したぐあいで、歩調が落ち着いてきた。足と目は連動しているらしく、足が落ち着くと、目も視点が定まってくる。
一面の朽ち葉のなかに小さな緑のかたまりがあって、白い花が斑点のようについている。ユリワサビにちがいない。アブラナ科の花のなかで一番早く咲く。葉は山菜として食用になる。ワサビのような香りと辛みから名づけられた。その名前につられて根っこをたしかめたくなるものだが、ヒゲのように細くてアテが外れる。
全身が汗ばんできて、息づかいが荒くなったころ、尾根にとび出して視界が一気にひらける。山歩きで、もっともうれしい一瞬である。谷をへだてた大きな山の背に、赤い尾根がポツリポツリ。それぞれをよく見ると、陽当りのいい、それもなるたけ日射時間の長い辺りが選んである。多少の不便を我慢すれば、はてしのない大空と雄大な眺望を、日々の友にして暮らしていける。
薄い茶色がひろがったなかに、あざやかな黄色が一つ、二つ、三つ。いわずとしれたマンサクの花。「満作」と書いて豊年満作にかこつけたぐあいだが、「まず咲く」が訛ったともいって、たしかに春一番のメッセンジャー役をつとめている。五枚の花弁がリボン状にむすばれ、先っぽが触手のようにのびていく。
木洩れ日がモードの服のような絵柄をつくっている。どんなファッション・デザイナーも、これほど変化に富んだのは思いつくまい。自然の無限の造形性を前にすると、人間の創造力など、ほんの子供だましだと気がつくはずだ。
ほどのいいところで道をそれて、林中に踏みこんだ。おめあてはシュンラン、木の根かたなど、うず高く枯れ葉が積もったなかにサヤ状をした緑の葉が数葉、そこから茎がのびている。せいぜい十センチか二十センチで、腰をかがめ、頭を地面にくっつけるほどにしないと目にとまらない。生まれたての赤ん坊のような肌色をしていて、茎ごとに花が一個。純白に濃い赤紫の斑点があって、いかにもラン科の花の華やぎを予測させる。妖艶な女になる前のおシャマな小娘といったところだ。
写真好きは地面すれすれにカメラをかまえ、四つん這いですり寄っていく。その姿たるや、卑猥にして見るにたえずのありさまで、シュンランがクックッと笑いをこらえている。
春蘭(シュンラン) 画:外山康雄
花データ
ラン科の多年草/花期:3月。地下の球根から堅く細長い葉を出す。黄緑色の花弁の中央には濃赤紫色の斑点をもつ唇弁がある。
外山康雄「野の花館」だより
3月30日に30cmの降雪!花壇のカタクリの5cm程にのびた茎も雪の下になってしまい大丈夫なのか心配になります。
野の花館の囲りはまだ2m余の雪の壁。庭の満作、灰汁柴、七竃等の雑木は囲っておいたフカグラごと折れてしまっており、今年の冬の厳しさが尋常でなかったと実感できます。
そんな状況ですから、山からは満作の枝がやっと雪の上に顔出したと一枝届いたくらいです。例年なら春の花続々の季節なのに、描くモデルも友人が家の中で大切に育てた鉢をお借りしています。越の小貝母、大三角草、延齢草とやっと続けて描くことができました。これらの花が山野でみれるのは五月に入らなければ無理かもしれませんね。
大三角草は色とりどりですが、小貝母、延齢草は地味な色どりです。描くときは実際の花を見て描けるわけですから、私が一番幸せ者と思っています。これから、野の花館にこの花を絵と一緒に飾ってきます。
(4月5日)