インタビュー仕事
ふと思う。オイラ、いままでどんだけの人に会ってインタビューを取ってきたんだろうか?と。ハンパない数字だと思う。
いや、この10年はほっとんどインタビュー取材をしていない。インタビューばかりの日々が嫌で会社を辞めたようなものだから。
ライターさんに任せればよかったんだけど、職業ライターの書く文章がどうにも好きになれなかった。だったら、自分でインタビュー取って原稿書いたほうがいいや、って。だって、面白くないんだもの。
そして、何よりも、せっかく会って話を聞けるチャンスをみすみす逃すことはないな、と思った。
いちばん、インタビュー仕事をしていたのは20代後半から30代にかけての時期だと思う。基本的に普段は無口なオイラ。でも、インタビュー仕事となると話をしなければならない。正直、しんどかった。
無理やりにしゃべってるんだもん。当時はラジオ番組を3つくらいやってたんで、放送事故に対する恐怖心もあった。無音が恐い、みたいな。
インタビュー中にシ~~ンとなる時間が恐くて埋め合わしてた。
オリコン編集部にいた頃の話。1日に3~4本は平均で取っていた。そりゃあ、頭もおかしくなるってなもんだ。
しかも、音楽関係だけではなく、お笑い関係からタレントさん、役者さんまでと幅広く。まあ、それはそれで楽しかったのではあるが、脳みその切り換えをするのが大変だった。シフトチェンジってやつ? わからんけど。
それが上手く行かないと、芸能界の大御所にお笑いのノリで話を聞いてしまうなんていうことも多々……。
勘違いも大切なのだ
エガちゃん(江頭2:50)の取材で気分がアゲアゲになった後に菅原文太さんのインタビューに行き、その勢いのままエロトークで押しまくった。
その結果、原稿チェックは真っ赤。ほっとんどカットという有様(笑)。結構なページ数を用意していたため青ざめた。写真の点数を増やしてどうにか切り抜けたけど。アハハハハ。今となっては懐かしい思い出だ。ふう。
でも、その取材のときに文太さんに言われた言葉がいまでも忘れられない。
「33歳なんてまだ子供じゃないか」
当時、オイラは33歳。編集長になったばかりだった。もう、おっさん? 落ち着いて、日々を過ごしていかなきゃいけないのかなあ、なんて思ってた。
けれど、文太さんに33歳なんて子供だ、と面と向かって言われたことによって覚醒した。落ち着いてる場合じゃないんだ!とフッきれた。無茶苦茶やってやれ、と。
そういった意味ではインタビュー取材でお会いした人の言葉に励まされることは多かった。インタビューの仕事は好きではなかったけれども、人生の修羅場をくぐり抜け、成功した人たちから直接、貴重な体験話を聞けるというのはありがたいことだった。
非常に勉強になったし、言葉ひとつひとつがピカピカに光っていた。話しているうちに、その人の人生の中に入っていく自分を感じた。
取材を通じて、さまざまな人生を知ることによって自分のステージも上がっていくような勘違いをすることができた。
そして、その勘違いによってもっと良い取材をしよう、良い文章を書こう、このままじゃダメだと思った。
大物アーティストこそ謙虚な姿勢が……
いち時期、1年間くらいかなあ? TFMにて和田アキ子さんの番組にレギュラー出演させていただいていたことがある。オイラがアッコさんにインディーズバンドを紹介するというコーナーだった。
番組収録前や後にロビーでお話をさせていただくことも多かった。一緒にお酒を飲ませていただいたことも……(あまりにすごくて書けないけど(笑))。
そのときにアッコさんがオイラに言った。
「芸能界で私に何かを教えてくれるとか、注意してくれる人とかいないんですよ」
ふうむ。
ま、そりゃそうだ(笑)。
でも、アッコさんは良くないと言っていた。あの芸能界の首領(ドン)であるアッコさんがである。
でも、言っていることはよ~くわかった。結局、スポイルされることへの恐怖心だったのだろう。誰から何も言われなくなったら、それは裸の王様だ。
向上心があるアッコさんだからこその発言。やっぱり、この人はハンパないな、と思った。普通、それが当たり前だと思うもんだ。そういう地位にまで登りつめた人なんだから。
って、こういう考え方がいけないのか?
一生、忘れられない言葉
編集長時代、毎週月曜日、早朝は幹部会議に出席しなければいけなかった。とにかく、これが嫌で吐き気が止まらなかった。
なぜなら、毎回、毎回、吊るし上げにあっていたから。怒られてばっか。魔女狩りみたいな会議だった。
なので、日曜日の昼間くらいから憂鬱でしかたなかった。ちょっとした病気で入院したいくらいの気分。
唯一、そんなオイラをかばってくれたのは先代の社長だったんだけれども。
編集長時代はとにかく怒られた。常に呼び出され怒られ続けた。ま、確かにひどいことばかりやっていたからしょうがない。
副編集長には「わざと怒らせようとしてませんか?」とすら言われた。でも、確かにそうだったのかもしれない。
部下のことはホメて伸ばそうと思ったけれども、オイラ自身はホメられたいなんて思ったこともなかった。
ホメられるよりも怒られたかったのだろう。
でも、怒られればやはり落ち込む。
そんなときに、高田文夫センセーの取材へと向かった。お笑いの特集。若手芸人を斬ってもらおうという企画。
取材も終わり、雑談をしているとき、高田センセーに言われた。
「編集長、人に怒られなくなったら人間おしまいよ」
その一言に救われた。
間違っていなかった、と。保身になったらおもしろいことなんかできない。そう、ムチャやって怒られてナンボだ。
120パーセントで怒られるべし
トゥーマッチなやり方は必ず反発をくらうことになる。でも、表現というのは80では足りない。100でもダメ。120出さないと届かない。
でも、誰もが60くらいでおさめようとする。まあ、実際問題、60でどうにかなるもんだ。でも、それでは……。
今、自分がやっているバンド(名前はあえて伏せます)は都内のライブハウス、ほとんどが出入り禁止である。
なぜか?
120やるから。もちろん、そのやり方に問題があるのもわかっている。だけど、60で終わらすのは自分が納得いかない。
文章や紙面作り、音楽でも一緒。届けたいという思いがあるなら想像以上のことをやらないと伝わらないものだ。
でも、それをやると怒られる。40過ぎてライブハウスの楽屋で土下座をさせられたこともある。惨めかって? 全然っ。
謝りながらも、腹の底では笑ってたもの。バ~~~カ!って。そんなもんだ。謝って済むなら靴だって床だって舐める。
明らかに年下だろうと思えるライブハウスの店長にペコペコと頭を下げながら、オイラの頭の中では高田センセーの言葉がリピートしていた。
そう、これでいいのだ。
叫訓9
人間、何歳(いくつ)になっても怒られていなければいけない