音楽ライター専門学校のセンセー時代
今回は、何年前ぐらいだろうか? 専門学校のセンセーを2~3年くらいやっていたときの話をしたいと思う。
渋谷にあったライターを目指すひとたちのための学校。
結果、学校自体が経済的なこととはまったく関係のない理由から廃校になることとなり、オイラも同時にセンセーをやめざるを得なくなってしまった。
それがなければ、今もセンセーを続けていたかもしれない。やりがいのある仕事だった。実際、オイラのクラスの卒業生からは何人か大手出版社に入社したり、フリーのライターになった生徒さんもいる。
新年になれば、いまだにメールが来たりする。「センセー、憧れのバンドの取材をすることができました!」、「雑誌で連載コラムをはじめました」、などなど。嬉しい報告。
みんな、頑張ってる……その勢いで、オイラに仕事をください(笑)。アハハ、嘘、嘘っ。
で、そう。当時、オイラはえらそうにセンセーもどき。生徒さんは学生、フリーター、会社員などさまざま。ヒップホップダンサーに人妻なんていう人もいた。
オイラが受け持ったのは夜の時間帯のクラスだった。夕方、下北沢から渋谷まで自転車のペダルを踏み続けたことが懐かしい。
人生で初めてだったかもしれない。センセーなんて呼ばれたのは(笑)。先生じゃなくセンセーね。これ大事。
もちろん、皆さん、学費を支払っている。そして、オイラも講師としての給料をいただいていた。だから、テキトーな授業はできない。何かしら持ち帰ってもらわないと。
最初に「イノマーさん、専門学校の講師をお願いできないでしょうか?」とオファーが来たときには丁重にお断りした。
正直、自信がなかった。話を聞けば授業時間は2時間。ノンストップでトーク2時間って。浅草キッドや爆笑問題クラスだ。
彼らは2時間のノンストップ漫才をやるからね。何度も観させていただいたことがあるけど、これがまたグレイト!な芸。今、若手で2時間漫才なんてできるコンビはいないからね。って、これは違うか?
さまざまなライター志望の生徒さん
悩んだ挙句、最終的には引き受けることにした。担当者の熱心さもあったが、何よりも“なんだか楽しいかも?”という好奇心が不安を追っ払ってくれた。
仕事を仕事と考えずに、最高の遊びと考えればこれほどハッピーなことはない。
最初の授業前は緊張で吐き気が止まらなかった。1日目のことはまったく覚えていない。
授業をスタートさせるにあたって、オイラは何を教えることができるのだろうか?と考えた。が、当日になっても答えは出なかった。
でも、授業を進めていくうちにそれは簡単なことだと気がついた。オイラが体験したことを話してあげればいいのだ、と。
それからは気持ちがラクになった。別に文章の書き方やインタビューの取り方などは教えることはない(基本の話はしたけど)。
生徒さんたちは興味を持って話を聞いてくれた。まさにオイラの2時間フリートーク。
そして、CDレビュー、アーティスト評、フリーコラムといった宿題も。オイラは赤ペン・センセー。細かく指導(?)をした。
それ以外にも体験学習的なことも行った。ライブに行ってのレポート、アーティストを招いてのインタビュー。実際に肌で感じてもらいたかったから。
授業の後も時間の許す限り生徒さんと話をした。ライターになりたいのに人間が嫌い。文章を読むのは好きだけれど自分で書くのは好きではない。う~~ん。
「彼氏がライターになるのを反対しているんですけど説得してくれませんか?」なんていう生徒さんも……。
知るかーー!(笑)。
文章力より気力と体力が大事
いちばん多かったのは“どうしたら上手な文章を書くことができますか?”という質問だった。上手な文章?
文章に上手い下手などない。おもしろいか、おもしろくないか。そして、それは読み手が決めることだ。
「自分がどういう文章を書きたいかによるんじゃないかな?」とオイラは答えた。「世の中にはいろいろな文章があるからね。家電のマニュアルに求められる文章と音楽雑誌で求められる文章とはまるで違うから」
ちなみに、オイラのクラスの生徒さんは音楽系ライターになりたい人たち。「上手いとか下手とか関係ないんだよ。フリーで音楽ライターをやってる人って特別、文章が上手いわけじゃないからさ」
実際、オイラも文章が上手いわけじゃない。文章力のテストがあれば20点くらいだろう。誰に教わったわけでもない。だから、上手な文章と聞かれて焦ってしまった。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「いろんなことを観たり、聴いたり、体験することが大事だと思うよ」とオイラは言った。「音楽ライターになりたい、という気持ちを忘れずにいろんなことをやってみること。まったく関係のないバイトをするのも良い経験だと思うかな?」
実際、おもしろい文章を書くライターさんはいろんな経験をしている。それをネタにオリジナルな文章を書いている。
これは間違いない。人生にとってあきらかにムダだろうと思えることに対してマジメに本気でムキになっている人。そんな人が多い。ある意味、気力と体力が必要だ。
文章を書くというのは、そのジャンルにもよるけれども、自分を切り売りする作業だとオイラは思っている。
おもしろい文章を書く人はおもしろいハプニングを待っているのではない。自分がおもしろいと思えることに突っ込んでいく。
上手い文章ではなく「美味い文章」に向かって見切り発車でスタートするべし
ある日の授業の後、ひとりの生徒さん(女性・27歳・飲食業)がやってきた。「センセー、相談があるんですけど……」
「はい」、オイラは話を聞いた。
その生徒さんは200文字くらいの文章を書き上げるまでに1週間もかかるという。どうしても時間がかかってしまうと。
でも、それでは仕事にならない。
「何でそんなにかかるの?」とオイラは聞いた。「音楽ライターになりたいんだったら、200文字程度だったら10分とは言わないけど、20分以内には書けないと難しいよ」
「考えちゃうんです。何を書けばいいのかわからなくなって」と生徒さんは困った顔をして言った。「何時間もパソコンの前に座っても指が動かないんです。そうやって時間が過ぎていくんです」
「上手い文章を書こうと思ってるんじゃないの?」オイラは言った。「そんなこと考えたら書けないよ」
そう、上手い文章を書こうなんて思ったら最初の一歩に躊躇してしまう。
今回の叫訓でオイラが言いたかったことはこのこと。
完璧主義はライターには向かない。まずは書くこと。書きはじめること。最初の一歩を踏み出すことだ。オチはそのうちに見つかる。
「まずは書いてみる。だって、後からいくらでも修正は効くんだから」とオイラは言った。「こりゃひどいな、っていう文章でもまずは書くこと。大丈夫。誰も見てないんだから」
「は、はい。そうですよね?」、彼女は両手を広げ、自分の指を見ながらクスっと笑った。
とにかく、どんなゲンコーだろうが書きはじめないとどうにもならない。書いては消し、書いては消し。しかも、原稿用紙に鉛筆で書いていた時代と今は違う。
極端に言えば、好き勝手に2,000文字くらい書いて、それを200文字に削ればいいだけの話。便利な時代になった。保存も可能だ。
最初からパーフェクトな文章を求めたらゲンコーなど書けやしない。そもそも、誰もそんなものを求めてはいないのだから。
でも、実際、オイラにもそういうところはある。そんなときは、まずまったく別の文章を書いてみたりする。ニッキとかね。
そうすると、脳ミソもやわらかくなってくる。ウォーミング・アップ?
30分くらいそんなことをした後にゲンコーを書くとスラスラといく。
良い文章を書こうと思って、その通りになった文章なんてあり得ない。
自分の感情をむき出しにして、笑いながら、泣きながら、怒りにまかせながら書いた文章が評価されたりするものだ。
誤字、脱字、オッケー! それは編集さんに任せておけばいい(笑)。
まずは何も考えずに書くこと。ここからスタートするもんだ。
叫訓24
完璧な文章など存在しない
上手い文章など誰も必要としていない