ひと手間について
“ちょい足しレシピ”が流行っている。冷凍食品だったり、簡単な料理にひと手間かけることによって、より美味しくなるというすぐれ業。テレビを観ながら、雑誌を読みながら、なるほどなあと感心することしばし。
でも、そんなもん!とも思う。わざわざ、そこまでするか?と。人間は基本、怠け者。
めんどくせー。
何を食ったって、どうせ排泄物になってしまうんだと考えたら、ささっと作って、ちゃちゃっと食べてしまえばオッケーだろうと。
でも、この“ちょい足し”という考え方はビジネスにおいても非常に大切で、それこそまさにスパイス。出来上がりがまるで違ったりするのだ。
ある日の某情報番組……
『実は、意外かもしれませんが、最後に市販の粉チーズをかけるんです。これで、お店の味になりま~~す』
やかましーわ!と、ついひとり言(テレビに向かってひとり言って寂しいな……)。
でも、そう言った後に後悔した。こりゃいかん、と。
粉チーズかけるだけでお店の味になるんだもの。だったら、最後のひと手間を惜しむことはない。でも、やらない。
うん、やらないんだよなあ。大概の人はやらない。でも、やる人はやる。そこで、実は人生にとって大きな差が出る。だって、美味しいもの食べたほうが幸せじゃんね?
しかも、大したことじゃない。最後のひと手間。塩をかけるとか、醤油を軽くまわすなんていう程度のこと。
たったそれだけのことができないなんて、人間が小さいんじゃないかとすら思ってしまう。いや、実際に人間が小さいんだろう。完成形のことを考えたら、それくらいの手間は何でもないはずだ。
うん、必要だ。
ビジネスにおいての天丼
企画書を書く、取材をする、ゲンコーを書く……オイラは仕事をするとき、必ず、もうひと盛りと考える。
お笑い論ではないけど天丼(同じフリやボケをかぶせる)的な発想って大切。1回ゲンコーを書き終わった後に、もう1ネタ、乗せるように読み直す。オチたなと思いつつ、その後にもうひとつ。
ホラー映画的な考え方なのかな? これはゲンコーだけではなく、企画書だったり取材のやり方だったりも然り。
はあ、終わったと思ったら、バコーーーーーーーーーン!みたいな(笑)。まさに、ジェイソンね。
小心者なんだろう。不安症候群? 企画書もとりあえず1枚は作っておいて、それ以外にも必ず用意しておく。「こういう企画なんですが」と提出しつつ、その後に「実はそれプラス、こんなこともできればと……」
ずるいね? でも、この“ちょい足し”が大切。もちろん、出さないケースもあり。相手の顔色を見つつ、空気を読んで。
企画書を手にして読んだ相手も、その後にもう1ネタ出てきたら嬉しいもんだ。それが、たとえひどいネタだったとしても。真剣に考えてくれているんだな、と。
デザートみたいな感じ? これぞ、まさにリアルな“ちょい足し”なんじゃないかとオイラは思う。
実現するかしないかは置いておいて。こういった“ちょい足し”は想像以上に大きな効果があったりする。
ある意味、裏技的な方法。まずは大きなフォーマットを提出する。その後に細かなつけ足しを小出しにする。じわじわと相手を攻めていく。すると、熱意は確実に伝わる。
かぶせて、かぶせて……。
人生はサービス!
要するに“ちょい足し”というのは、気配りである。ひと手間を惜しむ人間に良い仕事はできない。ひと手間ができない、イコール、手抜きということだ。
もちろん、手抜きの考え方にもいろいろある。時間と労力の削減?
今年の夏に知り合いの店を手伝ったときに言われた。「そんな細かいことどうでもいい」
う~ん、確かに細かい作業で時間と労力をさくことだったかもしれないが、オイラ的には許せなかった。見逃せなかった。
しかも、たかだか1時間くらいの作業だ。それを惜しむから店の売上が悪いんじゃないか?とすら思った。ま、それはオーナーの考え方だからね。何も言わなかった。
そう、“ちょい足し”というのはサービスにもつながる考え方だ。最低限のことをやって、あとはどうにか……なんて考えていたらお客さんは満足などしない。
こちらが100パーセントだと思うことも、相手には響かないものだ。それが仕事であり、エンターテインメントでもある。
100パーセントの後に何が出来るか? 勝負はそこにある。100パーセントなんて当たり前だ。それが出来ないのなら商売などヤメてしまったほうがいい。
ひと手間はアイデア。本編じゃないからこそ遊びができる。ひと手間に行き着くまでの道のりのほうが長く面倒だ。でも、その旅が終わればステキなことが待っている。
ひと手間はご褒美。
カロリーの高い仕事
話はひっくり返ってしまうが、“ちょい足し”って要するに、足りないんじゃないか?と思う。足りないから足す。だって、足りていたら足す必要がない。
歴史のあるインスタントラーメン。発売以来、味は変わりません? 変えろーーー! 企業努力しろ。って、嘘、嘘。
いや、大したもんだ。でも、それが2012年を生きる現代人にとってどうなのかは微妙なところ。時代によって味覚も変わる。
でも、そういったベーシックがあるからこそアレンジができるのは確かなところ。ビートルズがいたからこそ、セックス・ピストルズは出現した。そんなもんだ(?)。
結局、仕事にしても“こんなもんでいいだろ”みたいなところでやっているから、“ちょい足し”が必要になってしまう。
相手がお腹いっぱいです、と言ってくるくらいの熱量を吐き出すくらいじゃないとダメだ。常に100パーセント以上でゴー。
でも、相手には100パーセントも伝わらない。オイラの好きなアーティストは皆、そうだ。これでもかというくらいのカロリーでぶつかってくる。
何が美味いじゃない。大切なのはカロリーだ(笑)。カロリーが高ければ、大概のものは美味しいのだ。
だから、こちらが弱っているときにはあまりにもヘヴィーだったりもする。だけど、そこまでやらなければ伝わらないこともある。
“ちょい足しブーム”なんて草食系男子云々と同じようなもんだ。音楽、映画、小説……とにかく、トゥー・マッチじゃないとNG。仕事もそう。
企画出しにしろ、これはやり過ぎかな?と思うくらいじゃないと成立しない。これは大げさな話じゃない。
会議なんて、油でベチョベチョの中華屋店主になるべし!
今までどうして、自分の企画書が通らなかったんだろう?と思う人は試しに思い切ってみればわかる。
きっと、通ります。
カロリーの高い企画(笑)。
それ、プラス、自分なりのデザートを添えて。“ちょい足し”なんて必要ないメニューを考えること。かぶせて、かぶせて。
旨みの向こう側へ……
味の薄いヘルシーな企画だったり仕事。まあ、とりあえずやり終えたとする。でも、上司に“ちょい足し”されたら?
あんまり、良い気分はしないはずだ。でも、部下がそういった仕事をしたらオイラはきっと“ちょい足し”をするだろう。
ちょっとしたことだ。もうひと味。それを考えられる、実行できるようになれば一人前だ。アマチュアとプロの違いはそこにある。
仕事がら、月に数多くのバンドをライブハウスで観る。申し訳ないけれど、ほとんどのバンドがもうひと味どころか……う~~~~~~ん。
でも、良いところを持っているバンドもいる。オイラがプロデューサーになり、メジャーに送ったバンドも最初はひと味足りないと思った。もったいないなあ、と。
でも、たった1曲。1曲だけ最高に素晴らしい曲があった。オイラはそれを伸ばそうと思い、声をかけた。
今ではコマーシャルにも楽曲が使われている誰もが知っている有名なバンドだ。
彼らは彼らで精一杯ライブをやってはいたが、それは彼らの精一杯で、お客さんにとってのお腹いっぱいではなかった。
その、お客さんとの距離を詰めていくこと、そして、それを超えていくことがプロの仕事だ。それは、やがてオリジナルな料理となる。その作品に“ちょい足し”など必要ない。
“ちょい足し”なんてトレンディーに語られているけど、“ちょい足し”はダメ出し。マスコミが上手いこと言ってるだけだ。
惑わされるなーーーー!
って、あれ、オチてないな……しかも、天丼にもなってない……しみません。
コホン。
今回の叫訓です。
叫訓27
自分の100パーセントなんて
他人にとっては30パーセント以下