2012年最後の叫訓です
今年も、もうすぐ終わり。月に2回ほどだけど、叫ばさせてもらいました。申し訳ないッスね、オイラごときが。
さて、2012年はみなさんにとっては、どんな1年だったんでしょう?
オイラにとっては、個人的にいろんなことがあり過ぎて、一言では難しいのですが、こうしてどうにか生きてるだけでハッピーでヤッピーかな、と。46歳だしね(涙)。
今年の夏には週に1日だけれど、知り合いのお店を手伝い、人生初の“飲食業”というのを体験させてもらいました。
ものすごく勉強になったというか、考えることも多かったアルバイト(笑)。何度も言うけど、46歳だっちゅーの!
ま、お店というのはオーナーのものなので、雇われている身分の人間には発言権なんて無いようなもんだ。
オイラが良かれと思ってしたことも、オーナーにとってはNGなんてことも多々。「まー、いっか」と思いつつも、「別にいーじゃん……」と思うことも。でも、短期間ではあったが、いろんなことがあった。
ちょっとしたフィギュアがあって、オイラはそれを店先に出した。店内がポップに見えるかなあ、と思って。うん、良い感じ。
でも、翌週、店に行くとそれはそこになかった。ふうむ。どういうことだろう? 探してみると、フィギュアはカウンター内、厨房の奥、無造作に置かれていた。
オーナーは言った。「あんなとこに置いたらダメよ~。盗られちゃうから。相手は酔っ払いだからね」
う~~ん。
「は、はい」とオイラは言った。でも……こいつは一生、ここにいるよりも、店先にいたほうがずっと存在意義があるのでは、と。
仮に盗まれてしまったとしても、彼の人生の中、ピッカピカに輝いていた時期になるはずだ。こんな薄暗くて狭い場所に置かれて一生を過ごすよりマシだろう。
使わなければ意味はない
アメリカン・ジョークでこんなのがある。知っている人も多いかもしれないけど、紹介。
≪一生懸命働いて、高級モーターボートを買った男。でも、自宅のガレージに置いたままで乗ることはない。「どうして乗らないんだ?」と友人が聞くと、「だって、乗ったら濡れちゃうじゃないか」≫
う~~~ん。途中からオチの読める話ではあるが、確かにそういう気持ちもわからないわけではない。でも……どうなんだろ?(って、ジョークを解説しても粋じゃないんだけどね)。
これはレインコートや傘、雨靴などすべてにも応用できるジョーク(?)だ。
新品のものをおろすとき、誰もが意を決するもの。オイラにもその傾向はある。でも、う~~ん。
車を買って、なかなかビニールシートをはがさない人もいる。電化製品とかもそうね。わかる、わかるけど。
シートをはがさないと、親友になれたような気がしない。お互いヨロシク! みたいな運命共同体意識。これ大事。
お互い裸にならないとね。
モノは使ってあげないとまったく意味がない。ただの塊だ。
使えば使うほど、自分にフィットして価値が出る。使わなければ相棒にはならない。モノはしゃべれない。だから、こちらがどう使うかを考えてあげなければいけない。つーか、使えばいいだけの話だ。
30万円の自転車を購入したとする。自転車はいずれ30万円以上の働きをするだろう。でも、傷むからと乗らなかったら30万円をドブに捨てるようなもんだ。取り戻すことはできない。
MOTTAINAI?
仕事もそう。これは明日でいいだろう、このアポイントメントはまだ時間がある、大丈夫なんて思っていると、ベストのタイミングを逃してしまう。
余裕なんてブッこいているヒマなどない。思ったときがそのときだ。これは遅いも早いも関係ない。実際にあ~、もう遅いか……なんて思うこともあるが、思ったときがそのとき。気にすることはない。
新しいネタが思いついた。これはいけるだろう、と。でも、少し寝かして練りこんで……なんて考えていると、そのネタは寝たきりになり、使いモノにならなくなる。
今出すのは“もったいない”ってか? その考え自体がもったいない。
MOTTAINAI!
大事に大事にして、腐らせては、それこそ“もったいない”である。出し惜しみなどすることはない。次にとっておこう、という考え方もわからないわけではないが、果たして次があるかどうかなどわかったもんじゃない。だったら、今、すべてを出し切るべきだ。
冷蔵庫の中の食材もそうでしょ? 食べたいのに、これは明日にって……結局、1週間以上経ってしまい捨てることに。
もったいなーーーーい!
生きているうちに、出せるときに、出したい、出せるモノを出すべきなのだ。そもそも、いつ死ぬかなんてわからないのだから。
オイラはバンド(?)なんてものをやっているが、結局、メインで演奏している曲(ベスト盤収録)は10分くらいで作ったもんだ。
アレンジをどうこうとか、スタジオに入ってメンバーで話し合ってとか、そういうのは一切ない。
TIME IS MONEY!
先日、ある企画を思いついた。これはスゲー! と自分でも震えた。どこの出版社に持っていこうか、と。で、気づけば1ヵ月。
そして、たまたま送られてきた某社からの献本(見本誌)の特集にまるまる、オイラが考えた企画が特集となっていた。
ふわあ。まあ、こんなもんだ。やったもん勝ち。この世界、そんなもんだ。これは雑誌関係だけの話ではない。
とにかく、先にやったもんが勝ちなのだ。精度など関係ない。重要なのは時間。スピード。そう、スピード感なんだ。
とにかく、先に仕掛けて、形にした人間が勝者となる。これはまかり間違いない事実。
だからこそ、言いたい。今回の叫訓、本稿のテーマはそこにある。
必殺技があるんだったら最初っから出せばいい。人生はプロレスじゃない。生きるか、死ぬか。エンターテインメントでは片づけられないリアル・ファイトだ。
必殺技を出す前に相手に倒されたらフィニッシュ。ちゃんちゃん、だ。劇終。そんなん、美しくない。とにかく、自分のタンクに自信を持つこと。これを使い切っちゃたら終わりだ、なんて思ったらダメだ。
絶対に次はある。次もある。
すべてはやったモン勝ち
確かにゆっくりと考えたい案件もあったりする。でも、自分がそれを思いついた瞬間、世の中には同じことを考えている人間が10,000人はいると思ったほうがいい。
だから、繰り返しになるけれども、どれだけそれを誰よりも先にやるか。世に出すか。それしかない。
本稿の頭に戻ってしまうが、盗まれるのを恐れるより、恐れずに盗まれるほうを選択するべきなのだ。盗まれても構わない。
とにかく、人の目につかなければ、それは商品(人間もモノもネタもそうね)として成り立たない。生まれてきた意味がない。
オーナーが言ったことや、とった行為は正しかったかもしれない。確かにフィギュアは盗まれることになってもおかしくなかった。
防犯タグも付いていなかった。だったら付ければいいだけの話だ。
でも、現実問題、このままではオーナーが死ぬまでフィギュアを人目につかないところにしまっておくことになる。
それはあまりにも、無意味だ。客が盗んでいかないんだったら、オイラが盗んでやるじぇい!(嘘)。
大げさな話かもしれないけれど、東京スカイツリーを盗まれるかもしれないと気にする関係者などいない。
設置されなければ、まるで意味はナッシング。そこにあることに意味や意義はある。
モノもチャンスも大切にするのは良いことかもしれないけれど、過保護にし過ぎるのはいかがなものか。
まずは活かさないといけない。
次回のチャンスを待とうなんて思っても、次のチャンスがいつ来るかなんて、誰にもわからないんだからさ。
ということで、今回の叫訓は↓
叫訓30
それは飼い(買い)殺しかもしれない……
“もったいない”の真意を考えましょう