狂った世界での芸歴
あけましておめでとうございます(今年、最初の叫訓なんで)。旧年中はいろいろと叫ばせていただきましたが、今年も自分勝手にシャウトさせてもらいやす。おつきあい、よろしくお願いいたします。
年末から年始にかけて体調を崩し、寝込んでいたオイラ。外出でもできず、クリスマスも大晦日も正月もベッドの上で過ごしました。こんなの長い人生で初かもしれない。
何もやることがなく、何となくテレビを観ているとお笑い芸人さんばかり。芸歴何年なんていう話をよく耳にした。実年齢よりも芸年齢のほうが重要視される世界。
自分のことを考えてみる。気づけばオイラも46歳で芸歴23年(初めて自分の書いた文章が商業雑誌に掲載されてから)。
いや、アッという間だった。ふと、その間に出会った奇妙な人たちのことを思い出した。マスコミ業界はビックリ人間大集合。
さすがにもう慣れたが、20代前半はこんな狂った世界で生きていかなければいけないのかと愕然としたもんだ。
おもしろい、って何だろ?
もちろん、中にはまともな人間も存在する。さすがにそういった人がいなければビジネスは成り立たない。でも、それだけではおもしろくないのも確かなところ。
おもしろいか、おもしろくないか。エンタメ業界はそこに尽きるところもある。だけど、何がおもしろくて、何がおもしろくないかなんて人によりけりだ。
「今度、何か一緒におもしろいことやりましょうよ~~」なんて肩をもまれながら言われる。でも、実現した例などない。
そもそも、本当におもしろいことをする人は「おもしろいことしましょう」なんて曖昧な発言はしない。聞いたことがない。
それはアイデアが無い人間が他力本願で使う言葉だ。だって、おもしろいことができる人は黙って自分で実行するから。
ま、そんなもんだ。具体的な提案があって、こうこう、こういうことをやりたいんで一緒にやりませんか? というのが筋。
こういう場を設けたので、好きにやってくださいというのはまた別の話だけれども。
中途半端な話は中途半端でスタートして、中途半端に終わる。
ダメ人間にも2パターンある
「ほとんどの人間が精神病患者だよ」とオイラに言ったのは大川興業・大川総裁。ま、この場合の精神病患者というのは幅広い受け止めかたをしてほしいのだが。
でも、誰もが不安やストレスを抱えている現代。精神的に落ち着くことがないのは事実であると思う。
つーか、落ち着くなんてこと無いか? 達観した生き方なんてできやしない。
よっぽどの脳天気人間でもなければ、悩みのひとつやふたつ抱えているもんだ。でも、みんな生きている、生活している。
だからこそ人間というのは人それぞれで興味深い。ダメ人間にも悪性と良性がいる。ダメな人間は人間で良性なら可愛いもんだ(オイラもダメ人間だけど)。
会社員時代も、そして、フリーになった今もオイラのまわりにはそんな人間ばかりが集まってくる。これは映画『砂の器』でいうところの“宿命”なのだろうか?
だとしたら受け止めるしかない。いちいち反発していたらキリがない。もう、駆け込み寺で構わない。髪の毛剃っちゃおうかしらん。
でも、思い返してみると本当にストレンジな人間と出会い、ある時期は濃密な時間を過ごしていたもんだ。ぶっちゃけ、それはそれで有意義で、楽しくもあった。
そんな愛すべきダメ人間をちょっとだけ紹介したいと思う。今回は文字数の関係で2人。もし可能であれば次回も紹介できれば、と。まずはこんな人たちです。
people are strange
- <CASE STUDY 1>
- [無職・当時19歳・女性]
オリコン時代、音楽ライター志願の女のコがいきなり編集部にやって来た。「弟子にしてください」と。もちろん、断った。でも、そのコはしぶとかった。
で、経験があるのかと聞くと「ありません」と。う~~ん。それじゃあ、ムリだなあと思いつつも熱意に負け、CDレビューでもライブ・レポートでもいいから書いて送ってきて、とオイラは言った。
数日後、郵送ではなく本人がやって来た。原稿は小学生が夏休みの読者感想文を書くような原稿用紙に手書き。
「あれ、手書きなの?」、彼女なりのこだわりかもしれない。「ふ~ん、珍しいね」「はい、私、ワープロ持ってないんです」
持ってないんかーーーい!(驚)。
でも、文章は悪くなかった。かなり、思い入れの強い私的な文章ではあったけれども、オイラ的には嫌いではない。
バンドのチョイスも時代とマッチしていた。というよりも半歩先に行っていた。何より、そこがオイラは気に入った。
オイラは彼女に編集部であまっていたワープロを与え、使い方を教えて、ちょっとした原稿を書いてもらうようにした。もちろん、見習い。給料などない。いや、だって、当時、オイラは普通の会社員だったんだもの。
精神的にも不安定なコではあったけれども面倒をみた。そんな彼女は半年後、オイラに大きなプレゼントをくれた。自分の人生を大きく変えることとなるバンドとの出会い。
彼女がいなくても出会っていただろうとは思う。でも、ベストなタイミングで出会わせてくれたのは紛れもなく彼女だ。
今では感謝している。
- <CASE STUDY 2>
- [プロモーター・当時?歳・女性]
これもオリコン時代の話。週に何回も編集部に訪れる熱心なプロモーターさんがいた。インディーズ・レーベルのプロモーターで、毎回、紙資料とサンプル音源を持ってきてくれた。でも、ハートはネガティブ。
「紹介してくれなくてもいいですから」、と彼女はいつも言った。「聴いてもらわなくていいですよ。申し訳ないんで」
「え、えっ?」
「しょーもない」と吐き捨てるように言う彼女。「もう、最低ですよ。演奏も歌も下手くそ過ぎてやってられないッスよ」
「は、はあ……」とオイラ。
まったくプロモーションをしようとする気が見受けられない。だったら、何で来るのだろうか? 理解に苦しんだ。こちらも暇なわけではない。でも、ネタは多いほうがありがたいので、時間を作ってはいた。
「暇なんですよ~」と彼女。「だって、こんなのどこに持ってっても相手にされないッスよ。誰も会ってくれないし。イノマーさんくらいですよ、時間作ってくれるの」
小さな音楽レーベルではあったが、月のアイテム数は多かった。もしかしたら良いバンドと出会えるかもしれない。「いや、まー、30分くらいでしたら……」
最高です! と押してくるよりも、最悪だから聴かないでください、とプロモーションされるほうが気になる。聴かなくてはいけない音源は山ほど。時間的に不可能なくらい。
でも、気になってしまい聴く。で、やはり、聴かなければよかった、と。その繰り返し。
そのうち、毎週のようにかかってきた電話もなくなった。どうやら事務所をヤメたらしい。そりゃそうだなと納得。
数年後、そのレーベルからメジャーデビューをしてDOMEクラスのツアーをするバンドが……それは、彼女が聴かなくていいと言っていたバンドだった(今は解散)。
コンプレックスを受け入れるべし
取材でお会いしたときに、大槻ケンヂさんがこんなことを言っていた。
「自分のコンプレックスをステージで大きな声で叫ぶだけでモテるのね。もちろん、それは狭い世界かもしれないけど。でも、それだけでモテるの。」
う~~~ん、深い。
確かにそのとおりだと思う。要するに自分のコンプレックスを認めるということだ。客観的に自分を見て、どこがいちばんの武器になるかというジャッジメント。
難しいと思うかもしれないけれど、簡単なことだ。いちばん人に知られたくない、言いたくないこと。それが世の中に風穴を開けることになる(かもしれない)。
オイラのやっているバンドも自分のコンプレックスではないけれど、誰にも言えなかった部分を歌詞にして歌っているだけだ。
モテたかというと……男のコたちにはモテた(笑)。アハハ。ノー・プロブレム。ありがたいこったい。ミクロな世界ではあるけど。
コンプレックスというのを“自分のキャラクター”だと思えばいい。料理の素材。じゃあ、これをどうするか。
いつ、どこで、誰に? それは自分で考えないといけない。自分の長所よりもパンチのあるコンプレックス。勇気の要ることかもしれないが、1回、叫んでしまえばラクになる。
ビー・マイ・ベイベー♪
自らのコンプレックスをネタにするのはお笑い芸人さんだけの特権ではない。人生はステージ。そこで何をするか。
自分に何ができるのか? 自分をどう活かせば美味しいか? それは自分がいちばん知っていることだ。
ということで、今回、オイラが言いたかったことはこれ↓
叫訓31
誰もが自分の人生(ステージ)の
プロデューサーである!