あなたは20歳以上ですか?
コンビニエンス・ストアでお酒と煙草を買う。すると、決まったように「年齢確認画面にタッチをお願いします」と言われる。
いや、まあ、タッチしますけど……。
「二十歳以上ですか?」
ふふふっ。こんなヒゲに白髪の混じったおっちゃんにまで、そんな?(笑)。
思わず、くすりとしてしまう。いや、申し訳ない。
ま、規則なのだろう。別に何も考えず、画面にタッチするだけだから大した労力ではない。でも、何か腑に落ちない。なぜか?
マッタクセイイガカンジラレナイ
言ってる店員さんの“言わされてる感”がハンパないからであろう。向こうだって、オイラを見れば20歳以上であることは一目瞭然。それなのに、言わなくてはいけない。
その、雰囲気がプンプン漂っている。はあ、面倒くさい、と。店員さんは、もし、何か言われたらヤベーなあ、なんて思っているのだろう。店長もいないし……。
絶対に言いたくないはず。だけど、タッチしてもらうことは流れの一環で、何も考えずに言わなくてはいけない。業務としてね。
可哀想に、とすら思う。
実際、レジで口問答になり、モメたなんていう話もよく聞く。まあ、お互い様ってな話だ。言うほうも、言われるほうもおもしろくはない。だったら、何なんだ、これは?
補聴器をつけ、杖をついたコントに出てくるような、ヨボヨボのお爺ちゃんや、お婆ちゃんにも同じことを言うのだろうか?(考えてみれば、コンビニでリアル老人を見ることってないなあ)。
シュールというか、まさにコントだ。そんなことが日常的に行われている。お年寄りに「パネルをタッチしてください」って言ったところで意味がわからないはず。
でも、規則(法律?)だから店員さんは言わないといけない。むーーーん。店員さんや、コンビニエンス・ストアに罪ははない。だけど、だけどさあ~! ってな話。
専門用語は専門家に向けての言葉
お年寄りにしてみたら、”パネル”って“タッチ”って何なんでしょうか? という話だ。「す、すいません。え、英語はわかりません」と。恐れおののいて逃げ出す。
30年くらい前かなあ? 都内に外資系のアイスクリーム屋さんができた。弟と一緒にワクワクしてお店に入り、注文しようとしたところ、まるでわけのわからない専門用語でまくしたてられ、結局、注文できずに悲しい気分で帰ったことがある。
あのときは本当に悔しかったなあ。結局、八百屋さんが表に出しているアイスボックスでいつものアイスを買って食べた。
こういうのって、どうなんだろう? 本人(企業)にとっては当たり前のことも、それ以外の人間にとってはチンプンカンで当たり前じゃないことって多い。
だから、お年寄りはコンビニエンス・ストアに行かず、近所の小売店へと。そして、コンビニエンス・ストアは年齢不詳の若者もどきだらけ。
システム・キル・ザ・ピーポー
コンビニエンス・ストアで働いたことがないからわからないけど、お酒や煙草を販売する際にはシステムとしてタッチしないとレジが先に進まないことになっているのかもしれない。いや、あくまで推測だけど。
そこまで徹底したいなら、身分証の提示をすべての人にすればいい。そうしないとお酒も煙草も買えないようにね。
いや、面倒くさい世の中にはなる。それはわかってる。でも、オイラはあの中途ハンパな感じがものすごくヤだ。
曖昧はより深い曖昧を生むだけだ。
セルAVショップのPOSシステムにはそんな機能はない。所有のAVをショップに売るときには身分証明証が必要であるが(古物取引の関係)、買うときにはあーだこーだ言われない。だって、スマートじゃないもんな。客はさっさと買って帰りたいもんだ。
店員さんの判断なのだろう。フーゾク店だって、ラフなもん。DT(童貞)の筆おろしって、それはそれで感動的だったりする。そこに物語は存在する。
ピンク映画やアダルトビデオもオイラは10代の頃から観ている(自慢してどうする?)。ところが、今やネットの世界ではYESのボタンをクリックすれば、アダルトサイトも閲覧自由。
な~~んて時代だ!
でも、コンビニエンス・ストアでは「タッチしてください」。逆行してんな。
そこに心は無い。自分の頭で考えるということを必要としていない。
店員さんだって、たとえ、相手が未成年であろうが、タッチさえさせれば売ってもかまわないだろうくらいに考えてるかもしれない。店長に怒られないだろうと。
大手スーパーで年齢確認をされたことはない。小さな街の煙草屋さん、酒屋さんで年齢確認なんてあり得ない。
お駄賃欲しさに、よく子供の頃は父ちゃんの煙草やビールを買いに行ったもんだ。今じゃそれもできないってことか……ナンギだ。
ユア・チョイス!
コンビニエンス・ストアで働く10代、20代はこれからの国の財産だと思う。そんな人材に“おしつけ”でヘンに我慢することを覚えさせるのはいかがなものか? と。
言われたことを、何も考えずに言われたままやるだけの若者ってどうなのかなあ、なんてふと考えてしまった。大きなお世話か?
ぶっちゃけ、言われたことすらできない人間が多いのも確かなんだけどね。
オイラが雑誌の編集長をやっていた頃は、何も言わなかった。とにかく、自分で考えさせるようにした。考える癖みたいなものをつけさせた。「それは自分で考えて」と。
結局、“最後は自分で決めないといけないんだ”とわかってもらうように。
こうしなさい、あーしなさいと10代の頃は教育(?)される。校則とかね……つまらない話だ。でも、いざ、社会に出ると自分で決めないとどうにもならないことばかり。
それまでは親や教師の言いなりになってたらどうにかなったもんが、いきなり自分でいろんなことを決めなくてはいけなくなる。
ひとり暮らしのアパートとかね(いや、これ大事な話だ)。ゴハンだって、家に帰ればあるのが当たり前だと思っていたけど、そうではないことに気づく。
恋人を決めるのも自分次第。パートナー選びって人生にとって大きな決断だ。ま、失敗することも多いどね(笑)。それはそれで自分にとって経験として残るもんだ。経験値が上がる、くらいに考えたほうがいい。
うん、うん。って、あれ?
いや、今回はまったく別の話をしようと思っていたのだけれど……つい熱くなってしまった。申し訳ない。それは次回の講釈で。
ということで今回の叫訓はコレ↓
叫訓33
雇用する側は考えさせること
雇われる側は考えること