諸行無常
ちと前の話で申し訳ないのだけれど、お昼の番組、『笑っていいとも!』が終了となった。32年続いた長寿番組。
オイラは他局の昼番組を録画して観ていたので、思い入れというのはなかったのだけれど、あって当たり前と思っていたものが無くなってしまうというのは正直、寂しい。自分勝手でごめんなさい。
でも、32年かあ……。1回くらい観覧に行けばよかった。ま、32年行かなかったってことは、結局、行かなかったんだろうけどね。そんなもんだ。
番組が終わってから数週間が経つ。32年続いたものも1週間もすれば、ランチ・タイムの話題にも上らなくなる。
同じ局、同じ時間帯に新しい番組がスタートし、それが現実となった。たった1日で『笑っていいとも!』は過去の番組となってしまった。
でも、タモリ(敬称略)はタモリをやめたわけではない。司会を務めた番組が終わっただけだ。
何でもそう。終わるときは終わる。オイラはそんなことを山ほど味わってきた。
テレビ、ラジオ、雑誌の連載……問答無用で終わりはやってくる。大口の連載がいきなり終わると経済的にもかなり打撃を受ける。担当者はすまなそうな顔をして、「申し訳ないです。続けたかったんですが」と言う。オイラは「しょうがないです。慣れてますから」と言うしかない。
ダメなものはダメ。請負仕事の運命だ。
帰り際って難しい
ということで、今回の叫訓テーマは“引き際の美学”について。
人生、いろんなタイミングで引き際というものを体験することとなる。それは大きなものもあれば、気づかないくらい小さなものもある。
子供の頃、友達の家で漫画を読んでいて帰るときの引き際。なかなか自分ちに帰らないヤツとかいたからね。「○○くん、夜ゴハン食べていく?」なんてね。
図々しく晩ゴハンもらって、それからまたずっと漫画読んでたりとか。
会社とかでもなかなか帰らない人がいる。なぜかずっと社内に。仕事は終わったはずなのに。だらだらといる。
その逆にマッハでタイムカード押す人もいるけど。あれはハートが強いよなあ。
この話は引き際の美学というよりも、帰り際の美学か?
お酒の席でもそう。朝まで飲まないと気が済まない人がいる。オイラは基本、一軒でオッケーなタイプなんだけど。二軒、三軒のハシゴ酒……良い言い方をすれば、つきあいが良いってことなんだけど。でも、中にはすぐに帰りたいという人もいるはずだ。
別れ際について
引き際の美学とは、要するに空気が読めるか読めないか、ということなんだと思う。
あまりにもプライベートな話なので、書きたくはないのだけど、3年前にひどいフラれ方をした。ショックで5キロ痩せた(その後、10キロ以上太った……)。
納得の行かない別れ方だったので、ねばってもよかったのだけれど、それはしなかった。単純にカッコ悪いと思ったから。
ストーカーになってもおかしくないエンディング。でも、自分のことを好きではなくなった人と一緒にいてもおもしろくない。
別れ話を切り出すのも大変だろう。言わせちゃって悪かったね、くらいに思った。いや、そう考えるようにした。
「悪いところがあったら直すから~~」とか、とてもじゃないけど言う気がしない。もう、その会話自体で終わってる。直せるわけがない。直す必要もない。
彼女との最後の瞬間は忘れてしまったけれど、別れ際、オイラは笑顔だったような気がする。つらかったけどね……。
基本、オイラは誰であろうと「バイバイ」、「じゃあね」、「またね」は笑顔でと決めている。もしかしたら、会うのが最後になってしまうかもしれないから。
これは仕事でもプライベートでも同じ。特に仕事の場合はホントに次会うのがいつなのかわからない人が多い。いや、最初で最後というケースの方が多いか?
だったら、笑顔で感じよくね(笑)。
引退のタイミング
社長業を後継者に譲り、引退をするお偉いさんも多い。理由は現場感覚が無くなったから。ふうむ。なるほど、英断だ。
その方が会社が上手くまわるのなら、正しい選択。これぞまさに引き際。そのタイミングを間違えると大変なことになる。
芸能人でも若い世代に席を空けるために引退という道を選ぶ大物タレントもいる。ま、お金も貯めたし老後はのんびり海外で、なんていうのもあるのだろう。
セクシー・カリスマ男優、加藤鷹(知らないという方は検索かけてください)が引退を発表したのが昨年のこと。26年間の男優人生にピリオドを打った。今年、54歳。
「残りの人生、やってみたいことをやりたい。そのタイミングが今だと思った」と。
特殊な仕事なので何歳まで続けるのか興味があったが、ちゃんと自分でケリをつけた。加藤鷹ともなれば、現場で失敗は絶対に許されない。
そう考えると、スポーツ選手の引退決断というのも引き際が大事。自分が決めるのか、まわりが決めるのか。でも、戦力外通告って、あんまりだ。やっぱり、それは自分で決めたいもんだ。
解散なんかしない!
オイラはバンドをやっている。今年15周年。いやはや、15年なんてアッという間だ。
この15年で多くのバンドが解散したり、活動休止したり、自然消滅したりした。そんな中、オイラのバンドはだらだらと続いてしまった。これに関しては、やめるタイミングを失ったとしか言いようがない(笑)。
いや、嘘、嘘。やめようと思ったことがないからだ。だって、やめる必要がないんだもん。だから、やめない。
ぶっちゃけ、メジャー・レコード会社と契約していた頃と比べると完全に落ち目バンドである。それは認める。
作品も長いこと出していないし、ライブの年間本数も極端に少ない。でも、やめない。
15年続いていることなんて自分の中ではバンドくらいだ。バンドをやめる、やめないは誰かに言われることではない。自分で決めることだ。
今年、48歳のオイラ。身体もぶくぶくと太り、醜いなんてもんじゃない。歌詞もなかなか出て来なくなったし、ステージの動きにもキレがない。って、自分言っててヤになってきた。
やめちゃおうかな?(笑)。
やめるもんかーーー。
引き際の美学。惜しまれながらやめるのは確かに美しいかもしれない。
そういう意味では『笑っていいとも!』はベストのタイミングで終わった。でも、ボロボロになって杖をつきながら司会をするタモリも見てみたかったなあ、なんて。
録画しておいた『笑っていいとも!』の最終回を観ながら、ふと、そんなことを考えてしまったので、今回は書かせてもらいました。
叫訓64
引き際の美学……
見苦しく、居座り続けるのも美学だ!