ダチョウ倶楽部スピリット
ズバリ、今回の叫訓テーマはコレ↓
『オマエがやるな、オレがやる!』
名言だと思う。声に出して咀嚼すればするほど、染みてくる。深イイ言葉だ。
※閑話休題※
さて、話が矛盾してると思われるかもしれないけれど、「どうぞ」という日本語が好きだ。
たとえばコンビニのレジ前の列並びで同じタイミングだったとする。オイラは「どうぞ」と言う。もちろん、相手から先に「どうぞ」と言われることもある。
自転車に乗っていて、狭い道ですれ違いそうな場合、オイラは自転車を止めて先に譲る。心の中では「どうぞ、お先に」と。
別に良い人ぶってるわけじゃない。先にさっさと行ってもらったほうがラクチンだからだ。数秒待つくらい大したことない。
「どうぞ、どうぞどうぞ」(fromダチョウ倶楽部)と。
でも、会釈くらいしてくれてもいいのになあ、とは思ったりする。それを求めてるわけじゃないんだけどね。
人として。
順番を譲られるのを当たり前だと思う人もいる。普通の顔して先にスイスイ……理解に苦しむ。
「ありがとうございます」って、素直に言えない人が増えていることを実感する。
って、何の話だ? すいません。
ARE YOU 薄口派or濃口派?
初の日本武道館公演を成功させた某人気バンド。最近はよくテレビでも目にする。オリコンのランキングでもCDは上位をキープ。遂には1位も獲得した。
ちょっと前から、オイラもバンド名だけは知っていた。でも、どんな曲をやっているのかは知識0状態。勉強不足でごめんなさい。
たまたま、音楽番組を観ていて彼らが出ていたので、初めて曲を聴いた。なるほど、と。
イマドキのヤングはこういうのが好きなんだ、と再認識。ただ、ぶっちゃけ、オイラには少々、モノ足りなかった。
何でだろうと考えて、わかった。歌詞がまるで入ってこない。気になって、サイトで歌詞をチェックしてみたのだが、やはりピンとこない。味の薄いスープみたいだ。
コーヒーはアメリカンより、苦っ! ってなくらい濃い~のがオイラは好きだ。味噌汁もそう。身体にはよくないんだけどね。
いや、悪口じゃないッス。あくまでも個人の感想です。趣味の問題。
オイラの感覚が錆びついてるのかもしれないし。こればっかりはなんとも……。
個を置き忘れた集団心理の恐怖
さて、具体的な話をすると、そのバンドの歌詞の一人称は“僕”ではなく“僕ら”と言うのが多かった。そこがオイラにはひっかかった。重箱の隅をつつくような話だけど……。
何で“僕”ではなく、“僕ら”なんだろう?
オイラがひねくれているのかもしれないけれど、“僕ら”という一人称は無責任のような気がしてならない。
それは、歌詞の説得力にも問題が出てくる。
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」ってか? ま、ちと意味合いは違うけど。
ひとりで万引きをするのと、集団で万引きをするのでは罪の意識も異なる(万引きは犯罪です。絶対にいけません!)。
単独犯と複数犯。ひとりでやる勇気はないけど、みんなと一緒ならどんなえぐいこともやってしまう、できてしまう心理というのは本当に恐ろしい。
ちと、話が大袈裟になってしまったが、そういうことだ。自分を置き去りにしては絶対にいけない。
もちろん、逆もある。ひとりでは成し得なかったことが、みんなの協力で成就するというパターン。ま、結局、何をやるかの話ではあるのだけれど……。
言霊なきカラッポの言葉
つい最近、メジャーデビューを目指しているJ-POPグループのリーダーと話をしたときも、ちと違和感を覚えた。
彼は今のリスナーは音楽に詳しくないし、単純だからわかりやすいメロディにシンプルな歌詞をのせてればいいんだ、と言った。
歌詞は「君が好き」で十分。それがいちばん伝わるとも。オイラは腹が立った。ポップ・ミュージックとはそんな温いものではない。もっと深い世界だ。
このリーダーは大きな間違いをしている。自分たちがミスチルとでも思っているのだろうか? 浅過ぎる。実際、彼は音楽的知識に乏しく、愛情もなかった。
売れることだけを考えて、楽曲に自分というものが存在しない。アーティストに大切なのは“自分のやり方”だ。自分のやり方で売れようという脳ミソがないことに唖然とした。
あるのは誰かがやったやり方で、既存するヒットのレールに乗ろうということだけ。
「ありがとう」と歌っても本当に心から思っていなければ、それはただの言葉に過ぎないということを残念ながら彼は理解していなかった。悲しい話だ。
今、求められているリーダー
先日、某大手レコード会社の新人開発スカウトマンYさん(社内では偉い人!)と話をした。年間にハンパない数のライブを観ているプロ。北は北千住から南は南浦和まで(実際は北海道から沖縄までね)、良いバンドがいると聞けば飛んで行く。
演芸界の高田文夫センせー的スタンス。その人が発掘してデビューさせ、武道館クラスにまで持っていったバンドは数知れない。
耳と目だけは確かだ。私生活はバツ3でフーゾク通いの賭け事好きとムチャクチャだが、その辺だけはオイラも信頼している。
「どんなバンドを探してるんですか?」とオイラはベタな質問をした。「ぶっちゃけ、どんな存在が今の世の中、必要とされてると思ってます?」
「メッセージ性の強い、熱いバンドですね」とYさんは真剣な顔をして言った。「具体的にはゴーイング・ステディみたいな。」
ふうむ、なるほど……。意外なバンド名がYさんの口から出てきたので驚いた。「今、売れてるバンドもどきの歌って、生温いというか、これでいいのか? って思っちゃうんですよね。もっと激しいパッションが欲しいというか、物足りないんですよ。」
「それは熱量ってことですよね?」とオイラは言った。
「そう、ライブでのステージから放出される熱量です」とYさん。「理解できないくらいに自分勝手なメッセージに溢れたバンドを探してるんですよ。なかなかいないですけど。」
やるか逃げるか……
冒頭の話に戻る。
『オマエがやるな、オレがやる』という名言を残したのはゴーイング・ステディ時代の峯田和伸だ(現、銀杏BOYZ)。
あれは、どんなタイミングだったろうか? ずいぶん前の話なので忘れてしまった。ただ、そのフレーズだけはしっかりと覚えている。
あまりにもインパクトが強かったから。
発言だけでは彼が貪欲で強欲な人間に思われるかもしれないが、峯田和伸は同時に「どうぞお先に」というハートも持っている。そういったバランスに長けた人間だ。
『オマエがやるな、オレがやる』という言葉にオイラは彼の自信とやさしさを感じる。
オレがすべて引き受ける。だから安心してついてこい、オレを信じろ!
そういう彼の思いがつまったのが、峯田和伸の作る歌であり、放出されるエネルギーである。だから、彼はカリスマと呼ばれ、急速にファンを集めた。
それはお客さんだけでなく、業界関係者、同業者……多くの人たちが注目をした。誰もが彼と一緒に仕事をしたいと思った。その求心力たるやハンパなかった。
これは、草食系とか肉食系とかいうことではない。そして、才能云々の話でもない。もちろん、音楽だけの話でもない。
学校、会社……様々なコミュニティーの中で共通する“ちょっとしたこと”だ。腹を括る、ということ。誰もやらないんだったらオレがやってやるよ! と。そういう考え方のできる人間はどんな形であれ、必ず転機が訪れる。
たとえば、会社の社員旅行の幹事なんて誰もが嫌がるだろう。学校のクラス委員なんかもそう。誰かがやってくれるだろう、とほとんどの人間は思う。そこでどう動くか。
さて、アナタならどうしますか? それが人生の分かれ道。
叫訓66
オマエがやるな、オレがやる!
DO IT MYSELF精神