女性の役割とは?
第2次安部改造内閣が発足。
いや、叫訓で政治の話をするつもりはナッシング。でも、過去最多の女性5人が入閣とのこと……。
ふうむ。
政治に無関心というわけではないけれど、無知であることは否めないオイラ。ちなみに、卒業した大学は経済学部の政治学科。
大学時代、まったく、政治の勉強をした記憶がない。そもそも、政治学科を選んだのはパンクスが多いと思ったから(ザ・クラッシュの影響)。ま、いなかったけど。
オイラ、考えてみると、女性上司の下で働いたことってないなあ。どんな感じなんだろ。女のコは大好きだけれども、仕事となると別だ。上手く話せる自信がまったくない。
でも、パリっとアイロンのかかった白いシャツを着て、タイトなスカートをはいた女性上司って憧れるよなあ。
オイラは天才的な子分肌なんで、「へいへい、了解でげす」なんてやってそう。
偏見かもしれないけど、女性が握るお寿司、女性による焼き鳥とか、あんまりそそられない。何でだろう? やっぱり、握り寿司や焼き鳥はおじちゃんにお願いしたいもんだ。
「大将、いつものやつね!」なんて。見た目は頑固そうであればあるほど美味しそうに思える。この感覚って何なんだろう。フシギ。
考えてみれば、飲食店のマスター(店主)っちゅーのは男性が多い。オイラが20年以上通い続けている定食屋さんもお父さんが料理を作り、お母さんが料理を運ぶ。
むーーーん。これって、どういうことなんだろう? 人気のラーメン屋さんなんて、ほっとんど男性が厨房にいるもんな。
って、しみません。本稿の枕(リード)でした。今回の叫訓テーマに移ります。
男は誰もがマザコンである
つきあっている彼女や奥さんから教えてもらうことは実に多かったりする。まー、一緒にいるというのはそういうことだ。
女のコのちょっとした言葉に「なるほどね~」なんて思ったことが男なら誰しもあるはず。女のコにはかなわないなあ、と。
そもそも、男子なんて誰もがマザコンで、父親よりも母親と過ごした時間のほうが多いもんだ。オイラもそれは例外ではない。
父ちゃんは朝早く会社に行き、夜遅くに帰ってきた。土日もつきあいのゴルフ三昧。子供の頃はほっとんど会話がなかった。
だから、オイラにいろんなことを教えてくれたのは母ちゃん。オイラを産んでくれたのも母ちゃん(笑)。
感謝(驚)。
だから、男はマザコンになる。でも、思春期になると母ちゃん以外の女性を意識するようになる。それはクラスメートだったり、テレビや雑誌の中の女性だったり。
そして、やがて、反抗期を向かえ、「クソばばあ!」なんてね。ひどいことをオイラも言ったもんだ。ごめん。
女性からの忘れられない一言
先日、居酒屋のランチを食べていた。ワンコインの海鮮丼。安いだけに丼に乗っている刺身が何かわからない。まー、関係ないや、と思いながらもぐもぐ。
食ってしまえばトイレでバイバイ。オイラは食に関してこだわりがまるでない。でも、そのときにふと思い出した。
昔、つきあってた女のコと一緒にピザを食べていたことの話。注文したのはミックス。何も考えずに口に運ぶ。
すると、彼女が話し出した。ピザを指差しながら、ひとつひとつの具材を説明。「何が入ってるかわかって食べてる?」
「ううん」とオイラ。「よくわからないけど、美味しいからいいかな、って」。だって、見たってわかんない。そんなことはどうでもいい。
『ダメだよーー。何を食べてるかわかってないと、美味しくないんだよーーー!』
面倒くせーな、細かいことを言いやがって! と。ま、そのときはそう思った。でも、数年後に彼女と別れて、ひとりで寂しくゴハンを食べているときに、初めて彼女が言っていた意味がわかった。
そういうことか、と。
確かに、自分が今、何を食べているのかをわかっているか、わかっていないかでは大きな差がある。オイラはそういったことをないがしろにして生きてきた。
すべてのものへの、感謝と愛情が足りなかったんだろう。
土下座の理由(わけ)とは……
さて、お仕事の話。
仕事で意味がわからずにやっていることがあったりする。誰でもそんな経験はあるはず。オイラもそんな時期があった。
とりあえず、上司に言われたからやる仕事。仕事? いや、仕事とすら思っていない。やればいいんでしょ、みたいな。なめた感じだ。テキトーにやっつけようと。
でも、そういうのってダメ。
ダメよ~、ダメダメ。
雑誌の仕事で校正というものがある。入社して初めての仕事だった。オイラの場合はちと特殊でランキングのアーティスト名だったり、作品名だったりをチェックするという間違い探しのような仕事。
DOにかなるでしょ、みたいなノリでやった。英字が大文字とか小文字の違いなんて大したことない話だ、と。
印刷所からあがってきたものと、正しいものの違いを正す作業。意味わからずやっていた。軽~~~い気持ちで。
結果、オイラは某大手音楽事務所に手土産持って土下座ということに(笑)。自分のミスがどれだけ大きなことになるか、そのときに初めてわかった。
芸能界的にNGだったらしい。責任感0だった。反省、猛省……。うううっ。
それ以来、責任感も芽生え、校正という地味な作業をやっていて楽しくなった。自分のやっていることが世の中的に大きなことなんだ、と。アーティスト名、作品名の表記が全国区になるということを知った。
やる気、ってやつ?
誰もが誰かに影響を与えている!
文章を書くことを仕事にしてから、自分の文章が少なからず影響力を持つということを意識するようになった。いや、本当ッス。こんな品の無い文章ばかり書いているオイラでも。
SNSが普及してから、誰もがライターさんだ。特別なことではない。何か問題が起きれば削除すれば済むことだ。でも、オイラが仕事として文章を書き始めた24年前はそうではなかった。
自分の言葉や考えを世の中に発表するということは責任問題で重大なことだった。CDレビューやインタビューは何回も何回も書き直しさせられた。自分の文章でCDの売れ行きが変わる。だから、ドキドキしながら原稿用紙に向かった。
この文章が活字となって掲載されたら、世の中が1ミリくらいは変わるかもしれない、と震えた。
実際、オイラも多くの人の文章に影響を受けた。何となくではあったかもしれないけれど、文章を書くのを生業にできれば、なんて大学時代には思っていた。
20代後半から30代前半まではバリバリ、文章を書きまくっていた。そのとき、編集部にそんなに多くはなかったけれど、「イノマーさんの文章に影響を受けて、自分もライターになんりたいと思っています」なんていうお手紙をもらったりもした。
「弟子にさせてください!」とかね(笑)。丁重にお断りしたけれども。
これは、たまたまオイラなんで文章の話になったけれども、何をやっていても同じことだと思う。自分が関わった仕事が誰かの人生を変えることもある。
だからこそ、今、自分が何をやっているのかをしっかりと理解しないといけない。
叫訓も第73回。この文章が1人でも誰かの人生のキッカケになってくれればと願いつつ、次回で最終回(涙)。
今回の叫訓↓
叫訓73
仕事を楽しくするためには……
自分が今何をしているのかきちんと知ること