探すより前に同時に開くシステム
筆者の場合、この記事を書くときには、記事を書く原稿のファイルのほかに、記事を補足する(あるいはキーとなる)画像や写真を同時に開いておくと作業は効率的です。引用する書類のファイルなども必要です。辞書などもあるとグッドです。過去の原稿の履歴も必要かもしれません。
必要なものをおおまかに列挙します。
これらが必要なものです。
あるいは買い物をするとき、「買い物メモ」「買い物をするホームページ」をどうやれば同時に開くことができるか。フォルダにまとめる、タグをつける。いろいろありますが、タグをつけるだけでなく、「同時に開く」ところが重要なわけです。フォーカスするべき技術は、タグをつけるかどうかではなく、同時に出てくるかどうかにあります。
ライフログは、ログをとることが目的ではなく、ログを使うことが重要なのです。
いまさらファイルを探す!?
フォルダを探す、ファイルを探す作業をどうするかは、コンピュータを使う上では、大きなテーマのひとつなわけです。
机の上のほんものの物体(オブジェクト)と異なり、コンピュータの中に入れたファイルは、手にとることができないし、見えないのでどこにあるか忘れるし、しばしばいちいち開いてみないと中を確認できないのです。しかも開くのがたいへんときた。
GnomeやMacOSX(iPhone/iPod)のように、プレビューアーに比較的力を注いでいるGUIシステムもありますが、それでもまだデータを紙のように見ることはできていません。
見えないものはないのといっしょです。
なぜか。
覚えられないからです。人間が一度に覚えられる数には限りがあります。有名なのはミラーの『マジカルナンバー7』です。
森下正修氏、苧坂直行氏が『言語性ワーキングメモリ課題遂行時の情報処理と貯蔵容量』で人間が一度に見るもの、処理できるもの(短期記憶の容量)について、こう整理していました。
Miller(1956)は、短期記憶に収めることのできる情報量の限界(メモリスパン)を『マジカルナンバー7(不思議な数7)』と表現しました。
これにたいしBroadbent(1975)は、正答率50%ではなく、正答率100%の場合のチャンクは3程度であることを示しました。さらにCowan(2001)は、短期記憶の純粋な貯蔵容量を4±1チャンクと規定し、Miller(1956)のマジカルナンバー7は、純粋な容量にくらべて過大評価が起きているとしました。
人間が一度に処理できる数は3~7程度。それを超える数を同時に扱うためには、同時に見えているようにすることが重要です。見えるもの、そこにあるものは、人間が記憶しておく必要がないので、やすやすと処理できます。
そこに存在せず、見えないものを思い浮かべるには、思い浮かべるために脳(ワーキングメモリ)を使う必要が出てきます。
思い浮かべるために脳を使うと、本来脳が作業すべき「考えること」はおろそかになり、さらにそれだけエネルギーをかけても同時に思い浮かべることができるものは、せいぜい3つとか4つとかという状況なわけです。
そうだとすれば、考えるためには、考えるために必要なものをぜんぶそろえておくことがよいし、それをそろえるのにかける手間が最小限であればなおのことよいと考えることができます。
検索で出てくるのでは遅い、遅すぎる
Google時代の現在、たいていの情報は検索すれば出てくるのはたしかです。よのなかでは整理は不要らしいです。検索すればいいかというとそういうわけではない、と筆者は考えています。
考えるためにわざわざ検索するのは、検索にエネルギーを割かれることになります。きちんと考える点からいうと、検索すれば出てくるのでは足りないのです。考えるときには必要なものはそろえておく必要があり、そのときに検索しているのでは遅いのです。遅すぎます。
検索というインターフェースは、しばしば画面やワーキングメモリを占有し、 ほかの情報と比較しにくいという事情もあります。これはもちろんGUIやブラウザやサイトの設計にも依存することです。
程度問題ではありますが、書類を整理せず、すべて机の上に積み上げておく、という方法は、ひとつの書類整理のメソッドとして、充分に成熟した方法であると考えることもできます。それに較べて、コンピュータは書類を積み上げておくほどの自由度もありません。そんな自由度の低いコンピュータを使ってどう考えごとをするのか。
考えごとをするときにはコンピュータを使わない、という意見を耳にすることもあります。それはそれとして、もしもコンピュータを考えごとに使うとしたら、あれもこれも全部必要なものはそろえておくときにどうするか、どう画面を設計し、どうインターフェースを作り、データを整理しておくか、というのがなかなか興味深いところなわけです。