Lifelog~毎日保存したログから見えてくる個性

第67回ライフログ的データベースの構築

データベースは無料なのか

なぜインターネット上の「データベースは無料なのか」と考えたことがあります。ここでいうデータベースとは、ホームページ一般を含む広い意味での情報群の意味です。

誰かが入力した情報がインターネットにはあふれていますが、どうしてそれは無料なのでしょう。誰かが入力したときのコストは、どうなっているのか。おそらくコストという概念とはなじまないなにかがあるのだろうと思います。なにかもあるとしても、それは誰かの手を経ている。では誰かとは誰なのだろうかと考えていたのです。

インターネットに載っていないデータベースの検索

たまたま、⁠鷗外の恋 舞姫エリスの真実』⁠六草いちか/講談社)を読んでいました。舞姫は、⁠ドイツに留学したときに女性と恋仲になり、挙げ句に捨てて帰ってきた」という、現代的な感覚からいうとほとんどろくでもない話なのですが、まあそれはそれとして、この舞姫=エリスが誰なのか、というのが長年のテーマになっているようです。

作中のエリスならぬエリーゼ・ヴィーゲルト(Elise Wiegert)は実在の人物で、じっさいに日本にやってきたらしいと当時の乗船名簿に記録が残っているのです。そのことは、1981年5月26日の朝日新聞の夕刊にも報じられています。

この本では、乗船名簿からさらに踏み込んで、ベルリンの公文書館や教会を訪ねて、住民票や教会簿や洗礼票(日本でいうところの戸籍みたいなもの)を閲覧して、エリーゼ・ヴィーゲルトの履歴を調べるエピソードが出ています。

それがとても困難らしいのです。たとえば次のように語られています。

公文書館では、厳密なアルファベット順に住民票を並べず、⁠MullerとMiler⁠⁠、⁠EhlertとOehlerdt」など、似た響きの苗字をまとめて管理しているのだそうだ。そしてこのグループ分けの下に、男性の苗字、未亡人、独身女性と分類し、姓も住所も同一の場合は「一家族」と捉え、家長となる人物を筆頭に並べている。

『Müller⁠⁠ pp.171

また、教会簿や洗礼票については、次のように語られています。

教会簿のデータはすべてマイクロフィッシュ(シート状のマイクロフィルム)化されている。それを閲覧するには、まずは当時の通りの名称が羅列された住所別ファイルで尋ね人の住所がどの教会の管轄かを調べる。それが分かると、今度は教会別ファイルを取り出し該当ページを開く。そこでは(A)洗礼・出生、⁠B)婚姻、⁠C)葬儀などとデータが分類され、その分類の下には年代とシート番号が並んでいる。その番号を二枚綴りの貸出票に書き込んで窓口に提出し、シートを借りて閲覧する。慣れてしまえば大したことでもないのだろうが、慣れる日など一度も来ないのではないかと思われるほど、複雑で煩雑な仕組みだった。

『Müller⁠⁠ pp.175

現代のGoogleに慣れたわたしたちには、とうてい想像もできないめんどうさです。

Googleといえば、ひところは「全人類の知をすべてデータベースにする」と意気込んでいましたが、わたしが思うに、こういうデータこそは知の結晶なのだろうし、それを対象にしなくてなにが全人類の知なのだろうか、という気がするわけです。

そこで、こういうデータを、どうすればデジタル化していけるのかについて夢想しました。

データベースの構築

データベースはある、でもデジタル化されていないから検索とはなじまない。もしデジタル化するとしたら、だれかがやるしかない、でもその誰かが誰なのか、ということです。

受益者負担で考えてみました。こういう教会に残る履歴資料の閲覧は、自分や家族のルーツを知るための閲覧希望者で、3カ月先まで予約でいっぱいだそうです。これがデジタルになっていれば、認証などの課題はあるとしても、ニーズはあるわけです。

そこで予約でいっぱいのそのひとたちに、閲覧時に、たとえばですが10人分をデジタル化することを義務づけるわけです。

ベルリン州公文書館の場合、1875~1948年のベルリン市全域および1960年までの西ベルリン地区の住民票280万件分をもっているのだそうです。これを、1日10人が利用するとして、それぞれが10人分デジタル化すると計算すると、1日ごとに100人分をデジタル化できることになります。

280万件をデジタル化し終えるのには、2,800,000/(10×10)=28,000日です。76年後ですね。これはさすがに長い。利用者が100人いて、50人分ずつデジタル化したら。2,800,000/(100×50)/365=1.53。わずかに1年半強です。

この1年~76年のどこかにデジタル化の需要と供給のバランスのとれたところがあり、10年くらいのペースでのデジタル化なら、強力なリーダーシップがあればできるのではないか、という気がします。

ひとは徒労でなければモチベーションを持続できるものです。継続的な努力での達成感は得難いものだし、いずれそれが役に立つと思ったり、ゲーム感覚で持続できれば、ルーツという検索環境だって考えられるわけです。これは結構可能性としてはありなのではないか、と思うのです。

過去に書かれたすべての資料がデジタルになったら、過去が甦ってくるような気がするのです。

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