Windows 8搭載のピュア・タブレットをもっています。これをなにかに使えないかと考えて試作しているのが、電子書籍ソフトです。
電子書籍は、近年、ブームが定着し始めているようです。大きくわけると、携帯電話系、ハードウェア専用端末系、Amazon-Kindle系、ソフトウェア系(EPUB, PDF)、青空文庫系、書籍の電子化(PDF, jpg)などになると思います。
電子書籍への不満点
筆者は、年間で300冊以上を読む「活字中毒」です。この多大な読書癖からの個人的な感想では、既存の電子端末は不満があり、ほぼ全滅という感じがしています。
既存の電子端末に感じている不満は、5つあります。
タイトル数が足りない
第一に、タイトル数がぜんぜん足りないことです。ずばり読みたい本がないのです。
電子書籍の表現力が足りない
第二に、表現力が足りないことです。表現力とは、画面のレイアウトといってもいいかもしれません。そもそも紙と同程度の解像度をもつ電子端末は存在しないですが、それに近いRetinaディスプレイのiPad系をもってしても、フォントがまだ足りないのではないかという気がします。文字をきちんと表現しきれていないことも、表現力のひとつの要素です。比較的よく見かけるたとえば「剥」「躯」などの漢字をちゃんと表記している電子書籍を見かけることがそもそも稀です。『舞姫』の作者、『阿房列車』の作者の名前を表記せずにいて、書籍と言ってよいのだろうかという感じがするのです。
筆者は雑誌の編集者でもありましたが、編集の観点でいうと、文字詰めが「詰め」でないことにも不満があります。文字がすかすかに見えるためです。雑誌の場合、ふつう文字送り(文字詰め)はフォントサイズ(級数)よりもひとつ下げて送ることが多いです。文字の方向に詰めることで、目は自然と文字を追うことができ、行の方に目移りせずにすむようになるためです。電子書籍には、文字間が開いていたり、行間との区別がないようなこともあって、縦に読んだらよいのか、横に読んだらいいのか目が迷ってしまうことがあり、文章を読むことを困難にしているような場合さえあります。
解像度と同時に、書籍らしさのない電子書籍にも不満を感じます。筆者は、クリームイエローの紙色である集英社コバルト文庫や赤茶けた角川文庫、ざら紙のような新潮文庫などのほか、ややイエローのかかった書籍用紙をとても気に入っています。電子書籍の特に専用端末は、モノクロであって、このような紙の色を再現したものはありません。ソフトウェアの場合でも、背景を自由に変えられるものは寡聞にして知りません。いやこれ、ほんとうに知らないのです。すみません。AdobeのAcrobatは背景の色は変更できるようですが、背景に自分の好きな画像(たとえば紙)を配置できるような機能はないように思います。これもあったらすみません。
背表紙がない
第三に、背表紙がないことです。書籍とコンピュータとのかかわりのなかで、書籍を代表する画像情報は表紙のサムネイルばかりです。Amazonのイメージにせよ、その他の電子書籍にせよです。書籍の表紙はもちろんデザインされていて、多くのイメージをもっていますが、場所を取るところに難点があります。既存の実際の紙の書籍でも、数が増えれば面差しではなく棚差しするのが普通でしょうから、書籍といっていちばん最初にイメージするのは表紙よりも背表紙ではないかと思うのです。背表紙をいちばん長く見ているのではないかと。そうであればなおのこと、電子書籍に背表紙がないことは不自然に思えるのです。
筆者はこれまでにも、自分で電子化した書籍を扱うのに、背表紙を中心としてきました。背表紙は、表紙と較べて情報の圧縮効率が高く、閲覧もたやすいと感じています。表紙のイメージはよいのですが、サムネイルになると小さくて、なにを表示しているのか細かいところを見ることができません。背表紙ならそれを解消できると考えています。
手書きメモ機能がほしい
第四に、メモ機能です。手書きメモといってもいいです。書籍に赤字で注釈をつけながら読むということをふだん紙の本でもしているので、手書きで簡単に文字を書ける電子書籍がほしいのです。
自由度が低い
第五に、自由度です。せっかくの電子書籍であるにもかかわらず、文字のサイズやフォント、レイアウト、書記方向(縦書き/横書き)などを自由に変更できる電子書籍はとても少ないようです。ソフトウェアで実現する場合には、端末の実サイズや解像度などによって、読みやすいフォント、読みやすい文字サイズは、ユーザーのニーズに応じて、自由に変更できてよいはずです。目のよい人とそうでない人とでは、読みやすいと感じるサイズは違うでしょうし、一度に表示できる文字数がどのくらいあるかも、読みやすさと密接な関係にあると思います。筆者の場合、一度に40文字×40行程度約1,600文字、すなわち一般的な書籍の見開き2ページ分を一度に目にしていたいと感じます。筆者は、本を読むときに、いわゆるフォトリーディング的な読み方をしているようで、要点だけをすばやく抜き出して読んだり、読んでいる文字の次の文字や次の行に視線を動かしたりしているようです。一度に表示できる文字数が少ないと、このような読み方をすることができません。そもそもそういうものを筆者は書籍とは感じないようなのです。
紙の書籍のデジタル化と自由度
ライフログ的な観点でいうと、筆者はこれまでに読んだ紙の書籍を順次デジタル化していますが、既存の電子書籍では、その成果を電子書籍と融合することが困難です。これも自由度のひとつです。
たとえば、平井和正の『死霊狩り』という作品があります。これは1969年に講談社の『ぼくらマガジン』で連載したマンガ『デスハンター』(桑田次郎画)の原作として書かれたものを小説化したものです。小説版は、早川書房(1972年、生頼範義画)、角川書店(1975~1978年 生頼範義画)、リム出版/エーブイエス(、泉谷あゆみ画)、アスキー/アスペクト(1997~1998年 山口譲司画)、角川春樹事務所/ハルキ文庫(泉谷あゆみ画)と繰り返し出版されているほか、1998~2001年にはアスキー/アスペクト、およびエンターブレインで梁慶一が再度マンガ化しています。
じつに5人ものイラストレーターや画家が、さまざまなシーンをビジュアル化している作品でもあるわけです。筆者は、これらのすべてを個人的に所有しています。こうなると、それらすべてを比較しながら読んでみたい、読むというよりはむしろ愛でてみたいと感じるのを止めることができません。
それを紙で行うのは、けっこうむずかしいのです。『デスハンター』は約800ページ。コミック版『死霊狩りZOMBIE HUNTER』も約700ページを超えた作品です。合計1,500点以上の画像から、同じシーンを並べたり、好きなシーンを比較して見る作業は、紙ではかなり困難です。そもそも物理的な紙でモノを整理できる限界はせいぜい数百程度であって、それを超える場合にはむずかしいのではないか、というのが筆者の考えです。事実、紙では、これまでもっていても、一度も比較して読んだことがないのです。同時に開くことさえ困難だ、ということもあります。2冊以上の本を同時に開いたりめくったりすることは、普通に考えればとてもむずかしいことです。
「あの」シーンを、生頼範義は、山口譲司は、泉谷あゆみはどう描いているのか。1960年代末の桑田次郎と20世紀末の梁慶一の表現はどこまで進歩したのか。あるいはまだ桑田次郎のほうが先んじているのか。比較してみなければ答えを出すことはできませんし、それで得ることもきっと多いだろうとは思うものの、紙ではそれを行うことは困難で実現せずにいたわけです。電子の書籍なら、その可能性が見えるのではないか、と、つまり電子の書籍は、過去のすべてのライフ(あるいは人類の)ログを統合して、自由自在に呼び出すことを可能にするのではないかと期待していたのです。
過去と未来のすべてを統合して読む読書
こういうのをリアルに比較できるのが、電子の書籍の魅力です。これを頭のなかだけで行っていたのが、マンガ家の萩尾望都です。萩尾望都は1979年にアマゾンに旅行に行ったときに、一冊もっていった『LaLa』を、何回も飽きずに読んでいて、それを不思議に思って訊くと「まずね、山岸涼子さんが描いているマンガを、大島弓子さんが描いたらどうなるかなぁ、青池保子さんならどんな風に描くかなぁって思って読んでる。その反対のこともしてる。だから何回読んでも飽きない」と答えたのだとか(『KAWADE夢ムック総特集萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』河出書房新社pp.157)。
天才ならぬ凡人にでも表現されたものに限れば、このような想像力(あるいは編集力?)を発揮して、これまでにはなかった楽しみを楽しむことができるのです。これこそが、電子書籍が実現する可能性のひとつなのではないかと筆者は考えます。
もちろん、著作権という課題はありますし、著作権を否定するわけではありません。それでも筆者には、現実の電子書籍は、そういう「夢の世界」とは遙かに隔たった地面の上をはいずっているように思えてなりません。
著作権という点でいえば、それぞれの作者は全員存命ですが、人類の常として300年は生きないでしょうから、ひょっとすると2300年には、そういう夢の電子書籍『死霊狩り』を実現できる可能性もあります。ただし、2300年にはたぶん筆者自身も生きておりませんから、その夢の電子書籍版『死霊狩り』を手にすることはできないのです。公開したバージョンとしてでは、です。
私家版とスクラップブッキング
そこで私家版です。
かつて、萩尾望都は、マンガのうち自分の好きなページだけを抜き出して、私家版の抜き出し漫画集を作っていたといいます(『思い出を切りぬくとき』河出書房新社pp.158-160)。年に200冊もを作っていたとか。
こういうのを、広く、スクラップブッキングと呼ぶとすれば、その歴史には江戸川乱歩の『貼雑年譜(はりまぜねんぷ)』も連なっているでしょう。
電子の私家版は、こういうものを実現する手助けとなります。もちろんこれも、別に電子でなければできないことではありませんし、紙であっても、萩尾望都のように実現していた人はいるともいえます。ただし、紙に印刷されたものを集めて私家版とするには、たとえば左右ページをどう扱うか、サイズの異なるものをどうするかなど、現実的な課題にすぐに直面することになります。
たとえば、あるマンガを雑誌連載と、コミックの両方で所有しているとして、雑誌連載のときのカラーページをコミックの該当ページに挿入して読みたいというようなときに、それを容易に満たす方法として、この電子の私家版が考えられるのではないかと思うのです。
編集できる電子書籍
結局のところ、筆者の行っているのは、ある種の「編集」作業であるわけです。そして編集するためには、出来合いの変更不可な電子書籍では不充分であり、もうすこし自由度の高いなにものかが必要になります。そのことが、実際に電子書籍ソフト『bookViewer』を作ってみてわかったことです。
このbookViewerは、前述した既存の電子端末の不満点を取り除くように作りました。具体的には、bookViewerの特徴は、前述の不満点のちょうど逆となります。
- 機能1:タイトルは、用意した任意のタイトルを読み込めます。テキストおよび画像を読めますので、自分でデジタル化した書籍を自由に扱えます。
- 機能2:表現力にこだわりました。Unicodeに対応して漢字を表示できるほか、Unicodeにない文字も表示できるようにしています。背景は紙の雰囲気を再現し、文字は縦方向には詰めて表示しています。縦書きでの句読点や約物の位置、ダッシュの連続なども微調整して、自然さを追求しています。
- 機能3:背表紙機能に対応しています。書棚モードの背表紙で本を選び、本文を読み始めることができます。
- 機能4:手書きメモ機能をもちます。脚注表示機能ももちます。
- 機能5:レイアウトの自由度があります。
『死霊狩り』私家版をbookViewerで読んだところ充分楽しかったのですが、もしほんとうに書籍として実現できたらなどと夢想しています。
なお、『bookViewer』の試作版は、http://www42.tok2.com/home/papermoon/bookViewer/index.htmlでフリーで公開しています。青空文庫を読むための姉妹ソフト『aozoRandom』は、http://www42.tok2.com/home/papermoon/aozoRandom/index.htmlで公開しています。