サンフランシスコで昼食を

第7回JTPAシリコンバレーツアーに参加

装い新たにお届けします

前回で連載「サンフランシスコの窓から」にひと段落ついたわけですが、まだまだ書くこともありそう、ということでもう少しお付き合いいただくことになりました。まだ始まったばかりのアメリカ生活やUS本社でのソフトウェアエンジニアリングなど、またこれら以外にもいろいろなネタを仕込んでいく予定です。こんな企画をやってほしい! といったフィードバックもお待ちしています。

YAPCの準備

この原稿を書いている今、ちょうど数週間後にせまったYAPCの準備がだんだんと忙しくなってきています。今回のイベントは100%ボランティアスタッフで運営されているのは昨年同様ですが、なんと一度もスタッフミーティングを行っていません。自分がやろうと言い出したときにはすでにUSに引っ越していたのが原因ではありますが、日本にいる運営スタッフみなさんの尽力のおかげで、ここまではスムーズに進んでいると思います。

YAPCを日本単独で開催したのは去年が初めてですが[1]⁠、自分にとって初めてのYAPCは2005年の3月に台湾で行われたYAPC::Taipeiです。このカンファレンスに参加したことは、自分にとってオープンソースとの関わり合い、また海外でのPerlハッカーとの交流を深めるための大きなきっかけになったと思います。今年のYAPC::Asiaも、参加するみなさんにとって、日本でそうしたきっかけをつかむためのイベントになればいいなと願っています。

フライトの関係上、自分が帰国するのはカンファレンスの2日前の予定なので、チームの初顔合わせは当日朝なんてことになりそうな気配です。この記事が読めるころにはすでにイベントも終了して、レポートなどが見られるようになっているはず。どんなイベントになるか今から楽しみです[2]⁠。

JTPAに参加

コミュニティといえば、先日JTPAの主催するシリコンバレーツアー最終日に講師として参加してきました。JTPAはJapanese Technology Professional Associationの略で、日本人が海外(とくにシリコンバレー周辺)で働くことを支援するNPO法人です。渡米する前後からいろいろお世話になっているインフォテリアの江島さんからの紹介で参加しました。講師といっても、⁠IT企業で働く」というセッションで海外での仕事の様子や、日本の会社との文化的違い、チームの共同作業のしかた、といった個別のテーマについてシリコンバレーで働く同業界の日本人エンジニアのみなさん(江島さんやアップルの木田さんなど)とディスカッションした、という感じです。話の内容は前の連載で触れたこともだいぶありましたし、まだ書いていなかったなぁ、という話題もあったので、次回以降でまた補足していけたらいいなと思っています。

ほかにも、⁠アメリカの大学で学ぶ」⁠シリコンバレーで起業する」といった、ツアー参加者のメインたる卒業間際あるいは1年を残した学生には、刺激的な内容のセッションが多かったようです。

筆者にとっても、アメリカの大学や大学院で学ぶことを講師側の人たちの多くが熱心に薦めたり、USの企業では仕事をしながら就業後にスクールに行くような事例が多い、といったことには若干のカルチャーショックを覚えずにはいられませんでした。自分が日本の大学4年生のころも、そして今現在当時を思い起こしても考えるのは、大学の4年間は有益なモラトリアムではあったとしても、仕事をいったんやめてまた2年間学問の道へ戻る、という発想はありえないということです。しかし、その発想が自然に出て、またそういった考えを持つ人々が集まった大学のネットワーク、コミュニティではさまざまなコネクションや化学反応が生じて、Yahoo! やGoogleといった企業さえも生む、というのがこのシリコンバレーという場所を形成するマジックのタネなのかもしれません。

村山 尚武さんや梅田 望夫さん、江島 健太郎さんをはじめ豪華なメンバーが講師として参加していました
村山 尚武さんや梅田 望夫さん、江島 健太郎さんをはじめ豪華なメンバーが講師として参加していました

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