一歩下がって「時代の流れ」を見る
この業界では日々さまざまなことが起きている。そんな中で、個々の事象にいちいち惑わされず、自分なりに「時代の流れ」をしっかりととらえる目を養うことが大切である。
最近だと、MicrosoftがHTML5の採用に踏み切ったこと[1]、AppleとAdobeのFlashに関するにらみ合い、Googleが買収したOn2 Technologiesのビデオコーデック「V8」を「WebM」としてオープンソースにしたこと、シャープが提唱する電子書籍の独自フォーマット「次世代XMDF」が激しく批判されていることなどが目についたニュースだが、そのどれもが一つの強い方向性を示している..「独自フォーマット戦略」の終焉だ。
独自フォーマット戦略
独自フォーマット戦略とは、自社が所有する知的所有権をからめたメディアのフォーマットをなんらかの方法で「業界標準」とし、ツール、再生ソフトや装置、メディアなどからライセンス料を徴集しようという戦略である。
Microsoft Officeのファイルフォーマットが典型的な例である。Office 95がリリースされてから15年が過ぎたが、相変わらずMicrosoftの優位性が揺らがないのは、そのファイルフォーマットが企業活動におけるドキュメントの事実上の業界標準になってしまっているためだ。
Adobeが、PDFやFlashの再生ソフトを無償で提供し続けるのも、独自のフォーマットをWebの世界での事実上の業界標準にすることにより、提供するオーサリングツールでほぼ独占的に収益を上げようという戦略である。
ソニー、パナソニックなどの大手家電メーカーは、莫大な開発費をかけてCDやBlu-rayなどの製造、再生に必要なさまざまな要素技術を開発し続けているが、それは単に「自社製品だけに搭載して差別化を図ろう」というわけではなく、「独自フォーマットを業界標準にし、ライセンス収入を得よう」という戦略的意味がおおいにある。
特に音楽や映像などの「コンテンツ」が絡んだフォーマットの場合、CDとかBlu-Rayなどのメディアそのものから「メディア1枚いくら」のライセンス料を徴集することすら可能になるので、ここでの利権争いは熾烈なものとなる。たとえばCDの場合だと、ソニーとPhilipsが知的所有権を持つフォーマットが業界標準になったため、CDプレーヤを作る家電メーカーだけでなく、音楽CDを発売していたレコード会社(レーベル)までもがCDの販売数に応じたライセンス料を払うことになったのはよく知られている。
積極的な開発投資を促すべく作られた知的所有権保護法
この独自フォーマット戦略には、当然だが「競争が阻害される」「ライセンス料のために価格が高くなる」という欠点もあるが、営利企業による積極的な開発投資を促すためには必要なもの、という考え方がこれまで一般的であった。
誤解している人が多いのだが、特許法などの知的所有権の保護法は「発明者の利益を守る」のが目的の法律ではない。発明者の利益をある期間限定的に保証することにより、企業による積極的な研究開発投資を促し、結果として「より良い商品をがより安価に」消費者に届けられるようになることを目的とした法律である[2]。
一方、ソフトウェアは、「アイデア」そのものよりも、実際にそのアイデアを役に立つ商品に仕上げる商品開発の部分により多くの開発投資が必要である。そのようなソフトウェアに対して、従来の特許法を適用するのが、果たして最終的に「より良い商品をより安価に」消費者に届けることに役に立っているのかどうか、という疑問を投げかける声が高まってきた。特許権などが存在するために競争原理が働かず、商品の進化のスピードが落ちたり、結果として高いものを消費者が買わされている、という「ソフトウェアパテント不要論者」の主張である。
この考え方に拍車をかけることになったのがインターネットの誕生である。
インターネットが浮き彫りにした独自フォーマットの問題点
インターネットは一般的に利用できるようになってわずか15年足らずの間に、私たちの生活になくてはならないほど重要なものになったが、その普及に最も重要な役目を果たしたのは、HTML・CSS・JavaScript・JPEGというライセンス料フリーの完全にオープンなフォーマットである。
完全にオープンだからこそ、誰でもブラウザを作ることができ、「Netscape対Microsoft」の第一次ブラウザ戦争が起こって「ブラウザは無償」というのが当然になったし、ブラウザ向けのコンテンツを作ってもライセンス料が一切かからないために、Webサイトが星の数ほど生まれた。現在でもInternet Explorer、Firefox、Opera、Safari、Chromeなどのさまざまなブラウザが作られ、日々進化し、かつ無償で配布され続けている。
インターネットの世界では、特定の利害関係者のいないオープンなフォーマットが標準になったにもかかわらず、企業による開発投資の熱は冷めるどころか、逆に加速したのである。その結果、知的所有権の保護法が本来目指すところの「より良い商品をより安価に」消費者に届けるという理想の状態が作られたのである。まさに「ソフトウェアパテント不要論者」の主張することが現実になったのである。
そんなインターネットの世界でも、独自フォーマットを業界標準にしようとした企業がいくつも現れた。代表的なのがMicrosoftで、Internet Explorer 3.0/4.0でNetscapeの息の根を止めると、本来オープンであるブラウザの世界に、Microsoft独自の仕様[3]を持ち込み、それを業界標準にすることにより、Microsoftの地位を不動のものにしようとしたのである。
しかし、この試みは見事に失敗した。WebサイトはMicrosoft独自の仕様にそっぽを向き、逆にMicrosoft以外のブラウザベンダーが一致協力して、CSS3・HTML5・SVGなどの「次世代ブラウザ」の仕様をオープンな形で決めはじめたのである。
その意味では、最初は抵抗していたMicrosoftが、ついにオープンなフォーマットを採用することになったことは、従来型の「独自フォーマット戦略」の「インターネットのオープン化」に対する完全敗北という意味で、時代の流れをよく表す、とても象徴的な出来事なのである。
Microsoftと同じように独自フォーマット戦略を採用しながらも、それなりの成功を収めたのはMacromedia[4]のFlashである。あらゆるブラウザの上で動くようにしたFlash Playerを無償で提供することにより、Microsoft・Netscape間のブラウザ戦争、もしくはMicrosoft・RealNetworks間のビデオフォーマット戦争の戦いの狭間をついて「漁夫の利」を得たのである。
しかし、そのFlashも、HTML5というオープンスタンダードの誕生で存在意義が薄れはじめている。Appleが「iPhone、iPadにはFlash Playerは搭載しない」と決めたのも、オープンなスタンダードであるHTML5へのシフトを加速するための戦略に基づいたものだし、Googleが着々とFlash離れの準備を進めている[5]のも同様の理由である。
独自フォーマット戦略が通用しない時代がやってくる
そんな時代背景を意識したうえで、GoogleによるOn2 Technologiesの買収とそれに続くビデオコーデックのオープンソース化を見ると、それがGoogleの「一部の企業が知的所有権を主張するビデオフォーマットを業界標準にするのはもうやめて、誰でもライセンスフリーで使えるフォーマットを採用しよう」という強いメッセージが込められたものであることがわかる。
ここで危機感を持つべきは、MicrosoftやAdobeなどの独自フォーマット戦略で成功を収めてきたソフトウェアメーカーだけではない。今まで、CD、DVD、Blu-Rayなどの標準フォーマットを牛耳ることにより家電業界のリーダーシップを取り、ライセンス料を稼いでいた大手家電メーカーもおおいに危機感を持つべきである。
GoogleがAndroidやGoogle TVで実現しようとしていることは、家電・組み込みデバイスのオープン化である。Webページだけでなく、音楽・映像・書籍などすべてのメディアのフォーマットをオープン化することにより、パソコン・家電・組み込みデバイスの境がなくなる。そんな世界では、今までのようなライセンス料収入は期待できないし、コンテンツとデバイスを絡めた囲い込み戦略も通用しない。デバイスはコモディティ化し、ネット上のコンテンツやサービスにアクセスするための道具に過ぎなくなる。それがGoogleの狙いである。ソニーとGoogleとの提携の戦略的意味に疑問を投げかける声が多いのも、これが原因である。
そんな目で見ると、最近シャープが発表した次世代XMDFという電子書籍のフォーマットがいかに時代遅れのものかがよくわかる。本当に業界全体・消費者のことを考えるのであれば、すでに業界標準として認められているePubというフォーマットに、ルビ・縦書き・禁則処理などの日本独自の拡張機能を追加するなり、HTML5を活用した新しい形の電子書籍フォーマットを作るなりのオープンなアプローチを取るべきである。
オープンでないフォーマットを採用して一番損をするのは音楽・映像・書籍などのコンテンツを制作するコンテンツメーカーである。
インターネットが「オープンフォーマット」の利点をここまで明確に証明してくれた今、採用すべきは「ライセンスフリーなオープンフォーマット」なのは明確である。