「残り物」だったWindows
私がMicrosoftで最初にした仕事は,Windows 1.0の日本語化だ。今から考えれば,その実績があったからこそWindows 95のアーキテクトになれたのだが,実は自ら進んでやった仕事ではない。
Microsoftがアスキー出版との総代理店契約を打ち切り,MSKKと呼ばれる日本法人を作ったのは1986年のことだ。当時,NTTの研究所にいた私は,そのニュースを新聞記事で読みすぐに転職を決めたのだが,退職手続きに時間がかかり,アスキー出版から移ってきたメンバーよりも1ヵ月遅れて入社することになった。
当時エンジニアは私も含めて3人しかいなかったが,私よりも先に入社したエンジニアたちが早い者勝ちでXenix(注1)とMultiplan(注2)を取ってしまったため,残り物だったWindowsの仕事が私に回ってきたのだ。
当時のWindowsは速度も極端に遅く機能的にも貧弱だった。にもかかわらず,Microsoftは次々に日本のメーカーとのOEM契約を決めていたが,これは,成毛眞氏(注3)を筆頭とするMSKKの優秀な営業によるものである。
とはいえWindows本体の開発だけで手いっぱいだったMicrosoft本社の開発部隊は,欧米のマーケットしか見ずに開発しており,日本語対応では大きく遅れていた。その仕事が「残り物」として私に回ってきたのである。
Windowsの日本語対応
OSの他国語対応は今では当たり前だが,当時はUnicodeすら定義されておらず,「日本のマーケットでWindowsを普及させるには何をしなければならないのか」から取り組まなければならなかった。
すべての文字が1バイトで表現できてしまう欧米の言語とは違い,漢字,ひらがな,カタカナがある日本語の場合,最低でも2バイトが必要である。「1文字は常に1バイトで表現できる」という前提で作られているOSの各所に手を入れて,2バイトの文字が出現したときにもちゃんと処理できるように変更することは必須である。
それに加え,キーボードから直接漢字を入力できない日本語の場合,かな漢字変換の機能をOS側に用意する必要がある。それも,辞書などの関係で必ずしもOSの提供者(この場合はMicrosoft)がかな漢字変換システムを提供できるとは限らないので,第三者が開発したかな漢字変換システムを組み込めるしくみが必要だ。
Windows 1.0の日本語化で最も苦労したのがこのかな漢字変換の部分であったが,そのしくみが,最終的にはIBMと共同開発したOS/2やWindows 95に引き継がれ,最新のWindows 10でも使われている。
それ以外にも,縦書きのサポートに結構苦労したが,このケースでは開発そのものよりも,縦書きの際に句読点などのフォントを変更しなければならない理由を日本語のことは何も知らない米国の開発者に理解してもらうのに最も苦労したことをよく覚えている。
日本と米国の品質への考え方の違い
日本語とは直接関係がないが苦労したのが,品質に関する要求度が大きく異なる日本のOEMメーカーと米国の開発者の間を取り持つ仕事である。OEMメーカーの一つであった日立製作所の技術者は,Windowsの各種APIをさまざな条件下でテストし,発見されたバグをレポートして私に送ってくるのだが,「この程度のバグであれば実害もないのだから見逃してほしい」と言う本社の技術者との間で板挟みになってしまうのである。
よく覚えているのが,楕円の描画ルーチンのバグだ。日立製作所の技術者は,楕円の半径が極端に小さい場合と大きい場合で計算誤差により楕円が歪むことを大きな問題として報告してきたが,本社の技術者は「プライオリティの低い問題」としていつまで経っても対応してくれないのだ。
しかたがないので,私が楕円描画ルーチンを全面的に書きなおした。苦労はしたが,結果としては本社の技術者からも「結構使えるやつがMSKKにいる」と注目されるようになったことが,のちの本社への移籍や開発チーム選びで大きくプラスになったのだから文句は言えない。
「OSの日本語化」という一見地味な仕事の中にもそれなりのチャレンジを見つけ,徐々に本社の開発者にも認められる存在になっていくステップとして利用できたことは,半ば偶然とはいえ,私のエンジニアとしてのキャリア形成に大きな役割を果たしたことは否定できない。
12年ぶりにCEOに復帰
今年の2月から,UIEvolution, Inc.(本社シアトル)にCEO(Chief Executive Of ficer,最高経営責任者)として復帰することが決まった。UIEvolutionは私が2000年に「私たちの周りにあるすべてのものがインターネットにつながる世界が来る」というビジョンとともに作った会社で経営から退いていたが,とある経緯で12年ぶりに復帰することになったのだ。会社経営が忙しくなるのでコラムの執筆などは減るとは思うが,会社のCEOとしてのメッセージは出し続ける予定なので,よろしくお願いする。