2013年6月15日、お台場科学未来館にてMaker Conference Tokyo 2013(主催:オライリー・ジャパン)が開催されました。ここでは、その模様をお届けします。
Making Makers
最初の基調講演は、米『MAKE magazine』の編集長であり、Boing Boingの創設者としても知られるマーク・フラウエンフェルダー氏の「Making Makers: Makerをつくる」でした。
フラウエンフェルダー氏はまず、20世紀前半のDIY雑誌やカタログの表紙と現在のMakerたちの作品との類似点をユニークな例とともに紹介し、20世紀前半においては誰もがMakersであったと述べました。
しかし、その流れはいつまでも続くことはなく、1970年から2000年にかけてはMakerたちにとっての暗黒時代だったと言います。氏はその理由として、今では直すよりも新しいものを購入したほうがずっと手っ取り早いからではないかという仮説を提示されていました。たとえば、1954年当時のテレビの価格を2013年の貨幣価値に直してみると、現在のテレビの70倍もの価値があったのです。
そんな中でも、DIYの精神はサブカルチャーとして生き延びていました。パンク・ロックのアーティストたちが自らの音楽を自分たちで届けていたことや、「zine」と呼ばれる個人出版の雑誌などはその現れであり、こういった土壌が2000年以降のMakerムーブメントの土壌となったと言います。
Makerムーブメントの2つのフェーズ
そういった流れの先にある現在のMakerムーブメントですが、氏によれば、このムーブメントは2つのフェーズに分けることができると言います。
まず、フェーズ1として「作るのが単純に楽しい」という段階。そして、次のフェーズ2である「他の人が使えるツールを作り、コミュニケーションしていく」という段階です。そして、現在進行しているフェーズ2は「組織の力がなければものを作ることのできなかった時代の終わり」ではないかと氏は続けます。なぜなら、大きな組織が持っていた研究開発、デザインなどの各々の機能を、MakerたちはWebを通じて分散化しているからです。
そして最後に、このような状況にあるMakerムーブメントにおいては、「ものを作りたいというスピリット」「自分のパーソナリティを妥協しないこと」「他の人たちと共有できるものづくりを続けていること」が、よいMakerの条件であるとして講演を締めくくりました。
Indie Products
続いては、深セン(中国)にてSeeed StudioというMakerのための企業を経営するエリック・パン氏が「Indie Products: 独立系の製品」と題して、Makerの生態系を作っていくためのアイデアについて講演されました。
パン氏はまず、子どものころからテレビゲームやコンピュータが好きだったこと、大学ではロボティクスや組込み開発のコンテストに出ていたこと、そしてIntelでの開発職などを経て現在のSeeed Studioを立ち上げたことなど、自らの経歴を紹介されました。そして、Makerたちは要求を持つ「ユーザ」、問題を解決できる「デザイナー」、それを広めていく「マーケター」という3つの要素を持っていると述べました。
ハードウェアの4つのレイヤ:Skin、Skelton、Guts、Soul
次に、ハードウェア製品は「Skin: 皮膚」「Skelton: 骨格」「Guts: 内臓」「Soul: 魂」の4つのレイヤから成っていることを紹介し、Makerにとってのそれぞれの例を提示されました。たとえば、オープンソースの「内臓」としてのArduinoや、「骨格」を作るものとしての3Dプリンタなどです。Makerは、4つのレイヤすべてを自らの手で作る必要はなく、必要に応じて組み合わせていくことができるのです。 これによって、製品を作るための「アイデア→プロトタイプ→開発サンプル→量産化」というステップを早めることができるようになったと言います。
最後に、Makerたちが多様化するニーズに応えようとしている現状を、「大企業=恐竜」の時代から「Makerたち=小さな哺乳類」が栄える時代への進化になぞらえ、今後は日本のMakerたちともコラボレーションをしていきたいとして講演を締めくくりました。
Makerフレンドリーな製品をつくる
昼食を挟んで、Aホールでは「Makerフレンドリーな製品をつくる」と題したセッションが行われました。
まずモデレータの多摩美術大学教授 久保田晃弘氏から「設計図や部品が誰にでも手に入る」「ユーザコミュニティがあり、情報を共有できる」という製品が増えてきている現状を踏まえ、その事例をお聞きしたいという趣旨説明が行われ、Roland DGの村松一治氏と宮本数人氏、KORGの坂巻匡彦氏の発表が始まりました。
Roland DGとiModela
まずはRoland DGの村松氏と宮本氏による3D切削加工機「iModela」についての発表です。村松氏からRoland DGの沿革、およびiModelaのコンセプトのひとつとして「分解・交換が可能」であることが挙げられるとの説明に続き、実際の開発を担当した宮本氏からiModela開発時のエピソードが紹介されました。
中でも、iModela開発の着想を得るためにミニ四駆のパーツショップを訪れたエピソードは興味深いものでした。ショップに居合せた少年とモータの特性について会話を交わした際に、「おじさん、作ってみればわかるよ」と教えられたことがエンジニアスピリットを目覚めさせ、これまでの「設計から試作へ」ではなく「試作から設計へ」という流れで開発をはじめたとのこと。
その他、発想をゆるがしてしまわないよう、最初のプロトタイプ制作が終わるまではインターネットで情報を収集しなかったというお話や、当初の「組立式」という構想は購入時の製品品質を保つという目的に叶わず実現されなかったが、そういった狙いを持って開発していたおかげで、ユーザによる分解・交換を容易で安全なものとできたというお話などが印象的な発表でした。
KORGとmonotron
次に、KORGの坂巻氏からアナログ・シンセサイザ「monotron」についての発表が行われました。アナログシンセサイザからデジタルシンセサイザへの変遷によってシンセサイザという楽器は器用貧乏になってしまったのではないかと考えた坂巻氏は、「シンセサイザをもう一度楽器にしたい」という想いから、非常にシンプルなアナログシンセサイザであるmonotronを企画したのだと言います。
そして、今でこそ「改造のしやすさ」でMakerたちに知られているmonotronですが、これは当初からの構想ではなく、実際の開発にあたったエンジニアである高橋氏のアイデアだというエピソードが紹介されました。高橋氏は大学を卒業してから1年間、職に就くことなく一人でシンセサイザを自作し、それをKORGに持参して採用されたという異色の経歴の持ち主。そういった経験が「基盤の裏側に改造のためのtipsを書く」という発想につながったのだそうです。
これ対するMakerたちの反響は大きく、monotronの発売後に改造monotronが次々と制作されることとなりました。そしてこの流れは、オフィシャルサイトでの改造monotronの公開や回路図のオープン化、さらには公式の改造monotronというコンセプトでの兄弟機の発売など、Makerたちの動きがKORG自身にもフィードバックされていったと言います。
こうした中で坂巻氏は、「シンセサイザをもういちど楽器にすることとは、シンセサイザをユーザの手に戻すことである」と気付いたとして、発表を締めくくりました。
Maker×メーカー
続いては「Maker×メーカー」と題した、製造業とMakerとの関係についてのセッションです。
「Makerムーブメントを単なるムーブメントで終わらせないために、Makerたちと中小の製造業者を繋げることで産業のしくみに影響を与えられるようなアイデアを生み出したい」というモデレータの小林茂氏による問題提起に続き、2つの発表が行われました。
海内工業の取り組み
まずは、海内工業の「オープンであること」への取り組みについての、海内美和氏の発表です。海内氏は、「100年続く会社へ」「語りつがれる技術力を持ちつづける」といったビジョンに関して、現在の業界構造に留まったままではこれを実現することができないという危機感を持っていると言います。
そして、これを打破するための「脱・待ち工場」「精密板金の技術を広める」「ソリューションの提供」といった積極的な取り組みについてお話されました。具体的には、Webでの情報発信やワークショップの開催による技術のオープン化といったものです。
さらに、ハードウェア・スタートアップが勃興しはじめている現在、少量生産であれば金型よりも手作り板金のほうがコストが抑えられることにも触れ、Makerムーブメントのなかで精密板金加工のプロとして存在感を発揮し連携していくためのスローガンとして「価値あるアイデアは確かな技術で」という言葉をもって発表を締めくくりました。
ケイズデザインラボの取り組み
続いて、ケイズデザインラボの原雄司氏による発表です。最近は3Dプリンタの専門家として見なされていることにやや困惑しているという原氏はまず、ケイズデザインラボが「3Dツールの販売やサポート」および「コンサルティングなどの3Dデジタルサービス」に幅広く取り組みつづけてきた企業であることを、数々の事例とともに紹介していきました。
そして「見える化から触れる化へ」というキーワードから、3Dツールを活用して手軽にプロトタイピングを行うことでどんどんアイデアを発展させていけること、3Dツールはコミュニケーションのために非常に有用であることなどについて力説されました。
原氏の開催したワークショップに参加した方の「モノがあると話が進むよね」という言葉に象徴される発表内容だったのではないでしょうか。
これらの発表を受けた続いたディスカッションでは、自分でものづくりを経験する人が増えていけば、これまで実感を持つことの難しかった職人の技術の質の高さが評価されるようになること、2次元から3次元への、あるいは3次元から2次元への変換はむずかしく、そういうときにこそプロに相談してほしいということ、東京から電車で30分も行けば世界に誇る職人たちと話ができる日本の環境は恵まれたものであることなど、多数の議論が交わされていました。
Makerのための新しい教科書を作る
最後のセッションは「Makerのための新しい教科書を作る」として、学校教育に関わる3人の方が発表されました。
「車輪の再発明」vs「巨人の肩に乗る」
最初の発表は、青山学院大学で非常勤講師を務める阿部和広氏です。阿部氏はまず、小学生向けのワークショップと大学生向けのプログラミング演習という、自身の活動について紹介されました。いずれも「Scratch」という教育用言語を使ってレゴブロックの車を制御するという内容で、小学生でも大学生でも、到達点はほとんど違わないとのこと。
次に、小学生も大学生も、単純なワークショップ/演習を通じてはクランクなどの過去の発明を再発見できないことに触れ、「車輪の再発明」をさせるべきか「巨人の肩に乗る」べきかという問題提起をされました。阿部氏はこういった問題意識のなかで、「想像する」→「制作する」→「遊ぶ」→「コミュニケーションする」→「その結果を反映させる」といったサイクルを続けていくという、両方の考えを取り入れたやり方を進めているとのことです。
そして、こうした自身の経験から、「Makerのための教科書」とは、本という形をとらないのでは?と結論づけられました。
個人での教科書制作を通じて
次は、大学生のころに「電気基礎」の教科書を独力で制作し、文部省の検定を通したすえ、一部の工業高校での採択にまでこぎ付けたという山下明氏の発表です。現在大阪で教師をしているという氏の発表は、Skypeを通じたものでした。
TeXのノウハウがあり出版に興味があったこと、大学と高校の電磁気学の違いを整理したかったことなど、小さな興味からはじめた教科書制作ですが、実際に制作し検定に合格させるまでの作業は予想以上に大変であったと山下氏は話します。
そして、制作してみた良かった点として、公共性の高い書籍を作る使命感を感じられたこと、構想→執筆→印刷→検定→採択→供給→使用というすべての段階を一通り経験でき、日本の教科書制度の完成度の高さを感じられたこと、たくさんの人と関わることができたことなどを挙げました。こうした他に類を見ない経験から、Makerの教科書を作る際にには「現場を知っている人が関わって制作すること」「教科書で縛りすぎず、指導側の裁量を広くとっておくこと」が重要であると述べられました。
高校を開く
続いて、工業高校で教鞭をとる小坂貴美男氏が「高校を地域の工房に」という発想を実現させるための自身の取り組みについて発表されました。
生徒のMaker Faireへの出展という昨年度の計画は期末試験と被ってしまったため残念ながら実現できなかったそうですが、今年度は受講生・講師として地域の方々にも参加できるような月2回の土曜講座を開講しており、順調に進んでいるとのことでした。この経験を受けて、外部の団体と協力し合うことができれば、学校を開くことはそれほど難しいことではないと述べられました。
そして小坂氏は、今後の展望として「個人的な取り組みでは限界があるため、外部団体と連携して連続してやっていけば、地域に開かれた高校のすがたが見えてくるのではないか」として発表を締めくくりました。
Makerムーブメントの第2フェーズに進み始めたカンファレンス
第2回となった今回のMaker Conferenceは、単純に「作ることが楽しい」のはもちろん、「既存の企業どどのように連携していくのか」、「Makerの精神を広く根付かせていくためにはどうしたらよいのか」といった、まさにMakerムーブメントの「第2フェーズ」を予感させるカンファレンスだったといえるのではないでしょうか。