2015年9月26日,
オープニングトーク(DJ HIGAYASUWO)
Seasar2のオリジナル開発者でもあるDJ HIGAYASUWO a.
なぜSeasar2をやめたのか
冒頭から,
「技術は,
比嘉さんは当時,
「明日は今日よりも成長したい」,
ユーザも先ほどの問題と似たものを抱えています。フレームワークを使い始めると最初は学びが多くても,
Seasar2からの卒業
ユーザへの思いを告げた後,
他の環境に移ってほしいと思いながらもサポートを打ち切らなかったのは,
比嘉さんからはSeasar2の新規開発中止の時期から,
- ※)
- Seasar2のサポート終了については比嘉さんが自身のブログで今後の方針などについて記事を書いています。詳細については当該記事や公式サイトなどをご確認ください。
会場との掛け合い
これまでのいきさつをまとめ,
まずは,
「比嘉さんはアウトプットが大事だと言っていますが,
これに対して比嘉さんはこのように答えました。
「実際にはその後もアウトプットは続けていました。ただ,
Seasar2の開発ストップとともに比嘉さんの業務の関係もアウトプットが減った一因となったようです。
続いて,
「実はSeasar Conferenceの今回の立案者は自分ではない。企画してくれたの橋本
「きっかけは飲みの席での話題ですね。そこからこのカンファレンスが始まりました」
開催のきっかけが伝えられたところで,
「今の話を受けてSeasar Conferenceとは何だったのかを,
当時は,
そんな中で優秀な人がどんどんコミッタに集まってきました。そこで企業が技術力のある人たちを求めて採用を行い,
一方で,
こういうカンファレンスの場で人材を見つけることは良いことだと思っています。Seasar Conferenceにはそういう面があり,
ちょうど今紹介されたビープラウド代表佐藤治夫さんから
「2004年以降,
重視しているのは
2005年ごろからRuby on Railsが流行り始めました。それは,
ほかの人も欲しい,
素晴らしいアイデアが使われるというわけではありません。使われるものが良いもの。アイデアの時点ではそこに優劣はない。使われるかどうかが問題です」。
最後に,
「Seasar2は比嘉さんが所属する企業のビジネスに組み込まれ,
これに対して比嘉さんは次のように答えました。
「まず,
その上で,
さらに星さんからは