『圏論の道案内』発売記念 西郷甲矢人先生講演会 レポート

第3回自由な発想で圏論という景色を眺めてみよう

日時:2019年9月27日
場所:書泉グランデ7階
 ⁠圏論の道案内 〜矢印でえがく数学の世界』発売記念
  西郷甲矢人先生 講演会より

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─⁠──⁠─「概念の翻訳語」をつくることの重要性─⁠──⁠─

ちょっと余談です。第5章「普遍性」の中の「⑥射圏、そして一般射圏」では、日本語で一般射圏と書いて「コンマ圏」と読ませる、かなり無理やり(?)なことをやっています。普通、圏論の教科書ではただコンマ圏と書いているんですが。他にもイコライザという概念について、⁠解⁠と書いて「イコライザ」と読ませるという「中二病」っぽいこともやっています。本書にはこういう例がけっこうあるんですね。

用語の使い方への批判は甘んじて受けると第1章にも書きましたが、これはわざわざそういうことやりたいわけではないんです。ちょっとふざけている感じもなくはないですが(笑)実は、まじめな意図もあります。

というのは、ちょっと危惧していることがありまして。これは圏論とか数学だけの話でもないんですが、訳語をつくらないようになってきた、ということがあると思うんですね。概念の翻訳語といいますか。

私は別に国粋主義者ではありませんが、一方で日本語への愛着ももっています。母語ですし。まあ他の言語がどうとかいうことではないのですが。

私の専門分野にも近い「作用素環」という分野の研究をされている、竹崎正道先生がどこかでお書きになっていたんですが、最近は翻訳語を造らない非常に悪い傾向があるというんですね。それによって文化がやせ細ってしまうというふうに言われていて、私はとても共感しました。

なぜかといいますと、こういう事例があるんですよ。関数という概念があって、その一般化として超関数という概念があります。もともとはローラン・シュヴァルツという人が Distribution という概念で造ったものです。Distribution は「分布」という意味です。それをおそらく、岩村聯先生か彌永昌吉先生だったと思いますが、当時の日本の著名な数学者の先生方がこれを超関数と意訳されたんですね。関数を一般化したものだから超関数。自然といえば自然。しかし、Distribution の直訳ではまったくありません。

その超関数という言葉をおそらく日本語で学ばれた佐藤幹夫先生が、この名にふさわしい概念は何かと考えた結果、いわゆる「佐藤超関数」が生まれた。そういう側面があると思っています。

Distribution がそのまま「分布」と訳されていたら、もしかすると佐藤超関数まで至らかなったかもしれない。つまり、違和感を感じないので、これこそ超関数じゃない?という概念が生まれなかったかもしれない。ちょっとそんなことを考えているんです。

もちろん佐藤先生は天才ですから、そもそもそういうものがなくてもできたと思われる方のほうが多いでしょうけれども。でもやはり、元のかたちとはぜんぜん違いますよね。超関数、逆に英訳してしまえば hyperfunction。distribution と hyperfunction 。行って戻ってずれてるんです。こういうことが、むしろ大事なんじゃないかなと思ったりするんですね。

圏論の諸概念ってけっこう没概念的な名付け方で。特にコンマ圏って、これほどまでに概念的でない用語はこの世にあるのであろうか、というくらい概念的じゃない命名なんですよ。だから本書では「一般射圏」という言葉を使ったりしていて。最初のときの論文の記号がコンマを使って書いていたというだけですから、下手すれば、ハイフン圏、ピリオド圏になっていたかもしれないわけですね。結局そういうふうに良い名前は定着しなかったんですけれども、私たちは意訳でたとえば一般射圏と書いてみました。

もしかしたら、これを読んだ若い方々が自由に想像を膨らませて、こっちの方がもっと良いんじゃない? より自然じゃない? と言って新しい訳語をコンマ圏に当ててくれるかもしれません。こうした背景を持っているのが、5章の特色ですね。

あとは、ちょっとマニアックな話なので数学好きの人にしか受けないかもしれないんですけれども、この第5章「普遍性」の中では、線型代数の全く違う見方が出てきます。なんと、ある種の圏では行列計算が自動的にできるようになっている。ほかにも、数じゃなくて射を成分とするような行列計算が自動的に備わっているという話もあるので、その辺にご注目いただくのもいいかなと思います。

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第6章は冪ですね。プログラムの本質を書いています。ここに告白しますが、私はプログラムは一切できません。多少定義が分かる程度です。このことからも能美十三の実在性(第1回を参照)は明らかですね。これはおそらくこういうことじゃないかと能美さんに言ったら、ちゃんと確かめてくれるんです。彼のおかげで書けた章といっても過言ではないと思います。プログラミングとの関わりも含めた話がされているのが、読みどころかもしれません。

第7章は圏論的集合論というのがあって、これは普通数学というと集合と写像、あるいは集合と関数から始まるという感じなんですが、実は順序を転倒してやることもできるし、矢印だけで全部描きだすこともできる。そんなちょっと面白い話で、興味がある方にはおすすめかなと思ったりしています。

第8章は主題は随伴という概念ですね。第10章でもすごい謝りまくったんですけれども、この辺になってくるとかなり駆け足でして、本来随伴というところでいうべきことはもっともっとたくさんあるんですね。本当はそれも書けばいいかな思ったんですけれども、ページ数の問題もありますし、随伴というのは定義がわかってしまえばいたるところに見つかって楽しいばかりなので、いまさら言う必要がないかなと思って、駆け足で書きました。

実はガロア理論にも関係があったりして面白いので、興味がある方は数年前に共著で参加しました『圏論の歩き方』⁠日本評論社)をはじめとして良い本がたくさんありますので、そちらをあたっていただければと思います。

第9章はモナドという概念について書きました。 これはHaskellというプログラミング言語によって非常に有名になった概念です。第6章の話とも関連しますが、プログラマの方々が深く関心をもたれることも多いですね。なんというか、圏論がバズワードみたいになってきているのも、おそらくそういう方々からの注目が集まった結果なのかとも思ったりします。

第10章は、さきほど駆け足とも言いましたが、いろいろ張り巡らされた伏線が回収できなかったことについて謝りまくっています(笑)詳しくは実際にお読みいただければと思います。

─⁠──⁠─ぜひ気楽に、いろいろな読み方を─⁠──⁠─

そろそろ残り時間もわずかということで、みなさんにお願いしたいことを言ってあとは終わりにしたいと思うんですけれども。一言でいうと、お手柔らかにお願いします、ということです(笑⁠⁠。なかなか分かりづらいところですとか、誤植もいくつかありまして。本書が出た頃に期間限定でTwitterをやっていたのですが、非常に熱心にお読みいただいたということもありまして、誤植のご指摘も数多くいただきました。

技術評論社さんのHPにサポートページがありますので、読んでいてどうもおかしいなあと思ったら、そちらをご覧いただければと思います。ちなみにそのサイトでは、東京大学工学部の成瀬誠先生との、対談記事、【対談】⁠圏論の道案内~矢印でえがく数学の世界』に先立っても公開されています。放談みたいな感じでちょっと話を広げすぎかもしれませんが、興味がある方は、ぜひそちらもご覧いただければと思います。

最後にもう1つお伝えしたいのですが、全部をお読みになる必要はまったくありません。一から始めて順番に最後まで読もうと思うと、実際は厳しいかなとも思います。数学の力がある方にとっては、すぐ読めるものかもしれませんが。本当にサワリのところだけを眺めていただくだけでも大丈夫です。それだけで、多少なりとも景色が変わると思います。

色々な読み方ができるかと思います。たとえば数学が得意で、さらに教育に携わっているような方には、算数レベルでの圏論の役割について触れている部分をぜひ読んでいただきたいです。他にもいろいろな視点から、議論や批評をいただければと思ったりしています。

第10章でも書いていますが、⁠読書百遍義自ずから見る」という言い回しがありますよね。一遍読んだくらいでは意味が通じないのだから、パラパラ読んでみて、さらに通読をしてみる。押売りの言葉ではないことはご理解いただきたいのですが、本というのは買うだけで徳を積めるものなんですね。買えば功徳がありますというか……。こういうと悪徳商法みたいですが(笑⁠⁠。まじめな話、身のまわりに置いておくだけでふっと手に取って読んだりするような経験、 誰しもお持ちじゃないでしょうか。

あるいはよくわからないなあと思いながらシャワーを浴びている時とか、ふとしたタイミングで、この間まで本当に分からなかったことについて「こういうことだったのか!」と思うことがあるかもしれません。というわけで、ぜひお手柔らかに、お気楽に読んでいただければと思います。もちろん難しいところもないとは言いませんが、ぜひ気楽に、気楽に読んでください。というわけで、本日はありがとうございました。

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