瀬山士郎先生の 数学よもやま話

第10回小説と数学

少し前に、⁠数学 想像力の科学」という本を書いた。私は数学の面白さの源泉はその自由な想像力にあると思っているが、しかし、想像力は何も数学に限ったことではない。文学(小説)だって大いに想像力を必要とする。数学の想像力と文学の想像力が小説の形でとてもうまい出会いをすることがある。私は奥泉光という作家のファンで、初期の作品からそのほとんどを読んでいるが、⁠深い穴」という短編(⁠⁠地の鳥 天の魚群』幻戯書房)は数学の話から始まる。

素数が無限にあることは多くの人が知識として知っているが、その見事な証明がユークリッドの『原論』にあることはどれくらいの人が知っているのだろうか。その証明は、⁠素数の個数はいかなる定められた素数の個数よりも多い」というもので、純粋な背理法ではないが本質的な背理法で、古今東西を通じて最も簡明で美しい数学の証明の一つである。小説「深い穴」の中に次のようなくだりがある。⁠素数が)無限であるのをその昔ユークリッドが証明している、として「どの素数もある素数より小である」とある。素数の無限性をこの形で表現したものを私は他に知らない。もちろん原論の表現とも違っている。自分の本も含めて、ほとんどの本は「素数は無限にある」と表現するのが普通で、奥泉の表現は少し持って回った言い方だ。これで本当に素数が無限にあることになるのか、もしかすると、中学生くらいの生徒はとっさにはこの論理が理解できず、不安になるのかもしれない。私はここに奥泉光の数学への感性と文学としての想像力と数学の想像力の不思議な結びつきを見る。どんな**よりも~である**がある、という言い方はε―δ論法で明確になった無限取り扱いマニュアルの文法だと思います。

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