ITIL(アイティル)は基本情報技術者試験にも出てくる用語のため、その名前を聞いたことのある方は多いかもしれません。しかし、「ITILって何?」と聞かれると、「運用・保守の話だっけ(私の仕事には関係なさそう)」といった程度のイメージしかわかない方もいるのではないでしょうか。
そこで今回のインタビューでは、2023年10月25日に『図解即戦力 ITIL 4の知識と実践がこれ1冊でしっかりわかる教科書』(以下、本書)を刊行された加藤明さんに、ITILの現状や魅力について教えていただきました。
プロフィール:
アビームコンサルティング株式会社 加藤明
アビームコンサルティング株式会社 オペレーショナルエクセレンスビジネスユニット シニアマネジャー。組織変革を実現するためのソーシング戦略立案、ITサービスマネジメントを軸としたマルチベンダー管理、IT運用保守の継続的改善、組織のチェンジマネジメント等、幅広いコンサルティング業務に従事。主な保有資格はITILマスター、ITILマネージングプロフェッショナル、ITILストラテジックリーダー、ITILプラクティスマネージャー、VeriSM™プロフェッショナル、EXIN SIAM™プロフェッショナルなど。
ITILと出会ったきっかけ――運用・保守からライフサイクル全体、そして価値共創へ
――はじめに、ITILとは何かを簡単に教えていただけますか?
ITILとは、Information Technology Infrastructure Libraryの略で、ITサービスマネジメントのベストプラクティスです。日本も含め世界中で利用されている事実上の標準(デファクトスタンダード)となっており、ITサービスマネジメントの共通言語として活用されています。2023年10月現在は、ITIL 4が最新バージョンですね。
――加藤さんがITILと出会ったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?
私はキャリアの始まりがインフラエンジニアだったのですが、その後転職して、サービスデスクをやっていた時期がありました。毎日のように「大規模な障害が発生したのですぐに解決してくれ」といった障害対応の電話がかかってきて、真夜中に叩き起こされるようなこともありました。
ちょうどそんな折に、たまたま会社の指示でITIL(当時のバージョンはITIL v2)の研修を受ける機会に恵まれたのですが、研修で講師の人が話された内容が、まさに今自分が抱えている問題の解決策のような気がしたんです。そこから真剣に学習を開始し、ITILの資格取得を進めていくことになりました。
――サービスデスクが抱える問題に対するITILの解決策について、少し詳しく教えてください。
「目指すはコール数ゼロのサービスデスク」という研修講師の一言が、その答えだと思いました。サービスデスクに問い合わせが来るのは、「すでに困りごとが生じている」状態とも言えます。ならば、顧客やユーザが最初から困らない仕組みを作ることで、そもそも電話がかかってこなくなる状態を目指そうという意味です。「かかってきた電話にどう対応するか」ということばかりに気を揉んでいた私には、非常に魅力的な考え方に見えました。
当時はこれを、「プロアクティブ(予防保全的)な活動」と呼んでいましたが、最新バージョンのITIL 4における「顧客にとっての価値」と本質的には同じことです。また、顧客体験価値やユーザ体験価値を高めるという考え方につながる思想でもあります。「価値」を起点にしてITサービスの全体像を捉え、管理していくという、ITILの本質がよくわかる事例なのではないかと思います。
――ITILはサービスデスクのような「運用・保守」に関わる方々に、有意義な考え方と手法を提供してくれるフレームワークなのですね。
はい。それは間違いありません。ただ、ここで強調しておきたいのは、ITILは「運用・保守だけではない」ということです。
私が初めてITILに触れたのは「ITIL v2」のときで、このバージョンでは確かに運用・保守の側面が強調されていました。日本にITILが広まったのが「ITIL v2」であったため、「ITIL=運用・保守の話」というイメージは未だ根強いかもしれません。
しかし、次のバージョンアップであるITIL v3は、ITライフサイクル(企画~運用・保守)全体にわたるマネジメントを対象としたものとして進化を遂げています。そしてITIL 4では、ITのみならずすべてのサービスを対象に、デジタル時代、VUCA時代に適した俊敏性や柔軟性を備えたフレームワークになっています。私自身、ITILの発展を追いかける形で学びを深めることで、運用・保守だけでなく、企画や開発、さらには戦略的な部分にまで視野が広がっていきました。
――ITIL 4の射程が「運用・保守」に留まらないとすれば、具体的にどのような方々に意義があるフレームワークだと考えていますか?
何らかの形で「サービス」に関わる仕事をしている方であれば、価値を起点にサービス全体を捉える俯瞰的な視点として、そしてベースになる知識として学んでおく意義は大きいのではないでしょうか。これはITIL 4のコンセプトである、価値共創にも繋がります。例えば開発の方であれば、開発技術やプロジェクトマネジメントの知識にサービスマネジメントの知見が加わることで、「単に作って終わり」といった考え方ではなく、その後を見据えた開発が可能になります。また、企画の方も自分の立てた企画がその後どのように形になっていくか(価値を実現するか)を、ITIL 4をベースにしてイメージすることで、より実現性のある企画を立てることができるようになります。最近では、事業部門とDXの推進を行うにあたっても、価値を起点にサービスを考えるための共通言語として有益だと感じています。
さらに、ITIL 4は「ITサービス」以外にも適用可能なフレームワークです。本書のコラムでも、ホテル・サービスにITIL 4の考え方を応用した例を紹介しました。私もコンサルタントとして、コンサルティングサービスを提供しているわけですが、このコンサルティングサービス自体の価値を高めるためにITIL 4を参照することもあります。このように考えると、バージョンアップを経て、ITIL 4は幅広く適用可能なフレームワークだと実感しますね。
なぜITILの普及は進んでいないのか?――デジタル時代の必須教養へ
――ITIL 4が幅広い方々に有用なノウハウであることはわかりました。しかし、本書の「はじめに」を拝読した限り、現場への普及がなかなか進んでいないのも実態のようです。加藤さんは、この要因がどこにあると考えていますか?
様々な要因が考えられますが、「優先順位」の問題も大きいのではないかと思います。担当者にはそれぞれ、役割に応じて学ばなければならないことが山ほどありますよね。開発の方なら、プロジェクトマネジメントや様々な開発手法、日々進化するクラウドやAIといった技術についていくだけでも大変でしょう。「ITサービスマネジメントが必要だ」ということは理解していても、学びの優先順位はなかなか上がりにくいというのが実情なのかもしれません。
――今後、このような状況は変わっていくとお考えでしょうか?
本書の1章でも紹介した「デジタル時代」の側面が強くなっていくなかで、ITサービスマネジメントの優先順位も高まっていくのではないかというのが私の考えです。
IoTやビッグデータ、AIなどの技術を活用してビジネスを変革することが求められる「デジタル時代」では、ビジネスとITが一体になって価値を生み出していく関係性が求められます。つまり、様々な役割やスキルを持った人が集まり、1つのチームとして価値を共創する必要があります。
そのためには、チーム内でのサービスを全体俯瞰的に捉え、価値を共創するための「共通理解」が重要になってきます。提供する「サービス」とはそもそも何を指すのか、どのような視点・手法でその管理を行うのか。こういった議論の「前提」となる知識が、ITIL 4であると私は考えています。
――なるほど……「事業部門、開発、企画だからITサービスマネジメントは全然わかりません」は、もはや通用しなくなりそうだということですね。ちなみに、世界的に見れば、ITILは「共通言語」として機能していると言えるのでしょうか。
私の個人的な経験では、グローバルな方と仕事する際にITILベースでお話をすると、とにかく早く物事が進む印象です。ITILはデファクトスタンダードなので、「ITILの標準的な定義や考え方でやりましょう」と言うと、それだけで十分伝わります。反対に、「どうして日本は固有の方法でやりたがるのか」と言われたこともあります(笑)。実際に、デファクトスタンダードから外れた企業独自の手法を用いてきた結果、日本からグローバル展開しようとしたときに苦労するといった事例も見受けられますね。
ただし、標準に合わせさえすればそれで良いという話では決してありません。価値を起点に、その実現に向けて、各組織でITILをベースにカスタマイズすることが重要です。これをITIL 4ではバリューストリームと呼びますが、このあたりの考え方もぜひ本書でご確認頂ければと思います。
共通言語としての「ITIL 4 ファンデーション」――知識から実践へ
――ITIL 4を学びたいと思ったとき、何から始めるのがよいのでしょうか?
「ITIL 4ファンデーション」の勉強から始めるとよいと思います。ITIL 4は、テーマごとに編纂された書籍と研修(モジュール)がいくつか集まってできているのですが、そのうちの1つである「ITIL 4ファンデーション」では、すべてのモジュールの基礎となる重要概念が解説されています。議論の前提となる知識を、ビジネスの方でも無理なく学べるレベル感になっています。
また、本書でもDL特典として模擬試験を提供していますが、「ITIL 4ファンデーション」には認定資格試験があります。ITIL 4の資格体系の中で最も基礎的な試験と位置付けられており、事前要件なしでチャレンジすることが可能です。モチベーションを維持する上でも、資格取得を目標にして学習を進めていただくのもよいかもしれません。
――本書の内容も、「ITIL 4ファンデーション」が中心になっているのでしょうか?
その通りです。「ITIL 4のわかりやすい入門書」として、「ITIL 4ファンデーション」を重点的に解説しています。一方で、「ITIL 4の実践な入門書」を目指すという観点から、「ITIL 4ファンデーション」を越えた内容について紹介している箇所もあります。
その1つが、7章で取り上げた、「カスタマー・ジャーニー」です。これは顧客との接点を軸にサービスを俯瞰的に捉える考え方で、どのようなサービスでも適用可能です。今回ご紹介できなかった上位レベルのモジュールにおいても重要なコンセプトなので、本書では紙幅を割いて解説しています。
他にも、コンサルティングの「現場」で培ってきたノウハウを最大限織り込むように意識しました。特に、「コラム」はその色合いが強い内容になっているかもしれません。
――加藤さんは「実践」を強く意識されているように感じますが、それには何か理由がありますか?
最初に少しお話したように、ITILは適用範囲を拡大しながら進化を遂げてきた経緯があります。運用・保守が中心だったITIL v2では、対象プロセスも限定的でした。その後、ITIL v3でITライフサイクル全体まで対象を広げ、さらにITIL 4ではITに限らないサービス全般を包含するフレームワークとなりました。
このような発展に対して、具体的なことよりも概念的なことが中心になってきたように感じ、どのように実践すればよいのか悩んでいる方も増えているのではないでしょうか。ITILを活用するためには、知識を応用して実践につなげていく能力がより求められるようになったと言えるでしょう。
確かにITIL 4は、「こうやりなさい」という答えを示してくれるものではありません。しかし、世の中の変化が加速していくなかで、1つの答えを提示することはそもそも不可能です。ITIL 4は俊敏性や柔軟性を求められる世界を前提にしています。したがって、それぞれの組織やサービスにとってベストなものを模索していく必要があり、ITIL 4はそのための「考え方」と「共通言語」として、非常に優れたフレームワークであると改めて思います。
――なるほど、「1つではない答え」を見つけるためにも、ITIL 4を実践していくことの重要性はこれから高まりそうだということですね。ありがとうございました。