トレンドから始まった「電子出版元年」のイメージ
すでに米国では、Amazon KindleやBarnes Noble Nookといった書店が展開する専用端末および電子出版サービスが普及し始めている中、「真の日本の電子出版元年到来」、そう言われていたのが2010年の初頭でした(過去何度か電子出版元年と言われた年がありました)。
2010年前半の国内の電子出版を取り巻く具体的な動きとして、大手出版社や通信キャリア、印刷所などが「戦略」や「方針」を打ち出したり、また、iPadなどの端末の登場、ePubを中心とした標準フォーマット策定への動きが見られました。
コンテンツの前に周辺の盛り上がり
2010年の「電子出版ビジネス」を振り返ってみると、コンテンツの前に、周辺から盛り上がっていたことが挙げられます。とくに、大手メディアの報道、各種宣伝、またネット上のクチコミから「身近になった電子出版へのワクワク感」という雰囲気が醸成されました。これは、既存の出版業界が縮小している中への、出版業界側からの期待値も含まれていたように感じます。とくに、ケータイコミックと呼ばれた携帯電話向けコンテンツ以外のものが大幅に伸びるのではという予想が、メディアや業界内からも聞こえていました。
実際、iPhone向けのコンテンツとして日本のマンガや各種ビジネス書のアプリ化、販売が開始し、APPストアランキングの有料コンテンツにも登場するようになりました。
たとえば、岩崎夏海氏の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(株式会社ダイヤモンド社)は専用ビューワでの販売をして注目を集め、その影響もあって紙の書籍がベストセラーに繋がったり、京極夏彦氏の『死ねばいいのに』(株式会社講談社)のように執筆者が積極的に電子書籍化に取り組んだことから大きな話題を呼び、電子出版の可能性を感じさせるニュースとなったのが記憶に新しいところでしょう。
一方で、iPhoneを中心にコンテンツが数多く登場してくるにつれ、既存の出版モデルとは大きく異なる点が改めて浮き彫りになったのが2010年の夏~秋にかけてです。
各種団体・関連企業の設立
こうした動きと並行して、2010年は電子出版を取り巻く各種団体・関連企業が多数設立しました。ここではそれらを紹介しましょう。
- 一般社団法人日本電子書籍出版社協会
2010年3月24日の設立総会に合わせ正式にスタートしたのが「一般社団法人日本電子書籍出版社協会(略称:EBPAJ)」です。旧電子文庫パブリを母体に、設立時は、文芸・ビジネス書などを展開する大手出版社31社の出版社を母体に、2010年12月現在41社の会員社数となっている出版社の団体です。
- 電子書籍を考える出版社の会
先のEBPAJの設立発表後、2010年6月8日に設立したのが「電子書籍を考える出版社の会(略称:eBP)」です。設立時は技術評論社や毎日コミュニケーションズ、翔泳社、ソフトバンク クリエイティブなど、IT系出版社を中心に14社でスタートしています。その後、2010年12月現在、参加者数は50社になり、IT系以外に専門書、実用書を扱う出版社が中心となって活動しています。
- 電子出版制作・流通協議会
先の2つの団体と異なり、印刷所が主導となって設立した団体が「電子出版制作・流通協議会(略称:AEBS)」です.2010年7月27日の設立以来、印刷所のほか、広告代理店、出版社、ベンダなど多数の企業が参画しており、2010年12月時点で77の幹事会員・一般会員の他、70以上の賛助会員・特別会員となっております。
また、1986年設立以来積極的に活動している「日本電子出版協会(略称:JEPA)」や、ソニー、凸版印刷、KDDI、朝日新聞社の4社による合同事業会社「株式会社ブックリスタ(旧電子書籍配信事業準備株式会社)」の設立といったような業界を横断的にまたぐ動きが数多く目に付きました。
電子書籍に特化したストアが続々オープン
その他、大日本印刷が立ち上げたハイブリッド型電子書籍ストア「honto」、紀伊國屋書店が立ち上げた電子書籍向けストア「BookWebPlus」、廣済堂が立ち上げた「BookGate」といった、販売プラットフォームの整備が進んだのも2010年の電子出版ビジネスを取り巻く動向の特徴と言えます。
また、各種印刷所が電子書籍の制作・配信を請け負う業務をスタートしたのも2010年ならではの出来事でした。
2010年年末には、作家の村上龍氏が立ち上げた「G2010」にも注目が集まったのも記憶に新しいところです。
このように、今、電子出版を企画・制作・販売を行う事業はプレーヤーの数が増え続け、戦国時代の様相を呈しています。
従来の出版ビジネスと電子出版ビジネスの比較
では、ビジネス的な観点から見た従来の出版と電子出版について比較してみます。
iPhoneアプリ化から始まったスマートフォン対応
2010年の電子書籍というと、iPhone/iPad向けアプリが主役の1つでした。とくに小説などの読み物を中心としたコンテンツ、マンガコンテンツが多数販売されたほか、電通とヤッパが取り組んだ電子雑誌販売配信サービスのiPhone/iPad対応といった取り組みにより、iPhone/iPadの登場が、読者にとって電子出版に触れる機会を大幅に増やしました。
ただ、この動きの中で、従来のビジネスと大きく異なったのが、Appleが展開するAPPストアからでしか販売ができないという制約でした。そのため、詳細な販売価格の決定権がない、流通経路が固定化されるなどの課題も見えました。また、制作面においても、iPhone/iPadで利用できる汎用リーダーの機能不足などが顕在化したことも挙げられます。
現在は、「ストア型課金」と呼ばれるWebを経由して販売する方式が採用されたり、また、後述する制作ツールの提供、専用リーダーのアップデートなどが今まさに進んでいる状況でもあります。
フォーマット問題とワークフロー
ePub、.book、XMDF……
2010年の電子出版に関して、ホットな話題となっていたのが「フォーマット」問題です。とくに、電子出版向け専用フォーマットとして、HTMLの流れを組む「ePub」の仕様策定が進んだり、また、日本国内で取り組まれているボイジャーが開発する独自のTTXフォーマットから制作する「.book」形式、シャープが取り組むXMLを拡張した「XMDF」形式といったものが国内の主流になる動きが見られました。
中でも、ePubに関しては次世代のバージョンであるePub 3.0の策定が2011年にも行われると予想されており、また、前述のJEPAが日本語版ePub 3.0の仕様策定に関わるなど、縦書きやルビなど日本独自の表現方式への対応が進むのではと、業界内での期待は高まっています。
その他、Amazonの独自形式であるMobiおよびAZW(MobiにDRMを実装したもの)や、今後Googleが展開を予定しているGoogle eBooksのようにWebベースにする動きにも注目したところです。
出版ワークフローに対する取り組み
いずれにしても、ビジネス的な観点、とくに出版社や既存のコンテンツを持っている立場からすると、
大きくこの2つに対応する必要があり、前者については現在の紙の出版の主流となっているInDesign形式からの電子化業務が早急に必要となります。この動きに対して、最も積極的に取り組んでいるのが、InDesingの提供元でもあるアドビ システムズです。
2010年10月に開催されたAdobe Maxというイベント内にて「Adobe Digital Publishing Suite」の詳細な発表が行われ、2011年第2半期には正式リリースが予定されています。大きな特徴は、既存の出版ワークフローを踏襲しながら、電子出版物の特徴でもあるインタラクティブ性を活かしたコンテンツ制作、リッチな表現などを実現する機能が実装される点です。
2010年に登場した電子出版物の中で、とくに不得手とされていた雑誌タイプ(レイアウトが複雑なもの)の、制作ツールとして大きな期待が寄せられています。
このほか、日本のフォントベンダであるモリサワが提供する「MCBook」なども2011年さらなるアップデートが予定されています。
一方、読者が期待する新規コンテンツの電子化という観点では、従来の出版ワークフローを踏襲する必要性がないため、まったく新しいタイプのアプリケーションとして開発する動き、あるいは、後述のパブーやGoogle eBooksのようにWebをベースにしたコンテンツ配信の動きというのが潮流の1つになると、筆者は予想します。
専用端末の登場(Sony Reader、SHARP GALAPAGOS)
2010年後半に入ると、iPhone/iPadや汎用Android端末以外に、電子書籍・雑誌に特化した、いわゆる電子ブックリーダー端末が登場してきました。「SONY Reader」や「SHARP GALAPAGOS」です。
ReaderはE Inkと呼ばれる可読性を意識したディスプレイを採用している点、GALAPAGOSは液晶ディスプレを利用している点など、デバイスごとの特異点はあるものの、電子ブックリーダーの大きな特徴は「読みやすさ」を意識している点です。
今紹介した2つのデバイスはいずれもXMDFに対応したコンテンツをメインに据えており、表現力を活かしたコンテンツを届けたいという狙いが見えます。また、iPhone/iPadと比較して異なるのは、物理的な操作として、あらかじめページめくりなどの動作に対応したボタンが付いていたり、ページめくりの操作(フリック)や自分だけの本棚と呼ばれる画面、しおりや目次の機能が実装されている点、著作権保護の観点からDRM(Digital Rights Management)の仕組みを実装している点なども挙げられます。
何より「電子書籍・雑誌に特化したデバイス」という説明から、読者の意識を読書に向ける効果があると言えるでしょう。
端末が整備されてきている一方で、コンテンツ不足など、読者のニーズを満たし切れていないのも、専用端末が抱える課題です。この点は2011年、大きな動きがあると思っていますし、この課題を解消できないと、今回の電子出版ビジネスを取り巻く動きが、過去と同じく一過性のものになってしまう危険性があると筆者は感じています。
Webサービスから見た電子出版の動き(パブー)
現在の電子出版ビジネスの特徴の1つとして挙げられるのが、従来の出版業界とは異なるプレーヤーが数多く参加してきている点です。その1つに、Webサービスプロバイダーの取り組みが挙げられます。
中でも、2010年最も注目を集め、数多くのユーザを獲得したのがWeb上に本棚を作るソーシャルサービス「ブクログ」を提供するpaperboy&co.がリリースした「パブー」です。
パブーでは、Web上で本を読めるだけではなく、ユーザ自身が書き手として、作家としてコンテンツを配信することができます。さらに、書きながらほかの読者の反応を見て内容を調整したり、途中から複数のユーザと一緒に共著をするなど、2010年のWebの主流となった「ソーシャルメディア」の要素を多く取り入れているのが特徴です。
これまで、事業としての出版というと、出版社や印刷所が企画・制作し、取次を経由して書店で販売されるという一方向の流れだったものを、Webという技術を通じて双方向な流れに変えたという点で、パブーが果たした役割は大きいと筆者は感じています。出版社の立場としても、こうしたソーシャルが持つ良さ・可能性は参考にして、新しい出版の可能性を、電子出版に取り込んでいきたいと考えています。
海外からの動き(Google、Amazon)
すでに電子出版ビジネスが先行している米国からも、日本をはじめ世界を意識した展開が進み始めています。その最右翼は何と言ってもGoogleです。
現在、Googleは検索サービスの1つとして「Googleブックス」を提供しており、同サービスに登録された書籍についてはGoogleの検索対象になり、書籍全体内容のうち最大20%を、無料でWeb経由で閲覧できるようになっています。2010年12月6日、まず米国国内にて、Googleブックスのオプションとして「Google eBooks」が発表されました。これにより、Google eBooksの対象となるコンテンツの内容が100%検索対象となり、Webブラウザや専用アプリを通じて閲覧できるようになります。コンテンツを提供する出版社(コンテンツプロバイダー)側は、対象コンテンツに応じて有料・無料など価格設定を行うことができるというサービスです。詳細は以下の記事をご覧ください。
また、Amazonとしては2009年後半にリリースした、Amazon Kindle 2国際版の提供以降、正式な発表はなされていませんが、今後の同社の取り組みには注目していきたいところです。
以上、2010年の振り返りをしながら見えてきたのが、
- 電子出版を行うためのプラットフォームが整備されつつあること
- コンテンツが不足していること
- Webを活かしたサービスが増えてきていること
です。これらの状況をきちんと認識し、課題と方針を決めることが、2011年の電子出版ビジネスの始まりとなるでしょう。
余談ですが、2010年の電子出版ビジネスとして、最も成功したのは「電子出版をテーマにしたセミナー」や「電子出版を題材とした書籍・雑誌」ではないかと感じています。2011年は、主役としての「電子出版」を活かした電子出版ビジネスの普及に期待するとともに、筆者自身さらに関わっていきたいと思っています。
2011年の電子出版ビジネスの展望
最後に、電子出版ビジネスの展望について、筆者なりにまとめてみました。
コンテンツが増える
コンテンツが先かプラットフォームが先か、この議論は引き続き続いていくでしょう。ただし、2010年である程度プラットフォームの展望は見えてきました。まず、デバイスについては専用端末に加えて、各種スマートフォン(6~7インチ程度のディスプレイ)が主流になると予想できます。
2011年はこれらに向けたコンテンツの整備が進んでいくことでしょう。すでに、パブーのように従来の出版業界のプレーヤーを無視する形で出版をするための環境は整っていますので、ユーザ主導型コンテンツというのはますます増えていくと感じています。
一方、出版社をはじめ従来の出版業界のプレーヤーがコンテンツを増やしていくためには、コンテンツ企画力、制作力はもちろんのこと、それ以外に、書き手や著作権保持者との契約問題を整備していくことが必要だと感じています。
これは、関係性を契約で縛ってしまうということを意味するのではなく、どういう形でコンテンツを提供していくべきなのか、紙のモデルと電子のモデルではどう違うのかを再確認した上で、従来の出版契約や著作権契約を見直し、必要であれば修正を加えていく必要があるということです。そのためには、前述した業界横断的に組織されている各種団体の活動が重要になるでしょう。
また、その中で、電子出版における出版社や編集者の立ち位置がどこにあるのか、再確認する必要があると感じています。
そして、契約面を考える上で大事なのが販売システムの再構築です。読者にコンテンツを届けるための仕組みとして、従来の販売流通のような在庫管理・流通システムではなく、電子制作物を配信するための、サービス提供型のシステム構築が求められると感じています。そこで、ビジネスとして関係者全員に収益を再配分するための仕組みを考えなければなりません。
グリッドレイアウトとWeb化の動き
続いて、コンテンツ企画と制作に関して展望を述べてみます。個人的には、2010年の動きからフォーマット論争に1つの方向が見えてきたと感じています。それは、固定された画角(サイズ)の中での表現の自由化です。たとえば、iPhoneで小説を読んだり、GALAPAGOSで雑誌を読む際に、機能として、文字サイズを変えたり、レイアウトを縦横変化させたりすることが可能ですが、これは読者が「読む」という行為の中では頻繁に起こる動きではありません。逆に、最初にある程度自分が読みやすいサイズに固定して、あとはそのレイアウトの状態でページをめくり、読み進めていくわけです。
この動きというのは、実はWebサイトを見る動きに通ずるものがあります。つまり、異なるディスプレイサイズ、異なるWebブラウザのウィンドウサイズ上で文字サイズを固定したり、バナーをクリックしたり、ページを移動したり、あるいはスクロールして読み進めるというものです。この点は、用紙サイズの中で固定される紙のデザインレイアウト、いわゆるグリッドレイアウトとは異なる、電子出版物ならではのデジタルデザインにも当てはめられる部分と言えるでしょう。
そこで、2011年はWebサイトで作り出せるユーザ体験を、電子出版物に取り込んでいくことが1つの方針になるのではないかと考えます。また、企画面においては、紙/Webに限らず読者にとって「面白い」「読みたい」と思わせることはもちろんのこと、やはり、紙では表現できなかった動的な動き、あるいは検索やデジタルしおりといった利便性の向上が必須となるでしょう。
それ以外に、紙の出版物を提供しているのであれば、あえてリフローさせるコンテンツを作り出さずとも、PDFで提供するだけでも読者の利便性を満たすことは可能であると感じています。
読者が望むか望まないかの前にコンテンツを増やす
筆者が2010年の電子出版で感じたのは、今、読者が求めているのはコンテンツの数です。日本の電子出版市場の90%がケータイ向けコンテンツ(マンガやライトノベル(ラノベ))と言われている理由の1つは、マンガやラノベにはニーズがあるという側面のほかに、マンガ以外のコンテンツの数が絶対的に不足していることが挙げられます。とにかく、読者が望むか望まないかという議論とは別に、コンテンツの絶対数を増やすこと、これも2011年の電子出版市場が拡大するために必要な要素と感じています。
電子出版の全体的な話題に関しては、明日公開の高瀬拓史氏が書く「2011年の電子出版」でも取り上げられていますので、併せてご覧ください。
2011年のgihyo.jp
最後に、筆者が所属しているgihyo.jpの2011年度の電子出版ビジネスの展望について紹介します。
企画に関しては、gihyo.jpで取り組んできた「最新」「実用的」「面白い」というキーワードを意識したITやWebに関するコンテンツを予定しています。
さらに、ここまでも書いてきたとおり、筆者自身、電子出版ビジネスの可能性としてWebの技術や仕組みを取り組むことが重要と考えていますので、まずは新規の企画としてWebの観点から考える電子出版に取り組む予定です。具体的な展開の第一弾として、2011年春に向けてAndroid向けのアプリで読めるコンテンツの投入を予定しています。このほか、従来通りのiPhone/iPad向けのコンテンツ、PDFによるコンテンツ展開についても予定しています。
詳しくはgihyo.jpなどを通じて発表していきますのでお楽しみに。