こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
[お財布を持ち出してくる人の絵]が描けたら、イケる!?
先日、「100万人のキャンドルナイト」のよびかけ人代表で有名なマエキタミヤコさんの講演を絵にしていたら、至るところに[人がお財布を持ち出してお金を払おうとする絵]が描けました。
この[人がお財布を持ち出してお金を払おうとする絵]。じつは商品開発や新規事業の検討会議などで描いている時にも、"たまに"紙面に現れてくる絵なんです。いつも描けるわけではありません。その商品のターゲット像やマーケットの可能性をいくら説明されても、[お財布を持ち出す人の絵]まで描けることは、そう多くありません。
でも、例えばその新商品のコンセプトへ込めた思いや事業アイデアを思いついた背景を聞いているうちに[お財布からお金を出す人の絵]が描けてくるときがあるんです。そのときの私は「この商品はイケる」「ありそうでなかった」「みんな実は欲しかったものだ」「まだ未開拓のマーケット!」と、なんだか無性にワクワクしてきます。そして思わず「あ!今、お金がチャリ~ンと落ちた音が聞こえた!」と言ってしまう絵です。
このときも、マエキタミヤコさんの、環境NGOのための広告メディアクリエイティブを手掛ける彼女が仕事へ込める思いや背景を聞いていたら、たくさんの人が「それ、いいね」「いいね、いいね」とニコニコしながら集まってくる絵が描けました。
絵の左上(点線で囲った絵)は「100万人のキャンドルナイト」をよびかけたときの話。そのコンセプトに魅かれたたくさんの人たちが「いいね」「おもしろそう」「わたしも、わたしも!」と電気を消してろうそくを手にして集まる絵が自然と描けました。紙面では限りがありますが、この人の後ろにもたくさんの人がぞろぞろと集まってきているイメージです。友人や知人に「ねえねえ、キャンドルナイトって知ってる?」とクチコミする人まで描けました。こうした様子は、講演の中で具体的に語られていたわけではありません。ただ、話を聞いているうちに私の中で広がっていったイメージを描いてみました。
絵の左下は、彼女が手掛けたエコライフスタイル誌『エココロ』の話です。創刊の背景を聞いているうちに、その本を手に取る人の興味や関心の度合い、「一冊買ってみよう」とお財布を手にしている人が思い浮かんできて、そのまま絵にしてみました。これも講演の中で、お金を払って本を買ってくれる人の話がされていたわけではありません。でも、その本を書店で見つけたときに人はどんな気持ち、どんな言葉で手にするのかなと想像していたら、 [その本が欲しくてお財布を取り出す人]が自然と描けてしまったという感じです。
[お財布を持ち出してくる人の絵]まで描けたら、スゴイ!?
今や私にとっては、この[人がお財布を持ち出してお金を払おうとする絵]は1つのバロメーターになっています。絵の中から、お金がチャリ~ンと落ちた音が聞こえたら「このコンセプトは絶対イケる!」「当たる!」「みんな待ち望んでる!」「このアイデアは絶対実現してほしい!」。
具体的には、お金がチャリーンと落ちるまで、3段階の絵を描いています。
- ① まず最初に必ず「それ、いいねー!」と "ぐぐっと"身を乗り出して指を差して言ってくる人の絵が描けます。"ぐぐっと"身を乗り出すのがポイントです。それぐらい強い引きがあるもの。逆に、棒立ちで遠くから眺めている人が多いと、その商品やコンセプトはちょっと引きが弱い。
- ② そんな「いいねー!」と言った人の背後から、さらに後ろからも、人が「なになに?」「面白そう!」「いいね、それ!」「使ってみたい!」と口々に言って集まってくる人たちの絵が描けます。
- ③ そして、そんな人たちの絵を描いているうちに「ぜひ欲しい」「ぜひ体験したい」と[財布を取り出してでもそれが欲しい人]がどんどん描き足せてくると、もうこれは「イケる!」と思えてくるんです。
集まる人の数がたくさん描ければ描けそうなほど、そして財布を持ちだす絵まで描けると、その商品やサービスはかなり「いいセン行ってる!」と私には思えてくるわけです。
だれも集まってこない。"絵が広がらない"のは、なぜ?
しかしその逆に、「この商品は消費者に支持される」といくら説明されても、[財布を取り出してでもそれが欲しい人]の絵が描けないのが、絵筆のこわいところです。
「すごく人気がある商品です」と説明されても一向に筆が進まない。「いいね、いいね」という声が想像できないのです。結果、その商品に人が集まってこないので、その商品の周りは余白が多く、とても寂しそうに紙面にポツンと佇んでいたりします。
そこで議論の当事者である人たちに質問をします。「具体的にどんな人がそれを手にしたらいいねー!と飛びつきますか?」「そのサービスを受けたらどんな気持ちですか?」と、いろいろ聞きながら、具体的に"絵を広げる"ヒントをもらいます。
しかし、この"絵が広がらない"で筆が困るとき、同時に、改めて確信することがあります。それは、白い紙に絵を描くということは〈未来に向かって描いている〉ということに他ならないんだな、ということです。
将来性のある商品や事業は"絵が広がる"んです。紙面の向こうからたくさんの人が「それいいね」「いいね」と集まってくる。その商品のコンセプトや事業方針の延長線上には、〈みんなが喜ぶ未来〉が見えるんです。"絵が広がらない"ときの視点はどこか短期的で、どっちに進んでいいのか迷っているような感じです。だから人もついてこない。
"絵が広がる"のは、〈未来に向かっている〉証拠
この話をすると、よく「そもそもどうしたらそういった『いいね、いいね』と広がっていく商品を思いつくのか、そこが知りたい」と言われることがあります。絵が広がって、財布まで持ち出してくる人が描けるときと、絵が広がらないときの違いは何なんでしょう?
恐らく、そのとき、私の筆を動かしているのは、その商品やサービスを生み出す根本にあるその人の思いが〈未来を向いている〉かどうかの違いだと感じています。
その商品や事業を生み出すに至った、そもそもの気持ちの方向性の違いです。「なんとかしたい」「こんなのがあったらいいな」という思いが、どんなに提案が荒削りであっても、それが〈未来を向いている〉と、その気持ちに乗って筆は「いいね、いいね」とたくさんの人の絵を描かせてもらっているように思います。紙面の外からもワーッと人が集まってきて、結果として、みんなが未来へ連れてってくれるようなイメージです。
一方で、一見、斬新なアイデアのように見えても〈未来を見ていない〉もの、例えば改善・改良レベルの、他社と比較した目の前の差異にこだわった短期的な視野で語られているものや、自分たちの利益や儲けばかりに話が偏ると、たとえ「いいね」と言った人が居ても、それほど大きな人数が寄ってきてくれる気配もなく、他の商品が出たらすぐそちらへ浮気してしまいそうな危うさがあります。
グラフィックを見返すと、「それ、いいね!」「欲しい、欲しい!」「使ってみたい」「体験してみたい」と集まってくる人たちは、頭で考えて選んでいるわけではなく、その商品やサービスから伝わってくる思いやコンセプトに、心が触れて、直観的に心で選んでいるという感覚が伝わってきます。よく、その商品の「世界観」とか、事業の「ビジョン」とか、「実現したい未来社会シーン」とか、いろんな言い方がありますが、それに心が触れて反応した感じです。その「世界観」や「ビジョン」は必ず〈未来を向いて〉描かれた世界です。
[お金の音がチャリ~ンと鳴る絵]を絵空事に終わらせない人の目線
実際に、会議で議論している人たち自身にも同じことが言えます。みんなが絵を見て「いいね!それ!」と言って、実際に決定、実行のスピードが速まるときのみんなの目線は〈未来を向いている〉。いくつもの障害・弊害があたまをもたげても「それでも当社がやるべきだよね」「我々が実現したいよね」という声が聞こえてくるときの目線は〈未来を向いている〉。そこには説明も説得もなく、「だって、いいでしょ、これ!」という直観的な共感で結束している感覚です。
一方で、[お財布を持ち出してくる人の絵]がいくらたくさん描けても、会議室が「いいね、いいね」とは盛り上がらないときもあります。複雑な社内事情で発言が濁る場合もあれば、非現実な世界を描いても意味がないと一蹴する声が聞こえてくるときもあります。
しかし「こんな未来はいいよね」と見定めてから、改めて具体的に、みんなが「買いたい」と思える金額やそのために何をしなければならないのかを議論して実行することと、最初から「そんな理想論は無理」と言って目の前の現実に議論を引き戻すことは、私の絵でいうと、目線が遠くの〈未来を見て〉議論するか、〈足元を見て〉議論するか、という違いがあります。
目の前の障害を回避しようと〈足元〉ばかり見ていると、細かく走っているうちにどこに向かっているのかわからなくなる恐れを感じます。それよりも、〈未来を見据えて〉踏み出す一歩のほうが、障害をまたいで、多少転んでも大丈夫という力強く大きな歩幅になると思うんです。
「白紙に絵を描く」最大の魅力は、自由さです。紙面の上では何でもありなんです。そしてその突拍子もないように見える未来図が「本当に実現したらいいよね」「すてきだよね」という世界なら、その絵を目標にして進むほうが、迷いにくく、一歩一歩に力強さも増していくと思うんです。障害を乗り越えることに力を注ぐか、障害を避けることに力を注ぐか、その違いで、「いいね、いいね」と人が集まってくる絵が、絵空事に終わるか終らないかが決まってくるように感じています。
よく、上層部やクライアントに新しい提案を通すためには「売れる見込みがあります」と証明するために膨大な数字を用意する必要がありますが、そこでも同じように、〈未来に向いている〉彼らの目線とズレた提案だとしたら、たとえ説得力のある数字が出ても、なかなか通らないのではないでしょうか。最後の最後は、そんな頭でっかちな提案だけでは限界があることを一番よく見抜いているのは、じつは"絵を描くのが上手な"社長、経営のトップの方たちだと思います。(※第5回「優秀なリーダーの話は絵にしやすい!」)最後のGOサインが出るかどうかは、「それ、いいね!」と心に触れるかどうかなような気がします。
「黙って白紙の前に絵筆を持って立つ」という1つの制約をじぶんに課しているおかげで、いろんなことが聞こえてきたり、見えてきたりすることを日々体感しています。そして、そんな私と似たような体験をしている職業の方たちを見つけて、すっかり「そうそう!」「あるある!」と盛り上がってしまいました。「黙って聞く」のプロの女性たちです。そこで次回は「聞く」をテーマに、そんな彼女たちとの三者座談会をする予定です。「聞く」のまだまだ知らない奥深い世界をのぞいてみたいと思います。
ということで、今日のところはここまで。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこでした(^-^)。