著者検印その後
前回は、スキャンをしたり買った本を読んだりすることが契機になって、蔵書印やら検印やら本の装丁やらで、いろいろなものごとがつながっていき、発見があることをご紹介しました。
ちなみに補足情報です。前回の川上弘美著『ほかに踊りを知らない』の著者検印は、じつは印刷であるということです。『本の雑誌』2008年1月ストーブ遠吠え号を読んでいたら、『自在眼鏡』のコーナーにそう書いてありました。な~んだ。ちょっと残念すぎます。おなじ欄で『本棚探偵の冒険』にも触れられてますが、こちらは本物。今日日著者検印を押すというのは、一大事業なのでしょう。簡単にはできないらしい。
ま、それはそれとして、世界がつながる! と感じるのは、別に本の世界のなかだけで起こるわけではありません。筆者にとっては、本がおそろしく身近にあるだけで、音楽でも人間関係(友達の友達は友だち)でも美術でも映画でも、どんなところにだって関係性は見えてくるものです。
三越でライオン像
先日、東京の日本橋を歩いていたときのこと。
ふと、三越の前に、ライオンの像があるのに気づきました。
三越の前は何度も通ったことがあり、そこに像があることは気づいていましたが、それまでは特段興味を抱いてはいなかったのです。上野に西郷さんの像があるように、三越にはライオンの像がある。それ以上の関心はぜんぜんありませんでした。
ところがそのときは違いました。そのライオンが、なにかに似ていると感じたのです。つながったわけです。
トラファルガー広場
なにと、つながったのか。
ロンドンの思い出です。
ロンドンのトラファルガー広場。ライオンなのにトラファルガーなんていってる場合ではないのですが、ついキーボードがそう書いてました。
2008の夏に筆者はクッキーを探してロンドンを旅行していました。三越のライオンは、そのときに立ち寄ったトラファルガー広場のライオンにそっくりな気がしました。
色合い、伸ばした前足、正面を向いた大きな顔などが、夏の思い出をよみがえらせます。
写真に収めて帰宅して、ロンドンの写真と見較べました。
そっくりです。同じです。
記憶から抜け落ちる細部とよみがえる記憶
写真の通りで、トラファルガー広場ではライオンの両手にはさまれて齧られて記念写真を撮りました。単にライオンを眺めただけでなくて、かじられる体験を通して、ライオンの表情や口の開き方が記憶に残ったわけです。眺めただけだったら忘れてしまったかもしれません。
その体験があってもなお、ライオンの細部は記憶からは抜け落ちていました。
写真に撮ったふたつのライオンを見較べると、ふたつのライオン、ぜんぜん似ても似つかないくらい細部が違い印象が異なりますね。三越の方は、鼻が長くて垂れ下がっている感じもします。ちょっとお年を召した感じとでもいいましょうか。サイズと角度の違いでそう見えるんでしょうか。
で、つながったら当然、「なぜ」と理由を知りたくなります。
三越のホームページを見て、理由
もわかりました。
ロンドンの夏とライオン好きの日比翁助氏の100年前がつながった瞬間です。
ライフログをしていると、いろいろな記憶が断片的なものではなく、全体としてなにかかたちをもってつながっていきます。それは世界を知るということになるのだろうと思います。
ものには由来があり、その由来を知ることで、世界は広がっていくのだと思います。ライフログの醍醐味は、ここにあるんだろうと思います。
単なる体験となにが違うのかといえば、そうした体験の細部が、瞬時に出てくることにあるのだろうと考えています。