どうも違う気がする。
同僚も先輩諸氏も特に疑いもなく、これまでどおりで仕事に邁進している。とにかく時間もないんだ、「どういうやり方がほかにあるのか」って考えている余裕もない。ただただ目の前の仕事、タスク、プロジェクトを片づけようと躍起になっている。
最初のうちはいい。でも、必ずといっていいほど、中盤あたりで雲行きが怪しくなってくる。進みが計画から遅れだす、正解と置いていたことが覆る。疲弊感は徐々に増して、現場を覆っていく。プロジェクトを終えるときに多少のふりかえりはおこなっているが、次に何かが活かされることはあまりない。やがて、新たな仕事に、同じやり方で取り組み始める……。
かつての私も、そんな日々を送っていたことがある。だけど、立ち止まって考えてみたんだ。
「この繰り返しを続けた先に何があるのか?」
たとえば、あと5年、3年、いや来年の今頃はどうなっているだろうか。おそらく何も変わっていない。何も変わらないということがわかっているうえで、それでもこれまでと同じ考えとやり方で仕事に臨む。それはいったい何をこの先に期待しているのだろうか。
急に、先進的なマネージャーが他所からやってきて変わること?
マネージャーとまでは言わない。開明的な同僚がどこからか転職してきて変わること?
そんなことある? これまでに一度でもあった?
都合よく救世主が現れることなんてないし、どれだけ月日をただ重ねたところで、状況がひとりでに好転することはない――20年かけて検証したこの「事実」をまずお伝えすることから始めます。
この30年、40年の日本の組織を支えてきた仕事のやり方や考え方、そうしたものが組織を取り巻く社会や環境、顧客に対応できなくなってきている。正解ありきで計画を綿密に立てて、段取りを詳細にして、そのとおりに実行する、かつ実行できているかどうかを計画に照らし合わせて管理者が進捗を確認し、その担保をおこなう――そうした昔ながらの仕事のあたりまえが通用しなくなってきています。
昨今、デジタルトランスフォーメーションの名の下に「顧客に新たな価値を提供しよう」といった標語が掲げられることが少なくありません。「顧客にとっての価値」こそ、私たちはもちろん、顧客自身が明確にできないものです。それほど、私たちの仕事は捉えどころや絶対的な拠りどころのないものになっているのです。
今、職場や現場に必要となる仕事の考え方、取り組み方とは何か。その手がかりは「ソフトウェア開発」にあると私は考えています。ソフトウェア開発は、その他に比べて先んじて「捉えどころのない顧客の期待、求めるもの」に向き合ってきた世界です。そうした状況下で育てられてきたのは、臨機応変に、適時適切に判断と行動を取るための実践知です。
1人でも「始める」ことができたら、「みんな」の「始まり」につながっていく
「巨人の肩に乗れ」という言葉があります。先達がすでに築き上げてきた知恵があるならば、その上に乗って仕事をすればいい。さながら「車輪の再発明」とならないよう、すべてを一から自分で作っていく必要もないのです。肩を借りて、前に進む。目の前に広がる新たな風景を目のあたりにして、また自分なりに講じていけばいいのです。過去の知恵が現状にうまく適用できないならば、肩から降りてそこから先は自分の足で歩いて行けばいい。最高の仕事術とは、自分で仕事の方法自体を生み出すことなのですから。
ただ、1つ問題があります。それは、この本に書いていることを実践する際に現れるハードルです。新たなアイデア、新たな方法を日常の仕事に取り込んでいくことが容易ではない場合があります。あなたは試す必要があると確信していたとしても、職場や現場の周囲のみなさんはその温度感に達していない。むしろ、新しいことへの忌避感があり、やんわりとリジェクトされてしまう。そんな経験はないでしょうか。
組織や集団には、弾み車にかかるモメンタム(勢い)のように、違和感自体は感じながら、それでいて「これまでどおり」を維持してしまう傾向があります。これまでのやり方を変えようとする機会自体がなく、よしんば作れたとしても、変わるためには周囲の理解も得る必要がある。組織の「認識」となっている方法を変えることの難しさがここにあります。
それでも、私たちはだれかが「始める」ことをしなければなりません。たとえどんな小さな「始める」であっても、それはまちがいなく「始まり」なのです。「始まり」なくして、変化が起きることはありません。
その「始まり」を「始める」のが、この本を読む「あなた」にほかなりません。たとえ1人からでも、「始める」ことができたら、それは「みんな」の「始まり」につながっていきます。
20年の時を重ねてたどりついた仕事の方法、取り組み方、始め方をあなたに
私はソフトウェア開発のあり方そのものを変えていった「アジャイル」という概念、方法に20年以上取り組み続けてきました。その過程はまったく華々しいものではなく、むしろその大半を占めるのは試行錯誤です。はじめのうちは、そもそも自分自身に経験がない方法を学ぶために、必死になって巨人の肩に立とうとしていました。周囲を巻き込むことの難しさも十々わかっています。たとえどれほどいいと思えるものでも、まわりを巻き込むためには自分の熱量をただ押しつけるだけではうまくいかない。一歩一歩を踏み出す段階を作っていかなければ、現実は変わらない――そうした積み重ねの上に今があります。
今、多くの組織が「アジャイル」を学ぼうと躍起になってます。この本は、ソフトウェア開発が培ってきた適応的な仕事のすべを、みなさんの目の前の仕事でどのように適用するかを書きあらわしたものです。これまでの方法で何がうまくいかないのか、その理由を示しつつ、「では、今何が求められるのか」の対比で明らかにしていきます。もちろん、ソフトウェア開発に限らず、広く適用できるよう中身を構成しています。
そう、この本は、アジャイルの実践のためにかつて書籍や文献など限られた情報から手がかりを得て、学びながら実践し、その実践から山のような失敗を10年積み上げ、さらに10年の適応を繰り返す中でたどりついた、今ここにとって必要な仕事の方法と、その取り組み方、どのように始めるのか、についての集大成となるものです。
かつての私も、ソフトウェア開発の世界で、当時はほとんど取り入れられることがなかった「アジャイル」なる仕事のやり方を適用できるよう、トライを繰り返していました。そこでの試行錯誤が、その後の仕事に活きたのは確かです。その時の、周囲に理解されず、空転しがちな頑張りは、今をもって考えても尊いものだと思えます。ですが、今現在、組織や現場の前線を張っている人が同じだけの苦労を背負って、なぞっていく必要もありません。
私自身が試行錯誤の極みにあった、かつてのあの頃に、どんな本があれば前進する力となりえたか。そんな記憶をたどりつつ、いま現場で四苦八苦しているみなさんに向けてお送りしたいと思います。この本が、みなさんにとっての「肩」となるように。