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「マネジメントなんてやりたくない。部下やお金や人事評価の面倒なんて見たくない」
そんな声をよく聞きます。まったくもって同意します。
しかし,「やりたくない」というのなら,マネジメントはいらないのでしょうか?
Googleは,2002年にすべてのマネジメント職を廃止するという実験をしています。2008年には,マネジメント職は重要な存在ではないという意見を証明しようとして失敗しています※。
※re:Work マネージャーより
私は,「技術職を経験しているマネジメント」の人間がもっとたくさん,自然に増えるといいと願っています。なぜなら,技術者の常識が,マネジメントに必要だからです。
- 問題点や失敗する可能性を隠さずオープンにするほうが健全で安全である
- 自分の望むことと自然界で発生することが一致しない
- 自分の成果を他人に批評してもらってこそ自身の知識が深まる
- 自分には知らないことがあることを知っているので,自分自身はまちがえることがある
- どんな決定も「根拠とする事柄」があり,だからまちがったときにも学ぶことができる
- 正解を知っていなくとも,「仮説」を立て「結果」を予想して「実験」をすることで学べる
もちろん,マネジメントの問題には人間の心理が関わってくることが多いですが,自分自身の人間性とマネージャーとしての人間性は切り離すべきです。マネジメントは,職種です。人懐っこくて可愛らしい,だれでも気軽に寄ってくるような警備員は役に立たないでしょうが,だからといって,そういう人間性を持っていてはいけないということはありません。意識的に自分自身の人間性と切り離し「役割としてのふるまい」にすればいいのです。そこさえできれば,技術者の判断力はマネジメントという「役割」に向いています。
マネジメントを「技術」として捉えられれば,「マネジメント職」も自分のなりたい技術者の1つの職種,技術者として身についていく属性の1つとして認めることができるようになるはずです。
私は,自他ともに認めるように「優れた技術者」でも「マネジメントができた」わけでもなく,「人とものすごく違うことを考える」ようなことは当然できませんでした。なので,「普通に考える」ということをいつも目指して,考えればあたりまえなことがなぜかできていない事実を相手と共有し,そのうえで「なぜそれができないのか」をお互いに考え,できるようにしてマネジメントしてきました。それだけで,5名程度の小さなチームでも500名を超える大きな組織でもうまくいくケースは多かったです。
私がやってきたことは,だれでも身につけられると思っています。身につけたくなくとも,「こんな考えもある」と知ってもらえば,いろいろなことが今までと違って見えるかもしれません。