前回は,
E=hν の凄さ―相対性理論とのつながり
光のエネルギーは,
この対談は読む価値が高いと思います。対談相手の谷川安孝が指摘しているのですが,
光は波動か粒子かの議論があって,
アインシュタインは3月論文の最初の部分で,
このときアインシュタインは,
たしかに3月論文と6月論文は独立の事柄を扱っているようですが,の比になることを見つけて,
つまり,
6月論文と古典的な運動エネルギーの考察から9月論文ではE=mc2 を得ています。このように見ていくと,
当時Wärmetheorie
ここで筆者はまた思うのですが,
ここで付記したいのですが,
コラム:1923年 時代が動く
- コンプトン
(米) アインシュタインの光量子仮説を実験で確認 - ルイ・
ド・ ブロイ (仏) 物質波の仮説 - ボーア(デンマーク):ゲッティンゲンで講演
- 仁科芳雄:ケンブリッジを経てゲッティンゲンに留学していたが,
もうそこからは得るものが無いと感じていた。ボーアの講演に感激した彼はコペンハーゲンのボーアの元に留学先を変更し以後5年間研究する。 - マックス・
プランク (独):因果律と意思の自由の講演
- 1925年:ハイゼンベルグ
(独):マトリックス力学 - 1926年:シュレディンガー
(墺):波動力学を発表 - 1927年:ハイゼンベルグ:不確定性原理提唱
- 1928年:ディラック
(英):波動力学と特殊相対性理論を融合して陽電子を予言
仁科が帰国して日本の量子力学・原子物理学が新しい時代に入る。
光量子仮説から18年後,ふたたび時代が動く
以前にも記したように1922年のノーベル物理学賞がアインシュタインに授与されたのですが,
上のコラムはその翌年の1923年に,
前々回ではケルビン卿が20世紀明けに行った
その会議の討議録を編集していたのが,