Ubuntu Weekly Recipe

第840回Ubuntu 20周年記念オフラインミーティング開催レポート

11月17日、グリー株式会社主催のもと、六本木にてUbuntu 20周年記念オフラインミーティングが開催されました。今回はいつもと趣向を変えて、このイベントの様子をレポートします。

図1 Puffin(25.04:左)に寄り添うOriole(24.10:右)のぬいぐるみ

Ubuntu 20周年!

Ubuntu Japanese Teamは主にグリー株式会社主催のもと、半年に一度Ubuntuオフラインミーティングを開催しています。

これはUbuntuが半年に一度4月と10月にリリースされるため、それに合わせてリリースパーティやりたいよねというのが、主な目的です。勉強会というよりはパーティという主体が強く、セミナーは開催するものの別に後ろでセミナーの邪魔にならない程度の酒盛りをしていてもかまいません。なんなら手持ちのデバイスを広げて黙々とハッカソンを行っても良いでしょう。そういう「ゆるめ」のイベントです。直近のオフラインミーティングの様子は次の記事等を参照してください。

新型コロナの流行に伴う各種イベントの自粛に伴い、2019年12月を最後にオフラインミーティング自体が開催されなくなっていたものの、今年の6月にはおよそ5年ぶりのリアルイベントを開催できました。

半年後の今回も同様に、と考えていたのですがいつもと少し趣を変えました。まず、2024年10月20日にUbuntuが20周年を迎えました。これはUbuntuの最初のリリースであるUbuntu 4.10のリリース日である2004年10月20日が基準です。Ubuntuは登場当時からそれなりに注目を集めており、今となってはメジャーなディストリビューションの一角を担っています。

この20年間いろいろなことがありました。世界的な金融危機や大きな地震、さまざまな戦争にパンデミックと、100年に一度と言われるような出来事がいくつもあったことでしょう。Ubuntuに関連する分野だけに限っても、スマートデバイスの隆盛、クラウドのインフラ化、何度目かのAIのブームと話題に事欠きません。残念ながらデスクトップLinuxは20年経っても未だ元年を脱出できていません[1]が、それはそれ。

そんなわけで今回のオフラインミーティングは「Ubuntu 20周年記念」と題して、⁠リリースパーティ」とは異なるイベントにしてみました。セミナーもUbuntu Japanese Teamメンバーとその関係者がメインとなって、それぞれの20周年や最近のUbuntu事情について語っていただきました。

本記事ではそんな状況の元で開催されたイベントについて、セミナーの様子を中心に紹介します。ちなみにセミナーの雰囲気についてはYouTubeにも配信動画がアップロードされています[2]。またTwitterのイベント当時の#ubuntujpのツイートTogetterも参考になるでしょう。

安心してください、日本語使えますよ―Ubuntu日本語Remix提供休止に寄せて―

最初のセミナーは、村田さんによる安心してください、日本語使えますよ―Ubuntu日本語Remix提供休止に寄せて―ですYouTubeのリンク発表資料のリンク⁠。

図2 Ubuntuの20周年を祝うにあたって、Ubuntu本家側での仕込みを紹介する村田さん

Ubuntu Japanese Teamでは5.04から約20年近くに渡って、Ubuntuのカスタマイズ版である「日本語Remix」をリリースしていました[3]。これは何かと言うと、通常のUbuntuデスクトップのイメージに対して、日本語関連であったほうが良いパッチを当てたものです。昔は日本語環境を構築する上で、本家に対していくつもの修正が必要でした。

その後、少しずつ本家側も改善していき、最終的には次のような対応のみが残っていました。

  • ライブ環境で日本語を使えること
  • インターネットがなくても日本語環境をインストールできること
  • Windowsの日本語ファイル名が含まれるzipファイルを日本語のまま展開できること

しかしながらUbuntu 24.04 LTSにおいてインストーラーが全面移行したことで、これまでの方法では上記を実現できなくなりました。そこでUbuntu Japanese TeamとしてUbuntu 24.04 LTSでは日本語Remixのリリースをやめる旨のアナウンスを行うことになったのです。

発表で村田さんは「日本語Remixがなくなる=Ubuntuで日本語が使えなくなる」わけではないことを、実例を交えて説明しました。

もともとUbuntuのインストーラーは昔から日本語環境のインストールに対応していました。日本語Remixでは「言語選択画面で最初から日本語が選ばれている」だけであり、手動で日本語を選択すればあとのインストールステップ自体の違いはないのです。よって日本語Remixを使わなくても「日本語でインストール」できることは変わりありません。

そこでUbuntuの公式イメージ(日本語Remixではないもの)でも、実際に日本語環境をインストールするとどうなるのかという話を、具体的な画面の遷移を例示しながら紹介していました。また、発表の後半で説明されているとおり、⁠Ubuntuを試す」で日本語入力ができない点についても設定さえ行えば実現できるそうです。

図3 インストールの最後のメディアの取り出し部分だけ英語で表示されてしまうが、⁠日本人ならEnterはほぼほぼ日本語であると認識してもらえるのではないか」と伝えて会場の笑いを誘う

日本語Remixに残っていた対応のひとつがWindowsで作られた日本語ファイル名が含まれるzipファイルの扱いです。もともとzipファイルに含まれる文字コードについては規定がないのですが、日本語版のWindowsは伝統的に「CP932」を使用していました。しかしながらこれは日本語版独自の話であり、さらにzipファイルそのものに使用している文字コードを記録する術もありません。そのため日本語環境では「CP932を使っている」と決め打ちして展開しないといけなかったのです。

日本語Remixのunzipコマンドや7zipでは、これを「環境変数等で変更できるパッチ」を適用し、さらに日本語環境ではその環境変数を設定するようにして回避していました。これらの修正の一部はさまざまな理由で本家(アップストリームやDebian/Ubuntuの公式リポジトリ)に入ることはなかったのです[4]

実はその状況が24.10以降で解消しつつあるようです。10月にリリースされたUbuntu 24.10では、日本語Remixで入っていた修正の一部がDebianやUbuntuのパッケージとして取り込まれることになりました。ただし同時にGUIからzipファイル等を展開する「file-roller」は、標準的なインストールの環境だと使われなくもなっているため、そのあたりの調整が引き続き必要になります。なお、文字コードを指定する仕組みそのものは内部的にあるようなので、対応方針を検討する必要はあるものの、その修正自体はそこまで大変ではなさそうな印象を受けました。

20年に渡ってUbuntuの国際化・多言語化の対応も進化を続けてきました。まだ問題はありますし、今後他の問題が出てくる可能性もありますが、⁠日本語Remixで解決する」というアプローチは不要になりそうです。

Ubuntuリリース20周年を祝して、これまでの軌跡を振り返る

次のセミナーは、いくやさんによるUbuntuリリース20周年を祝して、これまでの軌跡を振り返るですYouTubeのリンク発表資料のリンク⁠。

図4 ⁠富岳」見てきたよという話から始まるいくやさんのセミナー。掲げているのはASCIIから出ていたUbuntu専門誌である「Ubuntu Magazine Japan」

セミナーでは20年前の4.10から現在の24.10まで、20年間でUbuntuデスクトップがどのように変わってきたかを紹介しました。

ちなみに4.10の時点では日本語入力の環境が最初から揃ってはいなかった模様です。そのため、いくやさんがSCIM等のパッケージをUbuntu向けに作っていたとのこと。その後、Ubuntu Japaense Teamが2005年ぐらいに発足します。初めてのLTSである2006年の6.06は、リリース時期がずれた最初で最後のバージョンです。Ubiquityを採用し、日本語をはじめとする多言語対応が充実し、この時点でInput Method FrameworkとしてSCIMがmainコンポーネントに投入されます。

ちなみに会場でアンケートを取ったところ、Ubuntu 6.06 LTSからUbuntuを使い始めた人がだいたい4-5人ほどでした。おそらくこのあたりが「だいぶ古くからUbuntuを使っている」人たちに分類されそうです。

6.06ではまだSystem V initを使っていました。Upstartは6.10から14.10までなので6.06は今から見るとだいぶ「起動が遅い」感じがします。実はいくやさんは、⁠4.10から24.10までの仮想マシン」が動くミニPCを大阪から持参していたそうで、会場の中で誰でも使えるように設置していました。

図5 こんな感じで、過去のリリースのVirtualBoxインスタンスを起動できる

実際に試してみると6.06は確かに遅く、Ubuntu史上最速の起動時間と言われるUbuntu 10.04 LTSと比較するとその差は歴然です。

2008年の1月には本連載であるUbuntu Weekly Recipeと姉妹連載であるUbuntu Weekly Topicsが始まります。2番目のLTSであるUbuntu 8.04 LTSからUbuntuを使い始めたのが、会場だと5-6人くらいでした。8.04である「Heron」の壁紙は人気で過去にリバイバルされたこともあるとのこと。

その後、ネットブックのブームに合わせてUbuntuもカスタマイズされたり、Ubuntu搭載のデバイスであるNetWalkerの発売もこの頃です。このネットブックの登場によってUnityが誕生しました。

さらにその後リリースされたUbuntu 9.10は、今から振り返るとエポックメイキングなリリースだったとのこと。たとえばPAEカーネルの導入や、SCIMからIBusへの移行、GRUB2の採用、ext4への移行など今につながる変更が行われています。さらにUbuntu OneやUbuntuソフトウェアセンターなど、Ubuntu独自路線もこの頃から始まっていました。

Ubuntu 10.04 LTSはGNOME 2系を採用した最後のリリースになり、11.04からはUnityを採用します。このUbuntu 11.04が現在の「Ubuntuの見た目」を形づけたリリースとなります。2017年まではスマートデバイスのブームと合わせてUnityの時代が続きました。2017年にはUnityをやめる判断がくだされて、17.10にてUbuntu GNOMEとの統合を果たします。

20.04まで紹介したところでパッケージ管理アプリの変遷と題して、Ubuntuソフトウェアセンター前後からのGUIを用いたパッケージ管理システムがどのように変わってきたかを説明しました。最後に最新の24.10までと、25.04の展望を紹介して完了です。

ちなみに質疑応答の時間では「Ubuntuのインストールイメージが最初にバンドルされた日本の書籍・雑誌はなんだろう」なんて話で盛り上がっていました。

Linux Desktop元年・Ver. 2025

3番目のセミナーは、hitoさんによるLinux Desktop元年・Ver. 2025ですYouTubeのリンク⁠。

図6 スケジュールの都合上かなり駆け足で発表をしてくれたhitoさん

「Linux Desktop元年」は、デスクトップ環境としてのLinuxを日常的に使っている人ならもう20年以上前から聞いたことがある単語です。hitoさん曰く「WindowsやmacOSはもう要らないなんて言葉と一緒に言及されがち」⁠20世紀から年に一度以上は雑誌やネットの記事などに登場する」⁠今のところ)二年目以降に突入することはなそうなのがポイントとのこと[5]

Linux Desktopという単語は、Ubuntuが登場するよりも遥か昔の1990年代には登場しています。とはいえ当時は「Linux Desktop」がまともに動く環境自体がレアでした。Linux Desktop環境をインストールする最初のステップも「まともに動くマシンを探して調達する」ところから始まるという状況だったそう。特にGUIを動かそうとすると、モニターやグラフィックアクセラレーターの詳細なスペックを調べる必要がありました。さらに音が鳴るかどうかも運次第だったし、Plug-and-Playは存在したが実質「Plug-and-Prayであったなど、今の一般的なPCでLinuxを動かすのとは異なる苦労がたくさんありました[6]

Ubuntuが登場する2000年代(ゼロ年代)半ばぐらいから、このあたりの状況はある程度解決します。そうすると今度は「ただ動く」から「より使いやすく」⁠高性能に」の流れが出てきます。そこで出ていたのが「3Dデスクトップ」です。この頃にUbuntuを使っていた人は意味もなく仮想デスクトップを回転したり、ウィンドウを(文字通り)炎上させていたはず[7]

図7 3Dデスクトップの懐かしいスクリーンショット

4GBの壁「64ビット対応⁠⁠、⁠マルチコア対応」⁠省電力機能」もこのあたりのトピックになります。ソフトウェア開発者向けのWindows以外の選択肢として、Linuxではなく「Mac OS」が意識される時代でもあったとのこと。

2010年代前半になってくると、クラウドやスマートフォンが登場してきます。つまり「Linux Desktop元年」どころかデスクトップPCの終焉がまことしやかに話されるようになるのです。Ubuntu界隈だとみんなNexus 7にUbuntuインストールしていたはずです。

ノートPCがメイン端末になり、前のセミナーでもあったようにネットブックが勃興し、SSDが登場します。同時にWindows XPのEOLが近くなり、そんな救済策としてのLinux Desktopが注目された時代でもあります。

2010年代後半は「CPUの劇的な進化」が停滞していていた時代です。レガシーの廃止やUSB-Cの登場など周辺機器の変化はありましたが、毎年のようにCPUの性能が大幅に向上したり、HDDがSSDになったときのような大きな変化は起きませんでした。Ubuntu自体も似たような状況で、⁠Unityを諦める」というイベントや「コンテナ機能の進化」などはあったものの、リリースごとになにか大きく変わることはなかったように記憶しています。

Windows自体が無償アップグレードを提供することにもなり、無償の代替OSという位置づけも薄くなります。hitoさん曰くLinux Desktop元年、冬の時代だったと。元年になんで冬の時代があるんだというツッコミ付きで。

2020年代になってくると、COVID-19による生活環境の変化もありますが「work from home」「家でのゲームが流行る」なんてことも出てきます。そうするとSteam(Proton)の登場によってLinuxゲーミングも現実的になってきます。同時にWindows Subsystem for Linux(WSL)の登場によって、最終的にWindowsでもLinuxのGUIアプリケーションが動くようにもなります。Linux Desktop的には「WSLがあるから要らないのでは」と言われがちではある状態にもなります。

最後はこれから先の話。Ubuntu的にはx86-v3への移行が検討されているとのこと。つまりSandy BridgeでUbuntuが動かなくなってしまうので検討は慎重に行われるはずです。あとは生成AIやローカルLLM、NPU対応などが直近の課題として存在します。さらに2025年はWindows 10のEOLという「再びLinux Desktop元年がやってくるやもしれないイベント」が待っています。

Ubuntu翻訳(雑談)

4番目のセミナーは、kazken3さんによるUbuntu翻訳(雑談)ですYouTubeのリンク発表資料のリンク⁠。

図8 kazken3さんはUbuntu 8.04 LTSからのユーザーとのこと

Ubuntuは伝統的にLaunchpad Translations(Rosetta)を使ってUIやインストーラーを翻訳してきました。それが23.04ぐらいからWeblateも使うようになったという話から始まります。

Weblateが使われているのは、Ubuntuの新しいインストーラーがGitHubでコード管理されているためだそう。よってGitHubに翻訳結果を取り込みやすいWeblateが使われているんだとか。インストーラー以外の翻訳で使われているLaunchpad自身は、昔からインターフェースがほぼ変わっておらず、今となっては若干古臭い(良い言い方をすればシンプルな)見た目になっています。

ただしインストーラー以外の翻訳は、基本的な部分はある程度更新されていて、あとは用語が変わったところ、新規に追加されたところをこまめに更新してかなければいけない状態です。よってLaunchpadでもある程度は事足りていて、あとはリリース前にきちんと提案等をチェックする必要があるとのこと。

「翻訳」という文脈ではUI以外にもリリースノートの翻訳があります。こちらはリリースの少し前からバタバタとやる形です。ただ24.10については、本記事の掲載時点でもまだ完成していません。純粋に作業者がみんな忙しすぎて手が回っていないだけです。リリースノートにはインストール時の注意点や日本語特有の情報も掲載されることがあるので、公開されたらぜひ確認してみてください。

最後に「翻訳」をやることの利点も解説していました。直接的に一番大きなのが「技術的なトレンドがわかる」ことでしょうか。あえて調べないとわからないようなことも、リリースノートの翻訳の過程で知見が得られます。それ以外にも知らないソフトウェアと遭遇することもあり、たとえばUPnP/DLNAサーバーであるRygelの存在は翻訳の流れで知り、使っていたと話していました。

図9 ただしs390xの翻訳だけはしんどいとこぼすkazken3さん

Ubuntu壁紙コンテストその勝ち方を教えます

最後のセミナーは、mizunoさんによるUbuntu壁紙コンテストその勝ち方を教えますですYouTubeのリンク発表資料のリンク⁠。

図10 Ubuntuの壁紙コンテストで3連覇(?)中のmizunoさんによる解説

初心者はデスクトップ環境のカスタマイズにがんばりがちではあるものの、おっさんになる、じゃなくて、経験を積んでくると設定がめんどくさくなってほとんどデフォルトのまま使ってしまうという傾向があります。壁紙も好みのものを選んでインストールするのが面倒なので、最初から自分の写真がUbuntuにインストールされていれば良いのではという考えが出てきます。本当に出てくるのでしょうか。

実はUbuntuでは半年ごとに壁紙コンテストというものを開催しています。そこで上位に入賞した壁紙はUbuntuのインストールメディアに搭載されます。

趣味で動物写真をたくさん撮影しているmizunoさんは、その経験則から「壁紙向きの構図」「撮影機材と壁紙コンテストのレギュレーションの差異に伴う注意点⁠⁠、⁠コンテストと言っても採点するのはコミュニティなので、どうしても判断基準が普通のコンテストと異なる」など、壁紙コンテストならではの注意点を詳しく解説しました[8]

基本的には高い機材は不要で、それこそ普通のスマートフォンでも構図や被写体のポイントをおさえれば勝てる可能性はあるとのこと。カメラ機能が充実した普通のスマートフォンが、一般人にとって「高い機材」ではないのかという意見はおいておくことにします。

図11 Ubuntu 24.04 LTSに対応した、イベント当時は発売直前だったUbuntu本

ちなみにmizunoさんが執筆したLinuxをマスターしたい人のための実践Ubuntu[第2版]が11月23日に秀和システムから発売されました。これはUbuntu 24.04 LTS(厳密には24.04.1)に対応した本で、Ubuntuのデスクトップ、サーバーからWSLに至るまで、さまざまな環境の基礎を網羅できる本となっています。

当日は秀和システムさんから刷り上がったばかりの献本2冊をじゃんけん大会の景品として提供していただきました。

次は半年後、もしくは20年後に

Ubuntuのオフラインミーティングといえば「からあげ」は欠かせません。いや、Ubuntuとからあげはまったく関係ないはずなのですが、歴史的経緯で日本においてのみ欠かせないことになっています。

新型コロナの流行によって食事の提供自体がやりづらくなってしまったものの、今回に限って「20周年だから」という名目で5年ぶりにからあげを提供することになりました。

図12 みんな大好きオリジンのからあげ(3kg)とオードブル(8皿あったうちの一部)
図13 取り分けもディスタンスを維持しつつ並列化を実現

問題はその量です。想定よりも参加者数がだいぶ下ぶれし、さまざまな理由で「食事が出る」こともアナウンスできませんでした。そもそも13時開始なら、普通にお昼食べてから来ますよね。そして何より5年ぶりということは、参加者の胃腸も5年ぶん歳を重ねていたことを考慮できていなかったのです。

つまりまとめると、注文しすぎたのでみんな必死になって食べる羽目になりました。このあたりは次回に向けての反省点として活かしたいところです[9]

またCanonicalからは、参加者やじゃんけん大会用の景品としてステッカーやタオルなどのノベルティを提供していただきました。

図14 Ubuntuロゴな各種ステッカーやタオル

特にタオルについては日本製の「今治タオル」とのこと。このタオルはじゃんけん大会で争奪戦となりました。ステッカーについては参加者数以上の数を提供いただいたので、OSCなどのイベントでも配布する予定です。

図15 グリーさんは相変わらずおしゃれな会場でした

次回は半年後の「Ubuntu 25.04」のリリースパーティになる見込みです。一部で「Kubuntu 20周年というのもありでは」なんて話も出ていましたが、おそらく普通に実施するはず。Kubuntuの発表募集が増えてきたら考え直すかもしれません。

それでは次の20年もUbuntuとデスクトップLinux元年が続くことを期待して。

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