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脳の表面積は新聞紙1枚程度です。しわくちゃに折りたたまれて頭蓋骨の中に納まります。そして大脳皮質の厚さは数ミリ程度で,脳を構成する細胞のほとんどは配線です。神経線維です。こんな神経の塊のナマモノコンピュータが,いろいろな煩悩を考え,日々私たちは暮らしていきます。なんとも不思議だと思いませんか。当社新刊『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?』は,心や意識,意志が脳から生まれる仕組みを考えます。
前野先生の冒険
本書の著者・慶応義塾大学理工学部の前野教授は,ロボット工学(ロボティクス)の分野で活躍しています。ロボットアームの開発に関連して,人間が物をつかむとき,指紋が重要な役割を果たしているという研究もしていました(指紋の溝が触覚神経の感度向上に役立ち,なおかつ,ものを持ち上げようとするときの力の予測にも役立っているという研究です)。つまり,人間の動きをロボットにさせる方法や技術を研究しているうちに,その意志の本体である人間の脳の機能について考えるようになったのです。
受動仮説とは何か?
意識を考える上で有名な研究があります。『マインド・タイム 脳と意識の時間』(ベンジャミン・リベット著 下條伸輔・訳 岩波書店)でのリベットの実験です。
リベット博士は,時計回りに光の点が回転する時計のようなモニターを作成した。そして,脳に運動準備電位を測るための電極を取り付けた人に,モニターの前に静かに座ってもらった。その人には,心を落ち着けてもらい,「指を動かしたい」という気持ちになったときに,動かしてもらった。
(中略)
つまり,「意識」が「動かそう!」と「意図」する指令と,「無意識」に指の筋肉を動かそうとする準備指令のタイミングを比べたのである。
この結果は衝撃的であった。「無意識」下の運動準備電位が生じた時刻は,心で「意図」した時刻よりも約350ミリ秒早く,実際に指が動いたのは,「意図」した時刻の約200ミリ秒後だったのである。
指が動くのが「意図」より遅いというのは,もちろん予想どおりである。一方,運動準備電位が「意図」よりも350ミリ秒早いということは,心が「動かそう!」と「意図」するよりも前に「無意識」のスイッチが入り,脳内の活動が始まっているということを意味する。
思うよりも先に脳が意識しているなんて,ちょっとびっくりしませんか。
意識が無意識な処理に対して受動的に追随するシステムに過ぎないというのが,前野教授が唱える「受動意識仮説」なのです。
意識とは心とは
意外と皆さん,同じことを考えているようです。養老孟司・内田樹 著『逆立ち日本論』(新潮選書)の中でも,次のような対談をしています。
養老:西洋人は,理性とか自由意志とか良心だとかとずっと何百年も言い続けてきました。「自分がある」という意識な幻想にとらわれているのです。でも,実は,意識というものを考えると,この意識は「後知恵」に過ぎないのです。
内田:後知恵?
養老:脳みそが生理的に動いてから,その結果として意識が発生しているということです。つまり,意識というものは,『後出しジャンケン」なんです。
脳,心,意識……最後は哲学に至る
前野教授は工学者的(理系)な立場から,脳の機能を研究し続けてきました。そのため文系的な学問について,一切予備的な知識がなかったそうです。それなのに『受動意識仮説』は,いろいろな人たちの間で,暗黙の常識であるかのように知られていたようです。極めればそこに至るのかもしれません。本書の中では,古今東西の思想や哲学,認知心理学等に対して『受動意識仮説』の解説を試みています。
前野教授は,筑摩書房で『脳はなぜ「心」を作ったのか?』『錯覚する脳』を出版しております。こちらも,最新の脳科学研究に興味がありましたらぜひ読んでください。