書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第16回 宇宙存在の理由と地球環境の保全~本書「ピタゴラスの定理でわかる相対性理論」の意味は何だったか?

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最後に,佐野氏への期待を記したいと思います。宇宙存在の理由についての必読書として勧めたいのが小林誠氏の『消えた反物質』※6です。これを書いたのはノーベル賞受賞の11年前のことですが,最後のところにこんな記述があります。

・・・・現実の自然界がゲージ理論という枠組みの中で記述できるということは大きな発見だったが,あるがままに記述するだけでは自然を本質的に理解したことにはならない。どんなゲージ群のもとで,どれだけの基本粒子が,いかに存在するかを支配する原理が求められているというのである。

宇宙の起源や宇宙が存在する物理的・数学的な説明が完全にはできてはいないようです。物理的にはゲージ理論という枠組みで作られているようですが,時空の数学構造を根底から思索している数学者の参画があったのかどうか筆者(見城)は知りません。見城が佐野茂氏に期待するのはこのあたりです。言い換えると,素粒子あるいは宇宙存在の理由を非ユークリッド幾何と関連させて数学的なヒントを見つけだしてほしいことです。これは佐野氏の天職の一課題かもしれないと思うのです。筆者見城による補講はしばらくお暇をいただき,佐野氏から何か答えが得られたら補講の番外としていただけると期待します。

参考資料
[※1]佐藤勝彦:図解雑学 量子論,ナツメ社
[※2]Makoto Kobayashi and Toshihide Maskawa: CP-violation in the renormalizable theory of weak interaction, Progress of Theoretical Physics Vol.49, No.2, 1973
[※3]南部陽一郎:クォーク第2版,⁠ブルーバックスB1205⁠⁠,講談社
[※4]A.Einstein and W.J. de Haas: Experimental proof of the existence of Ampere's monocular currents, Proceedings Royal Academy Amsterdam, Vol.XVIII, pp.696-711
[※5]Einstein's only experiment:http://www.ptb.de/en/publikationen/jahresberichte/jb2005/nachrdjahres/s23e.html
[※6]小林誠:消えた反物質,⁠ブルーバックスB1174⁠⁠,講談社

コラム サンマルコを望む

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上野松坂屋の画廊で,木脇康一作の『サンマルコを望む』に思わず心を惹かれました。サンマルコ聖堂とドカーレ宮殿の背景では緑を帯びた青い海が空の青と溶け合おうとしています。聳え立つ鐘楼のレンガ色も気に入りました。

イギリスの画家ターナー(1775-1851)は44歳のときにベネチアをおとずれ,海の光と空が融合する風景に感激して多くの作品を描いたそうです。この絵を見たとき筆者はターナーの心を捉えた「明るい陽光と色彩」を連想しました。そして,⁠ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』を書いているときを思い出しました。

それは,ユークリッド幾何から双曲幾何が生まれるときの数学史の一里塚として,複比という概念が現れたときを語った第4章後半です。共著者の佐野茂氏から数学理論をきいて,咀嚼しなおしていくつかのイラストを創作して説明したところであり,イタリアで起きた透視画法(遠近法)の発達と密接に関連します。

古代ギリシャ人が創造した幾何学は,ナイル川周辺を対象とした広い平面であり,やがて紙面で展開されたユークリッド幾何でした。そこでは1本の直線に対して,その上にない点を通る平行線は1本だけ存在するのですが,ユークリッド自身も釈然としない公理でした。後に地球が丸いことが分かったこともあって,平面と想っていたものが球面の一部であることに着目して球面幾何が生まれした。そこでは平行線は一つもありません。しかし謎は未解決でした。ところが,風景を描くための遠近法の理論に現れる複比とガウスが導入した複素平面とを結び付けて,ポアンカレは双曲幾何を提唱しました。そこには平行線は無数にありました。これこそアインシュタインの特殊相対性理論を説明するための宇宙構造の4次元の幾何学だったのです。

第6章に書いたように,オランダの画家エッシャーは透視画法に疑問を感じて,その欠陥をだまし絵として指摘しました。しかし数学者Coxeterに出会って双曲幾何を知り,傑作『極楽と地獄』⁠p.128)を制作しました。作家がこのような苦難の末にたどり着いた作品をみたときに見る者が感じるのが形容しがたい疲れです。それは図形に対する意図的なトリックのためかもしれません。

一方,単純な図形には無限の奥深さが宿されています。本書の第1章では,寺院の床や壁のタイルを見て宇宙根源の法則を想起できる人はいるだろうかと問いました。

この『サンマルコを望む』からは安らぎを感じます。構図には余計な複雑さを感じません。幾何では直線とは何かが基本問題で,直線の定義は幾何学ごとに違っています。本書p.95に記したように,ユークリッド幾何では第2種合同変換によって不変な点の集まりが直線であるとしたのは,クライン(1845-1925)でした。それを折り紙によって説明しなおしてみました。

この絵では,空からの散乱光と海からの反射光が一致するところが水平線でもあり,一つの直線ともいえそうです。ベネチアは小さな島ですからこの画面の左右を想像します。それは水平線だといってしまうと水平線とは何かを説明するのが厄介です。

宇宙構造の不思議の一つが光速不変の原理であることは『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』で論じました。どんな波長あるいはどんな振動数の光も,秒速30万キロメートルで伝播します。また,対岸のマッジョーレ広場でこの風景を描いている画家にも,モータボートを操縦している人にも光の速度は同じです。アインシュタインは光の生成と吸収についても深く考えて,量子力学を創出したことは補講で解説しました。

私たちにとって重要な光の特質は,可視光による色彩です。この絵の風景に満ちているのは散乱光と反射光です。太陽から降り注ぐ光は空気で散乱して空の色は青くなります。それが海に反射するとき特定の波長が海面に吸収されるので,青緑に見えます。もし光速不変性がなかったら,この風景の色彩はまったく違うものになりそうですし,この美しさもどうなるか分かりません。

地球温暖化が進むと南極の氷が解けてベンチアは水面下に没するといわれています。本書とその補講では宇宙の構造を深く考えてきました。そして昨年のノーベル物理学賞のテーマであった宇宙が存在する理由にも思いを馳せてきたのですが,むしろ大事なのが,本書p.216にも語ったように,知的生命体の繁栄のために地球がかけがえのない存在であることを願うことです。水の都ベネチアを永遠のものとすることは,地球規模での挑戦です。